第19話 引き継ぎノートで人は救えますか
翌日の昼下がり。
冒険者ギルドが程よく賑わう時間帯に、亜麻色の髪を無造作に束ねた盗賊少女が、カウンターの前にひょっこりと姿を現した。
「やっほー、ナギお兄さん! 今日もいい天気だね!」
人懐っこい笑顔。軽やかな身のこなし。
昨日と同じ、昼の『ルゥ』だ。
昨夜、氷のように冷たい目で俺を見下ろしていた『ルナ』とは、同じ顔と身体を共有しているとは到底思えない。
「こんにちは、ルゥ。ちょうどいいところに来ましたね」
「ん? なになに、私にプレゼント?」
俺がカウンターの下から取り出した真新しい一冊のノートを見て、ルゥは目を輝かせた。
「違います。実務用の備品です」
「えー。なにこれ、借金の帳簿? 私、字を書くのあんまり得意じゃないんだけどなー」
「引き継ぎノートです」
俺がノートを差し出すと、ルゥはきょとんと首を傾げた。
「ひきつぎ?」
「ええ。昼のあなたと、夜のルナさん。二人で生活を回すための、業務連絡帳です」
「……ルナ?」
「夜のあなたが名乗った名前です」
その名前に、ルゥの肩がピクリと跳ねた。
無理に作っていた明るい笑顔が、少しだけ強張る。
「……そっか。夜の私、ちゃんとナギお兄さんとお話ししたんだね」
「ええ。色々と有意義な協議ができました。その結果が、このノートです」
俺はノートの表紙をめくり、最初のページに書き込んだ項目を指差した。
「基本ルールは簡単です。昼の終わりと夜の終わりに、必ずこのノートに必要事項を記入すること」
「必要事項って?」
「例えば……今日あったこと、明日の予定、触らない方がいい相手や近づいてはいけない場所。それから、所持金や受けている依頼の状況です」
そこで俺は、ふと気になっていたことを尋ねた。
「一つ確認なんですが。昼はあなたが動いて、夜はルナさんが動く。……身体はいつ休めているんですか?」
「え? 私、夜ご飯のあとくらいから朝までずっとぐっすり寝てるよ?」
ルゥがきょとんとして答える。
俺は少し考え込んだ。
「……なるほど。ルナさんが夜通し起きているわけではなく、数時間だけ活動して、きっちり睡眠をとっているんですね」
「えっ!? 私、夜中も起きてたの!? 通りで朝起きたらお腹空いてるわけだ……」
「自分の身体のことでしょう。だからこそ、このノートで生活のすり合わせが必要なんです。緊急時のルールも追々決めていきましょう」
俺が淡々と説明すると、ルゥは露骨に顔をしかめた。
「えええーっ、めんどくさーい! そんな堅苦しいの、絶対続かないよぉ〜」
「続けてください。あなたの生活と命がかかっています」
「うぅ、ナギお兄さんスパルタだぁ……」
机に突っ伏して駄々をこねるルゥ。
すると、カウンターの斜め四十五度の定位置から、鋭い視線と声が飛んできた。
「……ナギ。あの子と交換日記するの?」
Aランク剣士のリゼだ。手元で木剣をギリギリと握りしめている。
「違います。彼女の生活改善のためのツールです」
「業務連絡なら、ギルドの所定書式を使いなさい」
今度は少し離れた柱の陰から、濃紺のローブを纏ったフランが歩み寄ってきた。
「特定の冒険者と私的交流を深めることは、昨日制定されたばかりの『ナギ運用協定』の精神に反するわ。それとも、私が新しい契約書を用意するべきかしら?」
「だから俺は共有資源じゃありません。それに、これは俺との交換日記ではなく、彼女自身との連絡帳です」
俺がピシャリと言うと、リゼとフランは「ふーん……?」と疑わしげな目をルゥに向けつつ、一応は引き下がった。
油断するとすぐに飛び火してくる。この窓口の周辺は本当に気が抜けない。
「……なんか、お兄さんの周りっていつも賑やかだね」
「賑やかというより、火薬庫です。で、ノートの話に戻りますが」
俺が視線を戻すと、ルゥはノートを見つめたまま、少しだけうつむいていた。
「ねえ、ナギお兄さん」
「はい」
「やっぱり、夜の私なんて……消えた方が楽なのかな」
ぽつり、とこぼれ落ちた声。
それは、昨日の『ルナ』が言っていたことと同じだった。
ルナも言っていた。「片方を消した方が早い」と。
