第26話 非番日の森と、誘い受けの受付
素晴らしい寝起きだった。
目覚まし代わりの怒声も、窓の外からの監視の気配もない。
俺はたっぷりと午前中を睡眠に費やし、心身ともに完璧な状態まで回復したところで、予定通り街外れの森へと向かった。
目的は、純粋なリフレッシュとしての『森林浴』だ。
「ナ、ナギさん……! 本日は我々の採取依頼に同行していただき、光栄の極みです!」
「あ、いえ。こちらこそ急に混ぜてもらってすみません、ザックさん」
森の入り口で俺を出迎えたのは、Cランクパーティー『鉄の風』のリーダー、ザックだった。
中堅の常識的な冒険者である彼は、なぜか俺に対してガチガチに緊張し、直立不動で敬礼している。
「と、とんでもない! 『あの』の方々を手懐ける、猛獣使い……いや、相談窓口の主様をお守りできるなんて、冒険者冥利に尽きます!」
「手懐けてませんよ。ただの相談員です」
どうやら一般の冒険者たちの間では、俺は『ヤバい連中を裏で操る黒幕』のような扱いになっているらしい。不本意極まりない。
俺はザックたちに護衛されながら、木漏れ日の落ちる森の奥へと足を踏み入れた。
鳥のさえずり。草葉の擦れる音。
澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。
「はぁ……。最高ですね。森ってこんなに静かだったんだ」
「そ、そうですね……。でも、なんだか不自然なほど魔物の気配がありませんが……」
ザックが剣の柄に手をかけ、周囲を警戒する。
確かに、この森は低級の魔物が頻出するはずなのだが、今のところゴブリン一匹すら姿を見せない。
――その時だった。
ドゴォォォォンッ!!
遥か前方の茂みの奥で、凄まじい爆発音と共に、青白い冷気の柱が天を突いた。
「な、なんだ!?」
「ザックさん、前方に巨大な猪の魔物が……って、ヒィィッ!?」
パーティーの斥候が悲鳴を上げた。
見れば、俺たちの進路上に現れかけた巨大な猪の魔物が、一瞬にして『巨大な氷の彫像』と化し、粉々に砕け散ったところだった。
「……あれは、極大の氷結魔法……? まさか、あの理詰め魔法使い様が……?」
「待て、右からも何か来るぞ!」
今度は右側の木々の奥で、シュガァァンッ! という空気を切り裂くような剣閃が閃いた。
近づいてきていた狼の魔物の群れが、見えない斬撃によって一瞬で更地に変わる。
「Aランク剣士の……真空刃……!」
「上だ! 樹上に毒蜘蛛が!」
「いや、もう死んでます! 真っ黒な影が、音もなく蜘蛛の首を掻き切って……魔物の死体を回収して消えました!」
「裏社会の死神までいるじゃないかぁぁぁ!!」
一般冒険者であるザックたちは、完全に恐れ戦き、ガクガクと震えて抱き合っている。
森の奥深く。
俺の視界には絶対に入らない絶妙な距離感で、極大魔法と、真空刃と、暗殺の刃が乱舞し、この森の生態系を猛スピードで破壊していく。
「……なるほど」
俺は、遠くで上がる爆発音を聞きながら、静かに息を吐いた。
『淑女協定』の第二項。
――非番日の私生活には、一切迷惑をかけないこと。
彼女たちは、ルールを破っていない。
俺の視界には入っていないし、俺の歩く道は完全に整備され、服に泥跳ね一つ起こらない。
つまり彼女たちにとって「迷惑をかけない=遠くから森ごと魔物を殲滅して絶対の安全を確保する(ストーキング)」という解釈なのだ。
(相変わらず、極端な連中だ……)
俺は胃の辺りをさすりながらも、どこか呆れたような、それでいて少しだけ温かい気持ちになっている自分に気づいた。
前世の臨床心理士としての経験から言っても、依存傾向の強い人間が「自分の欲求を我慢する」というのは、血を吐くほど苦しいことだ。
彼女たちは今、俺の隣を歩きたい、俺に抱きつきたいという強烈な衝動を必死に抑え込み、ルールを守るために『見えない護衛』に徹している。
