第11話 深夜の報告は業務連絡ではありません
「今夜も終了報告を出すわ」
そう言い残して去っていったフランが、本当にギルドへ戻ってきたのはその日の閉館十分前だった。
その日はまだ「予定通り二十三時に寝ます」という簡潔な報告だけで済んだ。
だが、俺が「なんだ、意外とまともじゃないか」と安堵したのはそこまでだった。
翌日の夕方。
「ナギ。今日の報告よ。……少し不安が強かったわ。でも、あなたに『八十点でもいい』と言われたことを三回思い出したら、呼吸が整ったの」
その翌日の閉館間際。
「他の人に休めと言われると腹が立つのに、あなたの言葉は守れるわ。これは休養実行率に関わる重要なデータよ」
そして、数日後。
報告の時間帯はどんどん遅くなり、内容も“俺という存在が彼女の精神にいかに作用しているか”という、理屈で包装された私的なものへと変質していった。
前世でも、こういう「少しだけ聞いてほしい」という善意の積み重ねから、業務が雪だるま式に膨れ上がった記憶がある。
嫌な予感は、最高潮に達していた。
* * *
完全に日が落ちた、閉館後のギルド。
俺が帳簿を片付けていると、ギルドの扉が開き、コツ、コツと足音が響いた。
「ナギ。終了報告よ」
「フラン、今日はいくらなんでも遅すぎ……って、なんですかその荷物は」
俺は目を丸くした。
フランの背後には、彼女の使い魔らしきフクロウが、上質な羽毛布団と枕、それに着替えの入ったトランクをふらふらと運んできているではないか。
「見ての通り、寝具一式よ」
「見ればわかりますが、なぜここに」
「自宅での入眠エラー率が、依然として高いの」
フランは極めて真面目な顔で、とんでもないことを言い出した。
「原因を論理的に分析した結果、『運用管理者であるあなたとの物理的距離』が不安要素になっていると推測されるわ。よって今夜は、あなたの至近距離での睡眠環境テストを実施する」
「……はい?」
「簡単に言うと、ここで寝るわ」
事後報告である。
「ちょっと待って!!」
そこへ、広間の暗がりから銀色の弾丸が飛び出してきた。
当然のようにギルドに居残っていたAランク専属ソロ、リゼだ。
「受付カウンター周辺での野営は禁止でしょ! 張り紙に書いてある!」
「あら。私が申請しているのは『こころの相談窓口』の小部屋よ。カウンター周辺ではないわ」
「屁理屈!」
「法解釈と言ってちょうだい」
「法じゃないでしょ!」
リゼが俺の前に立ちふさがり、剣の柄に手をかける。
フランも涼しい顔で杖を取り出した。
「おいおい、なんだ。お泊り会か?」
騒ぎを聞きつけたギルドマスターが、奥から酒瓶を片手に現れてニヤニヤと笑う。
「マスター、止めてください。ギルドが宿泊施設になります」
「いいじゃねえか。小部屋くらい貸してやれ。リゼもどうせ夜間警備(という名の居座り)するつもりだったんだろ?」
「……っ! する! 私も小部屋で寝る!」
「はあ!? あなたは環境テストに不要なノイズよ!」
「グループセッションでも宿泊施設でもありません!!」
俺の叫びも虚しく、事態はギルドマスターの面白半分な裁可により、強行されることになった。
* * *
数十分後。
相談用の小部屋の床には、フランが持ち込んだ高級な羽毛布団と、リゼがどこからか引っ張り出してきた実用性重視の寝袋が、二つ並べて敷かれていた。
俺は部屋の隅の机に座り、ランプの灯りで残業(という名の見守り)をしている。
異常な空間だった。
背後からは、二人の少女の寝息が聞こえてくる。
いや、リゼの方は完全に寝落ちている。
「私がナギを見張る……すー……」と宣言して五分で寝た。彼女にとって、俺のいるこの場所は、もはや世界で一番安心できる巣穴になっているらしい。
一方。
羽毛布団に入っているフランは、まだ起きていた。
「……ナギ」
静かな夜の小部屋に、フランのひどく小さな声が響いた。
「起きてますよ。眠れませんか?」
「……ええ」
フランが、布団から少しだけ顔を出す。
いつもの隙のない天才魔法使いではなく、ただの不眠に悩む女の子の顔だった。
「でも、家で一人でベッドに入っている時より、ずっと静かだわ」
「それは良かったです」
「あなたのペンが紙を擦る音を聞いていると……自分が『管理されている』と実感できて、ひどく安心するの」
「……」
「ねえ、ナギ」
フランの蒼い瞳が、暗がりの中でランプの光を反射して、俺を真っ直ぐに捉えた。
「私、あなたの声を思い出すだけで、少しだけ呼吸が整うのよ」
「……それは、経過報告ですか?」
「ええ。私にとっては、休養を実行するための重要なデータよ」
理屈でコーティングされてはいるが、その実態は、完全に私的な感情の吐露だ。
フランは少しだけ目を伏せ、ためらうように、けれど核心を突くように尋ねた。
「……あなたは」
「はい」
「あなたは、他の人にも……こんなふうに同じように休ませて、同じように安心させるの?」
静かな声だった。
なのに、その一言だけで小部屋の空気が張り詰める。
納得した顔ではない。怒っているわけでもない。
ただ、初めて“自分以外の存在”を気にした人の顔だった。
理屈の形をしたまま、明確な『独占欲』の芽が静かに顔を出した瞬間。
「……」
俺が返答に詰まっていると、フランはふっと微かに微笑んだ。
「いいえ、答えなくていいわ。……今はただ、もう少しだけ、あなたの音を聞かせて」
そう言って、フランはゆっくりと目を閉じた。
深夜の報告は、もうとっくに業務連絡ではない。
それは彼女にとって、俺を繋ぎ止めるための、ひどく重くて甘い『儀式』に変わり果てていた。




