第18話 夜の彼女は、昼の私を信用していない
「……昼の私が、世話になったそうね」
静寂に包まれた閉館後のギルド。
ランプの薄暗い灯りに照らされたその少女は、昼間に「夜の自分が何をしてるかわからない」と泣きついてきた盗賊のルゥと、寸分違わぬ姿をしていた。
だが、纏っている空気がまるで違う。
昼の彼女が人懐っこい子犬だとしたら、目の前の彼女は警戒心剥き出しの黒豹だ。
俺は手に持っていた帳簿をゆっくりと机に置き、彼女に向き直った。
「……ルゥ、ですか?」
「ルナよ」
少女は短く、ひどく乾いた声で言った。
「昼のあいつと、一緒にしないで」
「ルナさん、ですね」
「さん、はいらない。ルナでいい」
ルナは音もなくカウンターに近づくと、値踏みするように俺を上から下まで見つめた。
その視線には、昼間のルゥが見せたような甘えや親愛の情は一切ない。純粋な『敵か味方か』を判別するための、冷徹な観察眼だった。
「昼のあいつが、ここで馬鹿みたいに泣きついていたわね」
「馬鹿ではありません。彼女は真剣に悩んでいましたよ」
「甘いわ」
ルナは鼻で笑って、吐き捨てるように言った。
「隙だらけ。すぐ人を信じすぎる。あいつが不用意にヘラヘラしているせいで、どれだけ厄介な事態を招いているか、あいつ自身はこれっぽっちもわかっていないのよ」
「厄介な事態?」
「ええ」
ルナは腕を組み、不機嫌そうに眉を寄せた。
「昼間、あいつが机に置いた短剣。あれは、あいつが裏通りの情報屋にカモにされそうになっていたから、私が夜のうちに『回収』して、釘を刺しておいたのよ」
「なるほど」
「靴が泥だらけだったのは、あいつが昼間に落とした路銀を、私が夜の森まで探しに行ったから。銀貨の増減だって、私が生活費を計算してやりくりしてる結果よ」
次々と明かされる、ルゥが怯えていた不可解な現象の答え合わせ。
それはすべて、夜のルナが昼のルゥを――あるいは自分たちの身体を――守るために行った『後始末』だったのだ。
「なのに、あいつはどうよ。私がせっかく尻拭いをしてやっているのに、勝手に『自分がヤバい仕事をしてるんじゃないか』って怯えて、見ず知らずの受付に泣きつく始末」
ルナの口調が、少しだけ早くなる。
冷たい態度の裏に、苛立ちと、どうにもならない不満が透けて見えた。
「私が夜に動かなければ、あいつはとうに裏路地で死んでるわ。それなのに、あいつは夜の私を怖がる。……私からすれば、昼のあいつの方がよっぽど脅威よ。次にどんな馬鹿なことをしでかすか、わかったもんじゃない」
「それで、あなたは昼の彼女をどうしたいんですか?」
俺が静かに尋ねると、ルナはピタリと口を閉ざした。
「……どうしたい、って」
「昼のルゥが邪魔なら、夜のあなたがずっと起きていることもできるはずです。でも、そうしていない。あなたは昼の時間を彼女に譲り、夜にだけ起きて後始末をしている。なぜですか?」
「それは……」
ルナはわずかに視線を逸らした。
「一人の身体で、二十四時間は動けないからよ。私が休むためには、あいつに昼を任せるしかない」
「それだけですか?」
「……私が昼に出ても、うまく笑えないのよ。依頼の交渉も、仲間との付き合いも、あいつの方がうまくやる。だから、任せているだけ」
ルナは忌々しそうに舌打ちをした。
「要するに、責任の所在が曖昧なのが嫌なのよ」
「責任」
「ええ。あいつが作ったツケを私が払い、私がやったことの成果をあいつが享受する。あいつは私の記憶を持たないくせに、私と同じ顔で生きている。……結局、この身体の責任はどっちが取るべきなの?」
ルナの問いは、ひどく切実だった。
昼のルゥは、夜の自分が何をしているかわからないことに怯えていた。
