第17話 昼の盗賊は、自分の夜を信用できない
「昼の私は、全然平気で元気なんだけどさ」
「……はい」
「夜の私が何をしてるか、よくわからないんだよね。……ちょっと、相談してもいい?」
人懐っこい笑顔でそう言った盗賊の少女、ルゥ。
その言葉に含まれた不穏な響きに、俺は少しだけ姿勢を正した。
「ええ、構いませんよ。ここでは込み入った話も何なので、奥の部屋へどうぞ」
「やった! ありがとう、受付のお兄さん!」
「ナギです」
「ナギお兄さんね! よろしく!」
ルゥは身軽な動作でカウンターの横をすり抜け、相談用の小部屋へと向かう。
距離感が近い。そして、歩き方に一切の無駄な音がない。いかにも手慣れた職業盗賊だ。
俺が彼女の後に続こうとした時、背中から強烈な圧を感じた。
振り返ると、カウンターの斜め四十五度の定位置からリゼが、そして少し離れた柱の陰からフランが、親の仇でも見るような目でルゥの後ろ姿を睨みつけている。
「……ナギ。あの子、誰?」
リゼが低い声で唸る。右手はすでに剣の柄だ。
「新しい相談者だわ。でも、ナギとのパーソナルスペースの取り方が極めて不適切ね」
フランも杖の先端を床にコツコツと当てている。
「二人とも、ストップ」
俺は両手で『T』の字を作った。
「新規の相談者です。威嚇しない、魔法陣を展開しない。俺は仕事をしてくるので、おとなしく待機していてください」
二人の不満げな視線を背中で受け止めつつ、俺は小部屋に入って扉を半分だけ閉めた。
ルゥはすでに椅子に座っていたが、背もたれに寄りかかったり、机の上に身を乗り出したりと、どうにも落ち着きがない。
「さて、ルゥさん」
「ルゥでいいよ!」
「では、ルゥ。さっきの『夜の自分が何をしているかわからない』という話ですが、具体的にどういうことか教えてもらえますか?」
俺が尋ねると、ルゥは「うーんとね」と首を傾げた。
「なんかね、朝起きると、昨日の夜の記憶がすっぽり抜けてることが多いの」
「記憶が抜けている?」
「うん。夜ご飯を食べた後くらいから、次に気づいたらもう朝のベッドの中、みたいな」
ルゥはへへっ、と明るく笑う。
「最初はね、ただの寝ぼけかなって思ってたの。盗賊の仕事って夜中も多いし、疲れて寝落ちしちゃったのかなーって」
「でも、違うと?」
「うん。だって、朝起きると、ベッドの横に身に覚えのない物があるんだもん」
ルゥは腰のポーチから、一本の短剣を取り出して机に置いた。
柄に細かい装飾が施された、かなり値の張りそうな品だ。
「これ、三日前の朝起きたら枕元にあったの。私、こんな高いの買った覚えないし、盗んだ記憶もない」
「……なるほど」
「それにね、靴の裏が泥だらけになってたり、財布の中の銀貨が勝手に増えてたり減ってたりするの。極めつけは、昨日」
ルゥは少しだけ声を潜めた。
「裏通りの情報屋のオヤジにね、『昨夜のお前、目つきが違ってて怖かったぜ。いい仕事だったな』って言われたの」
「……」
「私、昨日の夜は家にいたはずなのに」
そこまで一気に喋ってから、ルゥは再び「あははっ」と笑った。
「もしかして私、夢遊病みたいな感じで、夜中に無意識にヤバい仕事とか受けてるのかなーって。ウケるよね!」
笑い飛ばそうとしている。
だが、机の上に置かれた彼女の手は、微かに震えていた。
笑っている瞳の奥には、確かな『恐怖』が張り付いている。
夜の自分が、自分の手の届かないところで勝手に動いている。
知らない人間と関わり、知らない仕事をし、知らない物を持ち帰ってくる。
それは、自分の存在の半分が、自分ではない何者かに乗っ取られているという恐ろしい感覚だろう。
(呪いか、霊障か。あるいは前世の知識で言うところの、解離性同一性障害か)
この異世界には魔法が存在する以上、魔術的な要因も否定できない。
だが、原因が何であれ、今彼女を一番苦しめているのは「得体の知れない恐怖」と「責任の所在」だ。
「……ウケませんよ」
