第13話 今日も匿名相談者は人類滅亡を保留した
朝のギルド。
昨日の模擬戦で半壊した訓練場の修繕費請求書を見て、俺は深いため息をついた。
「……今月の給料、半分飛んだな」
これもすべて、天才魔法使いの「回復の証明」と、ギルド専属ソロ剣士の「嫉妬」が引き起こした怪獣大決戦のせいである。
グループセッションではありませんと叫んだところで、魔法と剣風が飛び交う戦場では誰の耳にも届かなかった。
気を取り直して、俺はカウンターの隅に設置された『こころの相談窓口用・目安箱』を開けた。
中には、上質な白い封筒が一通、ぽつんと入っていた。
差出人の名前はない。
だが、この異常に達筆な文字と、ほのかに高貴な香りのする封筒には見覚えがある。
「……また来たか」
俺はペーパーナイフで封を切り、中身を取り出した。
以前、「人類を滅ぼすべきか迷っています」という、スケールがでかすぎる匿名相談を送ってきた主からの返書だ。
前回、俺は通常業務のテンションで「不可逆な決断を下す前に、滅ぼしたい理由を三つほど箇条書きにしてください」と公開返信を掲示板に貼り出しておいたのだ。
便箋を開く。
『前略 こころの相談窓口のご担当者様。
ご教示いただいた通り、滅ぼしたい理由を三つに整理いたしました。
一、度重なる裏切りと相互不理解による精神的疲弊。
二、対話という手段の極めて高い非効率性。
三、存在そのものが目障り。
以上の理由から、やはり一括で消去する方が合理的かと存じます。いかがでしょうか』
「……三つ目がただの感情論じゃないか」
俺は誰もいないカウンターで、一人虚しくツッコミを入れた。
理路整然と語っているようで、最終的に「目障りだから」で全人類を消去しようとしている。非常に物騒だが、悩みの構造としては「感情の整理が下手なだけ」に見える。
俺は引き出しから新しい羊皮紙を取り出し、ペンを構えた。
『ご返信ありがとうございます。理由の言語化、お疲れ様でした。
一と二については検討の余地がありますが、三の理由が非常に主観的かつ感情的です。この状態で不可逆な決断を下すのは、後悔に繋がる可能性が高いです。
まずは「誰の」「どのような裏切り」が一番の原因だったのか、対象を絞って整理してみてはいかがでしょうか』
さらさらと、極めて真面目に、通常業務のテンションで返信を書き上げる。
「……ナギ。またその悪戯に付き合っているの?」
不意に、横から澄んだ声がした。
いつの間にかカウンターの前に立っていたのは、濃紺のローブを纏ったフランだった。
昨日の模擬戦でスッキリしたのか、今日も顔色は良い。ただ、その表情は少しだけ硬かった。
「おはようございます、フラン。悪戯かもしれませんが、相談として来た以上は対応しますよ」
「律儀ね。……見せてちょうだい」
フランは俺の手元を覗き込み、俺が書いた返信文を黙読した。
そして、少しだけ眉をひそめる。
「……『不可逆な決断の前に、対象を絞って整理せよ』。相手の極端な思考を否定せず、感情を論理の土俵に引きずり戻して、新しい基準を与えているわね」
「まあ、結果的にそうなりますね」
「私が『休む許可を自分に出せない』と相談した時と同じアプローチよ。あなたは本当に、誰に対してもそうやって『止まるための補助線』を渡すのね」
フランの蒼い瞳が、じっと俺を見つめた。
その眼差しには、いつもの理知的な冷たさだけでなく、どこか焦りのような、微かな揺らぎが混じっている。
「……私は、あなたが私の自己管理のバグを正確に指摘し、私専用の基準を与えてくれたのだと思っていたわ」
「あなた専用の生活ルールは作りましたよ」
「ええ。でも、その『誠実さ』自体は、私だけのものではない。あなたはこの世界を滅ぼそうとする見ず知らずの狂人にすら、同じように誠実に向き合うのね」
フランは、唇をキュッと結んだ。
自分が「特別に管理されている」と思っていた事実が揺らいだ瞬間だった。
ナギは私だけを見てくれているわけではなく、「誰に対しても平等に相談員として振る舞う」のだと。
「フラン。俺は受付で、相談員ですから。誰に対しても同じように整理の手伝いをするのが仕事です」
「……理解しているわ」
フランはフッと息を吐き、いつもの冷静な表情を取り戻した。
だが、その言葉の温度は、むしろ先ほどよりずっと低く、重くなっていた。
「でも、ナギ。口約束や、あなたのその『誰にでも向く善意』だけに、私の機能維持を依存させるのは極めて非合理的だわ」
「……はい?」
「いつ他の相談者に、あなたのリソースを奪われるか分からないもの。現に、あのAランク剣士もあなたの周りをうろついている」
フランは、杖の先端をコツンと床に突いた。
「――誰が野良犬だってぇぇぇぇぇ!!」
訓練場で素振りをしていたリゼが怒鳴り込んできた。地獄耳だ。デビルマンもびっくり。
興奮したリゼの頭を撫でて大人しくさせながら、俺はフランに続きを促した。
「曖昧な運用は失敗率を上げる。私の休養管理を確実なものにするためには、より強固なシステムが必要よ」
「システムって、俺は人間なんですけど」
「そうだそうだ、ナギは人間だぞー!」
リゼは確かに犬っぽいけどね。
「なら、せめて私への管理は、『制度』として縛るべきだわ」
フランは、一切の迷いがない、澄み切った瞳で俺を射抜いた。
その瞳の奥には、理屈という名の檻で俺を完全に囲い込もうとする、圧倒的な『執着』が輝いている。
「明日、正式な『専属休養管理契約書』を持参するわ。ギルドマスターの承認も得るつもりよ」
「……は?」
「では、また明日ね。ナギ」
フランは優雅に一礼し、リゼの首根っこを掴んで連行しながらローブを翻してギルドを去っていった。
止める隙すら与えない、完璧な撤退。
残された俺は、手元の『人類滅亡への回答書』と、フランが去っていった扉を交互に見比べた。
匿名相談者は今日も人類滅亡を保留している。
しかし俺の平穏な日常は、天才魔法使いの『制度化』という名の魔法によって、明日確実に滅亡の危機を迎えることになりそうだった。