対して夜のルナは、昼の自分が何をしでかすかわからないことに苛立ち、全ての責任を背負わされていることに疲弊している。
昼は甘えて泣きつかれ、夜は冷たい目で睨まれる。
相談窓口の業務難易度が、同じ顔の少女一人によって急激に跳ね上がっている気がする。前世の多重人格のケースだって、ここまで極端に昼夜でパキッと分かれたりはしなかったぞ。
「……ねえ」
ルナが、俺を鋭く睨んだ。
「あなた、昼のあいつに『一緒に考える』って言ったわね」
「はい、言いました」
「じゃあ、答えて。あなたは、昼のあいつと夜の私、どっちが『本物』だと思うの?」
試すような目だった。
どちらかを切り捨て、どちらかを生かす。あるいは、無理やり統合して一つの人格に戻す。
彼女は、俺がそういう「よくある解決策」を提示してくるのを待っている顔だった。
「俺は、受付ですよ」
「は?」
「霊媒師でもなければ、高位の魔法使いでもない。だから、どちらが本物かとか、どっちの魂が先かとか、そういう話をする気はありません」
「……どういうことよ」
「どちらが本物か決める必要なんて、そもそもないと言っているんです」
俺がはっきりと言い切ると、ルナの目がわずかに見開かれた。
「俺は、どちらか一方だけを相手にするつもりはありません。昼のルゥの相談にも乗るし、夜のルナの話も聞きます」
「……馬鹿じゃないの」
ルナが吐き捨てる。
「あいつと私は、記憶も繋がっていないのよ? 両方を相手にするなんて、非効率の極みだわ。どちらかを使える方だけ残して、もう片方を消した方が早いでしょ」
「片方を消して、残った方が幸せに生きられる保証はどこにもありませんよ」
俺は机の上の帳簿を軽く叩いた。
「昼のルゥは、あなたの後始末を知らないから怯えている。あなたは、昼のルゥが何をするかわからないから苛立っている」
「……」
「今一番の問題は、『どちらが本物か』じゃない。一人の身体で、二人分の生活を回すための連携が全く取れていないことです」
俺はまっすぐ、ルナの冷たい瞳を見据えた。
「だから、今必要なのは、明日をどう破綻させないかという実務の整理です」
ルナは、何も答えなかった。
ただ、俺の言葉を品定めするように、じっと見つめ返してくる。
普通なら、昼の明るいルゥを「可哀想な被害者」として扱い、夜の冷たいルナを「厄介な別人格」として扱うだろう。
だが、俺は昼のルゥを馬鹿にしなかったのと同じように、夜のルナの言い分も否定しなかった。彼女の「後始末をしている」という労働の事実を、実務的な問題として受け止めた。
それが伝わったのかどうか。
ルナの張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
「……それで?」
ルナが、わずかに顎を上げた。
「実務の整理って、具体的に何をするつもりよ」
「簡単ですよ」
俺は机の引き出しから、真新しい一冊のノートを取り出した。
「昼と夜で記憶が途切れるなら、記録を残せばいい。まずは、あなたとルゥの間で『引き継ぎ方法』を作りましょう」
ノートを差し出すと、ルナは訝しげにそれを見下ろした。
引き継ぎ。
つまり、自分と昼の自分を、同じ身体を使う「共同生活者」か「業務のシフト交代要員」のように扱うという提案。
ルナは数秒間、そのノートと俺の顔を交互に見ていた。
やがて彼女は、フンッと鼻を鳴らし、腕を組んだままそっぽを向いた。
「……選ぶつもりじゃないなら、その続きを聞く」
冷たい声のままだったが、そこには確かな「譲歩」の色が滲んでいた。
昼の盗賊は、自分の夜を信用していない。
夜の盗賊は、昼の自分を信用していない。
全く正反対の顔を持つ、めんどくささ2倍の新相談者。
俺の業務負担は増える一方だが、少なくとも対話のテーブルに着かせることには成功したようだ。




