第12話 論理的に、あなたは私に不可欠です
お泊り会の翌朝。
俺が目を覚ますと、相談室の床に敷かれていた二つの寝具はすでにもぬけの殻だった。
綺麗に畳まれた羽毛布団と、雑に丸められた寝袋だけが残されている。
「……朝からどこへ行ったんだ、あの二人」
首を傾げながらギルドの裏手にある訓練場へ足を向けると、そこにはすでに朝の冷たい空気を切り裂くような、張り詰めた気配が漂っていた。
「おはよう、ナギ」
声の主は、氷炎の才媛フラン。
俺は彼女の顔を見て、思わず目を見張った。昨日まで目の下にあった薄い影は消え去り、陶器のような肌には健康的な赤みが差している。劇的に顔色が良い。
「おはようございます。その様子だと、ぐっすり眠れたようですね」
「ええ。あなたの『就寝許可』と、すぐそばで管理されているという安心感が、私の入眠エラーを完璧に修正してくれたわ」
フランは極めて真面目な顔で、とんでもなく重いことをサラッと言ってのけた。
そして彼女は、スッと高価な杖を構え、俺に切っ先を向けてきた。
「今日は、私の回復度合いを客観的データとして証明したいの。ナギ、私と実戦形式の模擬戦をしてちょうだい」
「……はい?」
「実戦での魔力出力と制御精度を、運用管理者であるあなた自身の目で評価してほしいのよ」
「評価も何も、俺が相手じゃ開始一秒で黒焦げになりますよ。俺の戦闘力はゼロです」
「安心なさい。致死量には至らないよう、適切に手加減するわ」
「そういう問題じゃない」
天才魔法使いの「手加減」ほど信用ならないものはない。
俺がどうやってこの理不尽な要求から逃れようかと思考を巡らせていた、その時だった。
「ちょっと待ったぁっ!」
バンッ! と訓練場の柵を飛び越えて、銀色の弾丸が乱入してきた。
木剣を片手に持ったAランク剣士、リゼだ。
「ナギに魔法を向けるなんて許さない! 的が必要なら、私が相手してあげる!」
「……あら」
フランは杖を下ろすことなく、涼しい顔でリゼを一瞥した。
「まあいいわ。出力テストの『動く的』としては、Aランク剣士は申し分ない環境ね」
「ふふっ。この的はねぇ、攻撃もしてくるから、きをつけてね!!」
「二人とも、待って! 訓練場を壊さないで……!」
俺の制止も虚しく、二人の間ですさまじい火花が散った。
ヒュゴォォォッ!!
フランが無詠唱で放った青白い炎が、空気を焼き焦がしながらリゼに迫る。
対するリゼは一切怯まず、凄まじい踏み込みから木剣を振り抜き、その炎を『剣風』だけで真っ二つに叩き斬った。
「おおー、朝から派手にやってるな!」
「マスター! 見物してないで止めてください!」
「いいじゃねえか。若いもんは元気があってよろしい。あ、訓練場の修繕費はお前の給料から天引きな」
「理不尽すぎる!」
俺が頭を抱えている間にも、模擬戦(という名の怪獣大決戦)はヒートアップしていく。
フランの魔法は、数日前の『八割しか出ない』と焦っていた頃の比ではない。キレ、威力、展開速度、そのすべてが全盛期に近い状態まで戻っていた。
「ふふっ、素晴らしいわ。魔力回路の連結が驚くほどスムーズよ!」
「くっ……なんか出力上がってない!?」
リゼが顔をしかめながら、次々と飛んでくる氷の散弾を斬り落とす。
魔法の余波で訓練用のダミー人形が次々と木っ端微塵になり、地面がえぐれていく。
このままでは本当に訓練場が更地になる。俺の給料がマイナスに突入してしまう!
「そこまでぇぇっ!!」
俺は備え付けの笛を力いっぱい吹き鳴らし、両手を大きく交差させた。
その合図で、二人はピタリと動きを止めた。
荒い息を吐くリゼと、額に薄っすらと汗を浮かべたフラン。
フランは杖を収めると、誇らしげな笑みを浮かべて俺の前に歩み寄ってきた。
「見たかしら、ナギ。これがあなたの管理の成果よ。出力も制御も、限りなく全盛期に近い数値が出せたわ」
「ええ、凄まじかったです(修繕費的な意味で)」
「睡眠時間の確保と、自己嫌悪からの解放。あなたが私に外付けの『基準』を与えてくれたおかげで、私は再び完璧に機能できるようになったわ」
フランの言葉は、確かな感謝に満ちていた。
相談窓口の担当者としては、素直に喜ぶべき回復だ。
だが、木剣を肩に担いだリゼが、むすっとした顔でそこに割り込んできた。
「ふーん。じゃあ、もう治ったんだね。よかったじゃん」
「ええ、とても調子がいいわ」
「治ったなら、もうナギの『管理』はいらないね! はい、これにてフランの相談は終了! ばいばい! さよなら! お元気で!」
リゼが勝ち誇ったように言い放つ。
確かに、魔力低下が改善したなら、本来の相談の目的は達成されたことになる。自立の時だ。
しかし。
フランは微かに口角を上げ、氷のように涼しい声で言い返した。
「いいえ。終了などしないわ」
「……なんで?」
「勘違いしないで、リゼ。私は『ナギの管理下にあるから』正常に機能できているのよ。ここで彼による運用管理を解除すれば、私がまたエラーを起こすのは自明の理だわ」
「へ、屁理屈! 治ったならもう一人で寝れるでしょ!」
「いいえ。機能維持には継続的な管理が必要よ。一時的な治療で満足するなんて、非合理的だわ」
フランはリゼを完全に無視し、俺の正面に立った。
そして、俺の目を真っ直ぐに捉え、静かに、けれどとてつもなく重い言葉を口にした。
「論理的に、あなたは私に不可欠です」
「……」
ドキン、と嫌な音が鼓膜の裏で鳴った。
これは「ありがとう」という感謝の言葉ではない。
完全に理詰めで構築された、『囲い込み』の理論だ。
「だから、これからもずっと、私の睡眠と生活を管理しなさい」
「……フラン。それは」
「ナギィィィ! どういうこと!?」
俺がツッコミを入れるより早く、リゼが俺の襟首を掴んでガクガクと前後に揺さぶり始めた。
「俺にもわかりません!」
「私が専属ソロなのに! なんでこいつがナギを不可欠とか言ってるの!?」
「私は論理的必然性を述べているだけよ。感情で喚かないでちょうだい」
「俺は誰のものでもありません!!」
青空の下、半壊した訓練場のど真ん中で、俺の叫びが虚しく響き渡る。
見捨てられ不安の剣士と、理詰め管理依存の魔法使い。
回復すればするほど、どうしてこの子たちの執着は重くなっていくのだろうか。
ギルドの朝は、今日も俺の胃を激しく削る修羅場から始まるのだった。