俺は、努めて静かな、フラットな声で言った。
「それは、すごく怖いことだと思います」
ルゥの笑いが、ピタリと止まった。
「……え?」
「自分の預かり知らないところで、自分の身体が動いている。もし、夜の自分が誰かを傷つけていたら。もし、取り返しのつかない罪を犯していたら……その責任は、自分にあるのだろうか。そう思って、怖いんですよね」
俺が彼女の抱える不安の核心を言葉にすると、ルゥの目が大きく見開かれた。
そして、無理に作っていた笑顔が、パラパラと崩れ落ちる。
「……っ」
ルゥは、震える両手で自分の顔を覆った。
「……こわい」
指の隙間から、消え入りそうな声が漏れる。
「怖いよ……。私、自分が何してるかわからないの。仲間に聞いても『お前、酒でも飲みすぎたんだろ』って笑われるだけで……誰も、ちゃんと聞いてくれなくて」
「俺は笑いませんよ」
「……っ、うぅ……」
俺は急かさず、彼女が落ち着くのを待った。
リゼのように、見捨てられることを恐れているわけではない。
フランのように、休むことを恐れているわけでもない。
ルゥの恐怖は、「自分が自分であることへの不信感」だ。
やがて、小さく深呼吸をしてから、ルゥが顔を上げた。
目元が少し赤い。
「……ナギお兄さんって、すごいね」
「凄くないです。ただの受付です」
「私のこと、おかしいって言わないで、ちゃんと信じて聞いてくれるんだね」
ルゥは、ひどく安心したような、そして少しだけ縋るような目を俺に向けた。
そして、ぐっと身を乗り出し、俺の手を両手でキュッと握りしめる。
「私、お兄さんのこと頼ってもいい? 夜の私が何してるか、一緒に考えてくれる?」
「ええ。一緒に整理しましょう。まずは事実の確認からです」
「やったぁ! ナギお兄さん大好き!」
ルゥが俺の手を握ったまま、顔を近づけてくる。
距離が、物理的に近い。
ドンッ!!
その瞬間、半開きの扉が外から蹴り開けられた。
「面談時間を超過しているわ!!」
「ナギに気安く触るな、泥棒猫!!」
氷の魔力を立ち上らせたフランと、木剣を構えたリゼが、鬼の形相で小部屋に乱入してくる。
「ひゃあっ!?」
「二人とも! 乱入を禁ずるって張り紙に書いたばっかりでしょうが!」
ルゥが驚いて俺の背後に隠れ、既存ヒロイン二人の警戒心(と嫉妬)が爆発する。
ああ、もう。新しい相談者が来るたびに、どうしてこうも騒がしくなるのか。
俺は必死に二人をなだめつつ、ルゥには「今日はとりあえず、寝る前の状態をメモに残す練習をしてください」と簡単な指示を出して、なんとかその場を解散させたのだった。
* * *
そして、その日の夜。
完全に日が落ちて、ギルドの営業も終了した時間帯。
俺は、散らかったカウンターの上の書類を片付けながら、ルゥの相談内容について考えを巡らせていた。
記憶の断絶。原因の究明も必要だが、まずは彼女の生活の破綻を防ぐための『実務的な連携』が必要になりそうだ。
「……戸締まりして帰るか」
俺がランプの火を消そうとした、その時だった。
「――こんばんは」
背後から、声がした。
ゾクリ、と。
首筋に冷たい刃物を当てられたような、鋭い悪寒が走った。
ギルドの扉が開いた音はしなかった。
足音も、気配すらも、全く感じなかった。
俺はゆっくりと振り返る。
そこには、一人の少女が立っていた。
亜麻色の髪。革の軽鎧。腰に下げた小袋と短剣。
昼間に来た『ルゥ』と、全く同じ姿形をしている。
だが、纏っている空気が、決定的に違った。
昼間の彼女が陽だまりの猫だとすれば、今目の前にいるのは、闇夜に潜む冷酷な黒豹だ。
感情の一切を排した、氷のように冷たく、底知れない深さを持った瞳。
その視線で射抜かれるだけで、俺の心臓は警鐘を鳴らして早鐘を打つ。
少女は、音もなく俺の目の前まで歩み寄ると、薄い唇を微かに吊り上げた。
「……昼の私が、世話になったそうね」
その声は、ひどく静かで、そして、有無を言わさぬ絶対的な冷たさを帯びていた。