一つの身体を二人で使うのは、不便で、非効率で、何より恐ろしい。だから、どちらかがいなくなれば、全て解決するのではないか。
前世のカウンセラーとしてのセオリーなら、ここで「そんなこと言わないで」「あなたはあなたのままでいい」と、感情に寄り添う受容の言葉をかける場面かもしれない。
だが、俺は違う。
彼女たちの問題は、感情のすれ違いだけではない。物理的な生活の破綻なのだ。
「消す方法を探すより先に、まずは今日の所持金を合わせる方法を試しましょう」
俺が実務的なトーンで言い切ると、ルゥは驚いたように顔を上げた。
「……え?」
「どちらかが消えれば解決する、というのは幻想です。今、二人で一つの身体を使って、実際に生活している。なら、どちらも明日を回す当事者なんですよ」
「……」
「だから、切り捨てるのではなく、繋げる方法を試すんです。このノートで」
俺の言葉に、ルゥはしばらく目を瞬かせていた。
やがて、彼女の表情から不安の影が少しだけ薄れ、ふにゃりと柔らかい笑みがこぼれた。
「……そっか。ナギお兄さんは、どっちも選ばないんだね」
「選ぶ権限も理由もありませんから」
昼のルゥを「可哀想な被害者」として同情するわけでもなく、夜のルナを「厄介な別人格」として排除するわけでもない。
ただ、二人で明日を生き抜くためのルールを淡々と提示する。
それが、この異世界で俺ができる唯一の『実務』だ。
昨夜のルナも、似たような反応だった。
『……非効率の極みね。一つの身体で伝言ゲームだなんて』
ノートの提案を受けたルナは、冷たい声でそう吐き捨てた。
『でも……昼の私が邪魔でも、切り捨てて生活が回らなくなったらもっと面倒になるわ。……破綻するよりはマシね』
そう言って、彼女は渋々ペンを取ったのだ。
昼のルゥも、夜のルナも、俺が「どちらかを消そうとしない」ことに揺れ、そして実務の提案を受け入れた。
「じゃあ、さっそく昨夜のルナさんからの引き継ぎ事項を確認しましょう」
俺が促すと、ルゥはおずおずとノートのページをめくった。
そこには、昨夜のルナが書き残した、鋭く整った文字が並んでいた。
『引き継ぎ事項。
所持金:銀貨十二枚、銅貨五枚。無駄遣いするな。
睡眠:深夜二時から六時まで確保済み。部屋の周囲に鳴子と毒糸の罠を張り、情報屋のガキに見張らせているから安全だ。
危険箇所:東区画の酒場には近づくな。揉め事の種を撒いておいた。
依頼:薬草採取のみ可。面倒な仕事は受けるな。』
「うわぁ……」
ルゥが顔を引きつらせる。
「なんか、めっちゃ細かく書いてるし……文字からして超上から目線なんだけど。っていうか毒糸の罠!? 私、そんな物騒な部屋で寝てたの!?」
「文句は夜の自分に言ってください。あ、まだ続きがありますよ」
俺が指差したページの下部には、昼のルゥに宛てた私的なメッセージが書き添えられていた。
『昼の私へ。
隙だらけでへらへらするな。
それと、ナギに変な顔で近づくな。迷惑だ』
「…………は?」
ルゥの動きが、ピタリと止まった。
三秒ほどの沈黙の後。
「はあああぁぁぁ!? な、なにこれ!!」
バンッ! とルゥがカウンターを叩き、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「変な顔って何!? 私とあんた、全く同じ顔でしょうが!!」
「いや、俺に言われても困ります」
「それに迷惑って何!? ナギお兄さんは私の味方だもんね!? 夜のあんたなんかより、ずっと仲良しなんだから!」
ルゥはノートに向かって、激しく文句を言い始めた。
さっきまでの「消えた方がいいのかな」という深刻な悩みはどこへやら。完全にノート越しの口喧嘩が勃発している。
「……ナギ。あの子、一人で怒っているけれど、大丈夫かしら?」
「放っておきましょう、フラン。彼女たちの内部抗争です」
「私も混ぜて!」
「リゼは座っててください」
引き継ぎノートによる、同一人物の共同生活。
実務的な連携の第一歩は、どうやら互いの不満をぶつけ合う『交換日記』から始まることになりそうだ。
……また一つ、俺の日常に面倒な管理業務が増えてしまった。
胃の辺りをさすりながら、俺は今日何度目かわからないため息を吐いたのだった。




