第21話 昼は抱きつき、夜は監視する
昼下がりの冒険者ギルド。
書類仕事に追われていた俺の右腕に、ふわりと柔らかいものが押し付けられた。
「ナギお兄さん、おっつかれー!」
亜麻色の髪を揺らし、人懐っこい笑顔で覗き込んでくる盗賊少女、ルゥ。
彼女はカウンターの横から身を乗り出し、俺の腕にぴったりと抱きついていた。距離が物理的にゼロである。
「ルゥ。ここはギルドの窓口です。腕から離れてください」
「えー、いいじゃん! お兄さんが作ってくれた予定表のおかげで、今日の午前中すっごくスムーズに仕事終わったの! これはその感謝のハグ!」
「感謝は言葉だけで十分受け取りますから」
俺が引き剥がそうとしても、ルゥは「えへへ〜」と笑ってさらに体重をかけてくる。
自分で責任を負うことに怯えていた彼女は、「ナギが予定を決めてくれる」という事実に強烈な安心感を覚え、結果として俺へのスキンシップが爆発的に増えていた。
しかし、そんな平和(?)な時間は、背後からの殺気によって一瞬で凍りついた。
「……何、ひっついてるの」
カウンターの斜め四十五度から、地を這うような低い声が飛んできた。
Aランク剣士のリゼだ。彼女は木剣の柄をギリギリと握りしめ、ルゥを親の仇のように睨みつけている。
「ナギは私の担当なんだけど。離れて」
「えー? でも私、ナギお兄さんに毎日の予定管理してもらってるし! 私の方がお兄さんと密接だよ?」
「密接……!? ずるい! 私が先なのに!」
リゼはダンッ! と床を蹴ってカウンターに突進してくると、ルゥを押し退けるようにして、今度は俺の左腕にガシッと抱きついてきた。
「リゼ!?」
「ナギはギルドのみんなには平等でしょ! あの子が抱きつくなら、私だって抱きつく権利がある!」
「どんな権利ですか! 離れなさい!」
右腕に盗賊、左腕に最強剣士。
両側からホールドされ、俺が身動きを取れなくなっていると、今度は正面から氷のように冷たい声が降ってきた。
「業務上、極めて不適切な距離感ね」
濃紺のローブを纏った天才魔法使い、フランだ。
彼女は杖を床にコツンと突き、理路整然と二人を責め立てる。
「受付担当者との過度な身体的接触は、相談窓口の公平性を著しく損なうわ。ぽっと出の盗賊と野良犬が彼の時間を奪うことは、私の休養プロトコルに対する重大な侵害よ」
「うわぁ、なんか難しい言葉ばっかりでわかんないや! お兄さん、ぎゅーっ!」
「負けない! ナギ、こっち見て!」
ルゥとリゼがさらに力を込めて密着してくる。
すると、フランはふぅとため息をつき、おもむろに杖を置いた。
「……とはいえ。運用管理者という『資源』の分配が不平等に偏ることは、私というシステムの安定にも悪影響を及ぼすわ。公平性を維持するためには、分配の均等化を図る必要があるわね」
「フラン? 何言ってるんですか?」
「失礼するわ」
フランは真顔のままカウンターの奥に回り込むと、なんと俺の背後から両腕を回し、首元にすっきりと抱きついてきた。
背中に柔らかな感触と、少しひんやりとした彼女の体温が伝わってくる。
「ふ、フランまで何やってるんですか!!」
「物理的接触による、資源の公平な再配分よ」
「理屈をつけて抱きつくな!!」
右にルゥ、左にリゼ、背後にフラン。
完全に逃げ場を失った俺は、周囲の冒険者たちからの生暖かい視線を全身に浴びながら、備え付けのホイッスルを全力で吹き鳴らした。
「ピーーーッ!! ここはグループセッションの会場でも、ふれあい広場でもありません! 全員、即座に離脱すること!!」
俺の叫び声が、ギルドの天井に虚しく響き渡った。
* * *
そして、夜。
三人の相手で精神的リソースが完全に枯渇した俺は、戸締まりを終え、重い足取りで家路についていた。
「……疲れた」
薄暗い夜道を歩きながら、早くベッドに倒れ込みたいと考えていた、その時。
「西通りのパン屋に寄って帰るんじゃなかったの」
