第30話 毎日弁当を届ける聖女は善意100%で厄介
翌日の昼休み。
冒険者ギルドの「こころの相談窓口」に、教団の最高戦力であり、絶対的な信仰の対象であるはずの聖女が、可愛らしいバスケットを抱えてやってきた。
「ナギ様。午前中の業務、お疲れ様でした」
純白の法衣を揺らし、セラフィーナはふわりと微笑んだ。
その顔には昨日までの迷子のような不安はなく、明確な「使命」を見つけた人間の、静かで恐ろしいほどの熱が宿っている。
「セラフィーナさん……教団の治癒院の方はいいんですか?」
「はい。今日は他の神官たちに任せてまいりました。私の今の最優先事項は、ナギ様の健やかなる生活をお支えすることですから」
彼女は有無を言わさぬ流れるような動作でカウンターの内側に入り込み、俺のデスクにバスケットを広げた。
「お弁当を作ってまいりました。ナギ様はいつもお疲れのようですから、滋養強壮に効く香草と、消化に良い温野菜を中心に味付けしております」
「あ、いや、俺の昼食ならギルドの食堂で――」
「遠慮なさらないでください。さあ、冷めないうちに」
俺が断る隙すら与えず、彼女はスプーンで色鮮やかなスープを掬い、俺の口元へと運んできた。
あまりにも自然な『あーん』の体勢。
周囲の冒険者たちが「受付の野郎、ついに聖女様まで……」「異端審問にかけろ」と殺気立っているのがわかる。
「……いただきます」
俺は周囲の視線に耐えながら、一口飲んだ。
美味しい。悔しいほどに美味しく、そして疲れた胃に優しく染み渡る完璧な味付けだった。
「ふふ、よかったです。……あ、そのまま動かないでくださいね」
俺がスープを飲み込んだ直後、セラフィーナは俺の背後に回り込み、両手をそっと俺の肩に置いた。
「少し、肩が張っておられますね。治癒」
淡い光が肩を包み込んだ瞬間、デスクワークで凝り固まっていた肩と首の痛みが、嘘のようにスッと消え去った。
それどころか、目の奥の疲労や、胃の重さまでもが完全にリセットされていく。
「なっ……聖女の高度な治癒魔法を、ただの肩こり解消に使うなんて!」
「ナギ様を癒やすためならば、神も許してくださるはずです。さあ、次は温野菜をどうぞ」
背中から柔らかい感触と温もりを感じながら、口元には次々と完璧な栄養食が運ばれてくる。
……恐ろしい。
これが、聖女の『無償の愛』という名の過干渉か。
前世の心理学的に言えば、今の彼女は完全に『依存先のすり替え』を起こしている。
不特定多数の患者を救うことで自己を保っていた彼女が、自分の空っぽな心に気づかせてくれた俺という『個人』を、新たな救済の対象(依存先)に設定してしまったのだ。
相手が暴力的であったり、理不尽な要求をしてきたりするなら、いくらでも突っぱねることはできる。
だが、彼女の行動は『善意100%』なのだ。
俺の体調を心から気遣い、見返りを一切求めず、ただ純粋に尽くしてくる。
こんな絶対的な善意を真っ向から拒絶することは、子犬を蹴り飛ばすのと同じくらい精神的な罪悪感を伴う。だから、非常に断りづらい。
「ナギ様、お口の端が汚れておりますよ」
「あ、自分で拭きま――」
「じっとしていてください」
セラフィーナが柔らかな指先で俺の口元を拭い、菩薩のような笑みを浮かべた、その時だった。
「ストォォォップ!! その手からナギを離しなさい!!」
バンッ! とカウンターが叩き割れんばかりの勢いで叩かれ、鬼の形相をしたリゼが身を乗り出してきた。
「ちょっと! 昨日から急に出てきて、何ナギに餌付けしてるの! あーんでご飯食べさせるのは私の役目なのに!」
「聖女セラフィーナ。あなたの無自覚な魔力行使とカロリー投与は、私の構築した休養プロトコルに対する重大な侵害よ」
リゼの隣では、フランが杖の先からギリギリと不穏な魔力光を放っている。
「お兄さんのお昼は、私が一緒に食べるはずだったのにー! ずるいずるい!」
「昼の馬鹿、うるさいわよ。……あんた、聖職者のくせに随分と図々しい真似をするじゃない」
ルゥが地団駄を踏み、一瞬だけ表に出たルナが氷のような視線でセラフィーナを射抜く。
出揃ってしまった。
『淑女協定』によって週に一日の我慢を覚えたとはいえ、通常業務日における彼女たちの独占欲と縄張り意識は健在、いや、むしろ研ぎ澄まされている。
一触即発の空気。
普通なら、ここでヒロイン同士の血みどろの牽制が始まるのだが。
「皆様」
セラフィーナは俺の肩に手を置いたまま、聖母のような、一切の曇りがない微笑みを三人に向けた。
「お静かにお願いいたします。ナギ様は今、お食事と休息の最中なのですから」
「はあ!? あんたが勝手に――」
「ナギ様は、ひどく消耗しておられます」
リゼの怒鳴り声を、セラフィーナの静かで透き通った声が遮った。
「皆様が彼に頼り、重荷を背負わせ、その精神をすり減らしているからです。……私は、そんな彼を見るのが忍びない。ただ彼の傷を癒やし、支えたいだけなのです」
その言葉に、三人はビクッと肩を跳ねさせ、言葉を詰まらせた。
「私には、ナギ様を独占したいといった我欲はありません。ただ、無償で彼をお支えする。……それに、何か問題がありますか?」
完璧な正論。そして、底なしの善意。
自分たちがナギを消耗させているという自覚がある三人にとって、セラフィーナの「無償の奉仕」は、手を出せない最強の盾だった。
感情で怒るリゼも、理屈で攻めるフランも、実力行使のルナでさえ、この純度100%の「善意の暴力」の前には攻め手を見出せない。
「う……っ、で、でも……!」
「論理的ではあるけれど……ひどく、納得がいかないわ……」
悔しそうに歯噛みする三人を見下ろし、セラフィーナはふう、と小さく息を吐いた。
「ですが、教団から通うとなると、どうしてもナギ様をお守りする時間に死角ができてしまいますね」
「……え?」
「やはり、もっと近くで支えた方が『効率的』ですね」
セラフィーナは、俺の耳元でそう囁き、完璧な笑みを深めた。
「ナギ様。これからは私が、あなたの全てをお支えいたします」
俺の胃が、治癒魔法をかけられているにもかかわらず、キリキリと悲鳴を上げ始めた。
見捨てられ不安、管理依存、二重人格。そこに新たに加わった、『善意100%の過剰ケア』。
俺の平穏への道のりは、また一歩、修羅の道へと深く沈んでいった。




