第16話 相談窓口の注意書きがまた増えた
昼下がりの冒険者ギルド。
俺はカウンターに座り、新しい羊皮紙に木炭ペンで文字を書き連ねていた。
【冒険者ギルド・こころの相談窓口 注意事項】
・相談者同士の戦闘行為を禁ずる
・受付カウンター周辺での野営を禁ずる
・相談員に対する専属契約の強要を禁ずる
・休日の相談員の尾行、および無断での接触を禁ずる
・相談員を私的な共有資源として協定化・分配しないこと
・世界を滅ぼすかどうかの相談も受け付けます
最後の一つはあの匿名相談者宛てだが、それ以外は完全に特定の二名に向けたものである。
書き終えた羊皮紙を、これ見よがしに窓口の横へ貼り出した。
「……ナギ。その五つ目の条項は納得がいかないわ」
貼り出した瞬間、横から氷のように涼しい声が飛んできた。
濃紺のローブを纏った天才魔法使い、フランだ。
「私と野良犬……いえ、リゼとの間で結ばれた『ナギ運用協定』は、あなたの過労を防ぎつつ、私たちの機能維持を図るための極めて合理的な平和条約よ」
「俺の時間を曜日と時間帯で勝手に分割しないでください。俺は人間です」
俺がため息をつくと、今度は逆側から元気な声がした。
「ナギ! 今日の午前中の依頼、終わったよ!」
「お疲れ様です、リゼ」
ギルド専属ソロとしてすっかり板についたAランク剣士が、カウンターからひょっこりと顔を出した。
彼女はフランをチラリと見てから、得意げに胸を張る。
「協定に従って、午前中はちゃんとナギから離れて依頼こなしてきたもん。だから、今からお昼休みまでは私の接触時間だよね!」
「条約の遵守は評価するわ。でも、接触時間はあと十二分で終了よ」
「わかってる! 十二分間、全力でナギを見るから!」
「やめてください、穴があく」
バチバチと火花を散らしながらも、一応のルール(という名の俺の切り売り)に従って共存しようとしている二人。
市場での休日ストーカー事件以来、彼女たちは「争えばナギが過労で倒れる」という共通認識のもと、斜め上の連帯感を発揮し始めていた。
……本当に、どうしてこうなったのだろう。
だが。
「ナギ、はいこれ。今日の討伐証明部位」
「確認します。……見事な剣筋ですね。無理して突っ込んだような傷もない」
「えへへ。最近、剣を振ってても焦らないの。ちゃんと周りが見える」
笑うリゼの顔に、もうあの血まみれで過呼吸を起こしていた頃の悲壮感はない。
彼女は「自分が全て悪い」という自己否定の泥沼から抜け出し、ちゃんと自分の足で前を向いて歩いている。
「私の本日の経過報告も提出するわ。昨夜の睡眠は七時間。魔力出力も完全に安定しているわ」
「素晴らしいですね。顔色もすごくいいですよ」
「ええ。あなたが『休むこと』をシステムとして組み込んでくれたおかげよ」
フランもまた、限界ギリギリで張り詰めていた頃の危うさは消え、本来の知的な美しさを取り戻している。
確かに、二人は救われたのだ。
前世の知識を使った俺の関わり方は、間違っていなかった。彼女たちは確実に回復し、自分の人生を取り戻しつつある。
ただ、その結果として、俺への依存と執着がとんでもないレベルで固定化され、俺の平穏な日常が完全に消滅したというだけの話だ。
……いや、それが一番の問題なんだけど。
「おいおい、今日も窓口は大盛況だな!」
奥から出てきたギルドマスターが、増え続ける注意書きを見てガハハと笑った。
「専属契約の禁止に、尾行禁止か。お前、そのうち『相談員との婚姻はギルド長の許可を要する』とか書き足すハメになるんじゃないか?」
「笑い事じゃありません。これ以上俺の胃を削らないでください」
「いいじゃねえか。冒険者が元気なのは良いことだ!」
マスターは適当に俺の肩を叩いて去っていった。
まったく、誰のせいでこの窓口ができたと思っているんだ。
やがて、リゼとフランの「接触時間」が終わり、二人がそれぞれの訓練や研究に戻っていく。
ギルドの中が、少しだけ静かになった。
俺は椅子に深く腰掛け、大きく伸びをした。
なんだかんだで、忙しくも充実した日々ではある。
二人とも以前よりは自立し始めているし、あの匿名相談者も今のところは「人類滅亡」を保留してくれている。
このまま少しずつ距離感を調整していけば、いつかはただの「受付と冒険者」に戻れる日が来るかもしれない。
そんな、淡い希望を抱いて息をついた、その時だった。
「あのさ、ちょっといいかな?」
カウンターの前に、不意に人影が立った。
声は、明るくて軽快だった。
見上げると、そこには見慣れない小柄な少女がいた。
動きやすい革の軽鎧に、身軽さを重視したマント。腰には短い短剣と、いくつかの小袋を下げている。いかにも手慣れた盗賊といった出で立ちだ。
亜麻色の髪を無造作に束ねた彼女は、人懐っこい笑みを浮かべて、カウンターに身を乗り出してきた。
「ここって、心のこととか、なんかそういうのを相談できる窓口なんだよね?」
「……はい。こころの相談窓口です」
俺が答えると、少女は「よかった!」と嬉しそうに笑った。
距離感が近い。初対面なのに、もう何年来の友達みたいな空気を出してくる。
「私、ルゥっていうの。よろしくね、受付のお兄さん」
「ナギです。それで、ルゥさん。今日はどのようなご相談で?」
俺が業務用のフラットな声で尋ねると、ルゥは「うーんとね」と少しだけ視線を泳がせた。
そして、照れ隠しのようにへへっと笑いながら、こう言った。
「昼の私は、全然平気で元気なんだけどさ」
「……はい」
「夜の私が何をしてるか、よくわからないんだよね。……ちょっと、相談してもいい?」
その言葉の奥に潜む、確かな『不穏さ』と『断絶』。
俺の背筋に、臨床心理士としての前世の直感が、再び冷たい警鐘を鳴らした。
張り出されたばかりの注意書きを見上げる。
……どうやら俺の平穏は、まだまだ訪れそうになかった。