背後の暗がりから、ふいに声がした。
振り向くと、路地の影に溶け込むように立つ少女の姿があった。
亜麻色の髪に革の軽鎧。昼間のルゥと同じ姿。
だが、その冷たく鋭い瞳は、間違いなく夜の彼女――『ルナ』だった。
「……ルナ。なぜ俺がパン屋に行こうとしていたことを知っているんですか。あなたは昼間、眠っていたはずですよね?」
俺が当然の疑問を口にすると、ルナは鼻でふんと笑い、腕を組んだ。
「裏通りの浮浪児たちに小銭を握らせて、昼間のあなたの周辺を『監視』させているのよ」
「……はい?」
「昼過ぎ、あなたがギルドマスターと『明日の朝食がないから、帰りに西通りのパン屋に寄る』と話していたと、ちゃんと報告が上がっているわ」
背筋がゾクリとする。
情報屋や浮浪児のネットワークを使った、人力の監視網。いかにも手慣れた盗賊らしい手口だが、対象が俺の私生活なのが恐ろしすぎる。
「俺の行動を、ずっと監視しているんですか?」
「人聞きの悪いことを言わないで。私はあなたを『保護』しているだけよ」
ルナは音もなく俺に近づき、ジトッとした目で俺を見上げた。
「あなたは無防備すぎるのよ。昼間の馬鹿の予定を管理して、あの騒がしい剣士と理屈っぽい魔法使いにまで取り囲まれて。……私たちの生活基盤を握るあなたが、過労で倒れたり、夜道で不意打ちを食らったりしたら、一番困るのは私なのよ」
「だからって、情報屋まで使って尾行するのは……」
「警護よ。現に、さっきからあなたの後ろをつけていた酔っ払いは、私が別の路地へ誘導しておいたわ」
ルナが顎で指し示した方向を見ると、確かに遠くで酔っ払いがゴミ箱に突っ込んでいる音がした。
……ありがたいが、完全にやりすぎである。
昼のルゥが「決めてもらう安心」に依存し、無邪気に俺の腕に抱きついてくるのに対し。
夜のルナは「任せるならこの人しかいない」という警戒混じりの信頼から、俺の行動を全て把握し、背後から監視・保護するという方向へシフトしていたのだ。
「あの二人の女……リゼとフランと言ったかしら」
ルナが、ふと冷たい声で言った。
「あいつら、あなたに抱きついて喜んでいたそうね。結局は自分の感情と理屈を押し付けているだけ。非効率の極みだわ。……その点、私は影からあなたの安全を完璧に確保できる。私がいれば、他の護衛なんて不要よ」
それは、夜の彼女なりの『不器用な独占欲』の表れだった。
ルナは少しだけツッコミを入れるように、小さくため息をつく。
「大体、あなたが優しすぎるのよ。昼の馬鹿の相手だけでも疲れるのに。……ほら、早く帰りなさい。部屋の鍵を閉めて、私があなたの家の周りに罠を張り終えるまで、ちゃんと見張っていてあげるから」
有無を言わさぬその態度に、俺は反論を諦めて歩き出すしかなかった。
夜は夜で、俺の私生活とプライバシーが完全に消滅しつつある。
* * *
翌朝。
出勤してカウンターの席に着いた俺は、ふと机の上に置かれた見慣れない羊皮紙の束に気づいた。
「なんだ、これ……?」
それは、ルゥとルナに渡した『引き継ぎノート』の切れ端のようだった。
だが、そこに書かれていたのは、彼女たちの明日の予定でも、持ち物の確認でもなかった。
丸っこいルゥの字と、鋭いルナの字が、交互に書き込まれた表。
そこには、俺の二十四時間のスケジュールが勝手に分割され、どちらが俺のそばにいるかがびっしりと割り振られていた。
『午前:ルゥ(ギルドでお手伝いしつつナギお兄さんを癒やす!)』
『午後:ルゥ(お兄さんの休憩時間に一緒におやつを食べる)』
『夕方:ルナ(帰宅経路の安全確保・周辺の不審者排除)』
『深夜:ルナ(自宅周辺の警備・就寝状況の確認)』
昼は抱きつき、夜は監視する。
同一人物による、二十四時間体制の完全包囲網。
俺は頭を抱え、その紙の一番上に書かれたタイトルを、虚ろな目で見つめた。
『見守り担当表』
……俺の平穏は、ついに二十四時間体制で奪い去られてしまったらしい。




