第14話 休養管理契約の永続化を正式申請します
翌日。
昼下がりの冒険者ギルドで、俺は目の前にドンッと置かれた物体を凝視していた。
「……フラン。これは何ですか?」
「昨日言った通りよ。『専属休養管理契約書』の第一版を持参したわ」
濃紺のローブを纏った天才魔法使いは、胸を張ってそう宣言した。
机の上にあるのは、辞書か鈍器にしか見えない分厚い羊皮紙の束だ。革装丁までされている。徹夜で作ったのだろうか。だとしたら休養管理とは一体。
「ちょっと中身を確認させてもらいますね……」
俺は恐る恐る表紙をめくり、目次からして異常な条項の数々に目を通し始めた。
『第一条:甲は乙の就寝時刻、起床時刻、および食事内容に関する絶対的な指示権を有する』
『第七条:乙の機能低下が認められた場合、甲は他者の相談業務を中断し、乙の緊急面談枠を最優先で確保すること』
『第十五条:本契約は乙の魔力回路が完全に安定するまで有効とし、その判断は甲と乙の合意による(実質的な永続化を前提とする)』
『第二十二条:甲の他者への過剰な支援行動は、乙の精神的安定を害するためこれを制限する』
「……フラン」
「何かしら。完璧な制度設計でしょう?」
「俺を完全に囲い込もうとしてる条項ばかりなんですが」
俺がツッコミを入れると、フランは心外だというように眉をひそめた。
「囲い込みではないわ。私の機能維持に必要な継続的支援を、制度として明確化しただけよ」
「第二十二条とか完全に俺の業務妨害ですよね?」
「リスク管理の一環よ。あなたが他の相談者にリソースを割きすぎて過労で倒れたら、私の運用管理システムが崩壊するもの」
極めて理路整然と、悪意ゼロの顔で激重なことを言う。
完全に「ナギが他の人にも優しいなら、契約で縛ってしまえ」という理屈ヤンデレが爆発している。
「おう、なんだなんだ。面白そうな書類じゃねえか」
そこへ、奥からギルドマスターが顔を出した。
彼は契約書をパラパラとめくると、ニヤッと笑った。
「ほう、『甲の指示による休養中は、ギルドからのいかなる依頼も免除される』ねえ。なるほど、これなら天才様も無理せず休めるわけだ。お前ら、よく考えたな。よし、ギルドマスターの権限で承認してや――」
「押すな! その判子を今すぐしまえ!!」
俺はカウンターから身を乗り出し、ギルドマスターの腕を全力で掴んだ。
「なんでだよ、ナギ。冒険者の健康管理も受付の立派な仕事だぞ?」
「これを通したら俺の健康が管理できなくなります! 前世だったら一発で倫理委員会にかけられる案件ですよ!」
「前世? りんり? よくわからんが、お前が専属になれば丸く収まるだろうが」
「収まりません!」
俺とギルドマスターが揉み合っていると、バンッ! とギルドの扉が蹴り開けられた。
昨日、フランに首根っこを掴まれて連行されていった銀色の弾丸――リゼだ。
「ちょっと! 何勝手にナギと契約結ぼうとしてるの!?」
リゼは一直線にカウンターへ突進してくると、フランをキッと睨みつけた。
「ナギは私の担当でしょ! 私がギルドの専属ソロなのに!」
「肩書きを混同しないでちょうだい、野良犬。あなたはギルドの専属。私はナギ個人の専属休養管理対象よ。レイヤーが違うわ」
「野良犬って言うな! ナギは私に『帰ってきていい』って言ってくれたもん!」
「私は『論理的に不可欠だ』と証明したわ」
「二人とも落ち着け! 俺は誰の専属でもない!」
俺が叫ぶが、二人の間ではすでにバチバチと火花(物理的な魔力と剣気)が散っている。
「大体、そんな分厚い紙の束でナギを縛ろうなんて卑怯! ナギは人なんだから、書類じゃないの!」
「感情論ね。口約束ほど信用できないものはないわ。だからこそ明文化する必要があるのよ」
「屁理屈ばっかり! その契約書、燃やす!」
「やってみなさい。あなたごと氷漬けにしてあげる」
「待て待て待て! ギルド内で戦闘行為は禁止だと何度も言ってるだろうが!」
俺の胃壁がガリガリと削られていく。
フランの理屈で固めた重さと、リゼの感情直球の重さが正面衝突し、ギルドの広間は完全に修羅場と化していた。
ギルドマスターは「はっはっは、今日も元気だな!」と酒を飲み始めている。助けてくれないなら奥に引っ込んでてくれ。
「……ナギ」
フランがふっと杖を下ろし、俺に向き直った。
「今の第一版は、確かに安全マージンを取りすぎたかもしれないわ。では、どの条項なら妥協できるかしら? 譲歩案を提示してちょうだい」
「妥協も譲歩もしません。全部却下です。そもそもそういう契約形態の窓口じゃないんです」
「……頑固ね。なら、今日は引き下がるわ。第二版を作成して出直してくる」
「作らなくていいです!」
俺の叫びを背に受けて、フランは分厚い契約書を抱え直し、「行くわよ、野良犬」とリゼの首根っこを再び掴んだ。
「ちょっと! 私はまだナギと話が――」
「今日の面談枠は終了したわ。これ以上の滞在は彼の業務を圧迫する」
「離してぇぇぇ!」
引きずられていくリゼを見送りながら、俺は深い、深いため息をついた。
なんとか第一波は凌いだが、フランが悪意なく「合理的だ」と信じて契約を迫ってくる以上、この攻防戦は当分続くだろう。
俺は引き出しから羊皮紙を取り出し、木炭ペンで書きなぐった。
【冒険者ギルド・こころの相談窓口 追加注意事項】
・相談員に対する専属契約の強要を禁ずる
・分厚すぎる契約書の持ち込みを禁ずる
・相談員を私的な共有資源として扱わないこと
これをカウンターの目立つ場所に貼り付ける。
これで少しは牽制になるだろうか。いや、ならないだろうな。フランなら「法的な効力はない」と論破してくるに決まっている。
「……ん?」
ふと、カウンターの上に視線を戻した俺は、小さな違和感を覚えた。
さっきまで重ねて置いてあったはずの依頼書の一部が、微妙にズレている。
それに、その横に置いてあったはずの、俺が個人的に使っている安物のペンが一本消えていた。
「風で飛んだか……? いや、それにしては」
周囲を見渡すが、誰もいない。
だが、間違いなく「誰か」がここにいて、何かを持っていったような気配の残り香があった。
直感的に、俺は嫌な汗をかいた。
(感情で来る剣士、理屈で縛る魔法使い、世界を滅ぼそうとする匿名相談者……次は、もっと別の意味で面倒な相談者が来る気がする)
こころの相談窓口。
俺の平穏な事務仕事は、もう完全に過去のものになろうとしていた。