不格好で、やりすぎで、ザックたちには多大な恐怖を与えているが。
それでも、直接出てきて俺の邪魔をしないことは、彼女たちなりの『我慢』であり、『成長』の証だった。
「ナ、ナギさん! これ以上進むと我々の命が危ないです! 森が更地になってしまいます!」
「……そうですね。薬草も十分集まりましたし、帰りましょうか」
俺は震える彼らを宥めながら、来た道を引き返すことにした。
* * *
森を抜け、街の入り口に辿り着く頃には、日は少し傾きかけていた。
ザックたちは「お、お疲れ様でしたぁっ!」と脱兎の如く逃げ帰っていった。巻き込んでしまって本当に申し訳ない。
俺は一人、ギルドの宿舎へ向かって石畳の道を歩く。
街の中央広場からは、賑やかな音楽と人々の歓声が聞こえてきた。
今日は年に一度の『建国祭』。
屋台が立ち並び、色とりどりの旗が揺れ、すれ違う人々の顔は誰もが楽しそうだ。
「……お祭り、か」
俺は足を止め、遠くに見える祭りの喧騒を眺めた。
今日は一日、本当に心が休まった。
自分のペースで歩き、静かに思考を整理し、誰にもペースを乱されなかった。
前世のトラウマで張り詰めていた神経も、今はすっかり解れている。
――心が回復し、余裕ができたからこそ。
俺は、自分の内側にポツンと生まれた『小さな空白』に気がついてしまった。
誰も俺の右腕を引っ張らない。
誰も俺の健康を管理しようとしない。
誰も俺の背後から小言を言わない。
それがこんなにも……「寂しい」と、感じてしまうなんて。
「……ミイラ取りがミイラになる、とはよく言ったものだな」
俺は小さく自嘲した。
カウンセラーである俺自身もまた、あの騒がしくも温かい彼女たちの存在に、確かに惹かれ、救われていたのだ。
俺は、背後の路地裏――気配を消してずっと俺を見守っているであろう『見えないストーカーたち』に向かって、わざと聞こえるように、少しだけ大きな声で呟いた。
「あーあ。誰かと一緒に、お祭り回れたら楽しいだろうなぁ」
言った直後だった。
ガサァァァッ!!
背後の茂みや木箱の陰から、三つの影が物凄い勢いで飛び出してきた。
「私!! ナギ、私がエスコートする!」
服に大量の葉っぱをつけたリゼが、尻尾を振る犬のように飛びついてくる。
「ゆっくり休めたようね。あなたの寂しさを埋めるのは、合理的に考えて私しかいないわね」
顔に少し泥をつけながらも、フランがドヤ顔で杖を構える。
「やっほーお兄さん! ルナが『接触の許可が出たわよ』って表に出してくれたの! お祭り行こー!」
ルゥが俺の背中に元気よくダイブしてくる。
全員、森で大暴れしてきた痕跡がバッチリ残っていた。
俺の呟きを聞いて、我慢の限界を突破して飛び出してきたのだろう。
「……約束破りましたね?」
俺がわざと意地悪く言うと、三人はビクッと肩を揺らした。
「ち、違うもん! ナギが寂しいって言ったから!」
「例外規定よ。運用管理者からの要請があれば、協定は一時解除されるわ」
「お兄さんから誘ってくれたんだもん! いいよね!?」
必死に言い訳をする彼女たちを見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「……ふふっ。ええ、仕方ないですね。特別許可を出します」
「「「やったぁ!!」」」
俺の言葉に、三人は花が咲いたようにパァッと顔を輝かせた。
右に最強剣士、左に天才魔法使い、背中に双極の盗賊。
再び俺の休日は、最高に騒がしくて重たい、修羅場の連中によって埋め尽くされた。
「それじゃあ、行きましょうか」
すれ違う男たちからの「来世で爆発しろ」という怨嗟の視線を背に受けながら、俺は柄にもなく浮かれた足取りで、祭りの広場へと足を踏み入れたのだった。




