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異世界ギルド受付の俺、病んだ美少女冒険者たちをカウンセリングしたら全員「私だけ見て」とヤンデレ化した  作者: 他力本願寺


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110/122

第110話 群れの狩りと、走れない長の役割

朝。ラグナが地面に棒で図を描いた。


 獲物の予想位置。包囲の陣形。退路。風向き。


 言葉は最小限だった。指で図を示し、各自の位置を指差し、目で確認する。全員が頷く。


「お前」


 ラグナが俺を見た。


「あの丘に立て。群れの全体が見える。昨日の目で、全員を見ろ」


 集落の東にある小丘。高さは十メートルほど。視界が開け、狩り場の全体を見下ろせる。


「異変に気づいたら、信号を出せ。お前、昨日覚えたな」


「基本信号は覚えました」


「なら十分だ。走れない奴は、見る。群れの目は、群れの命だ」


 重い言葉だった。軽い役割ではないと、目が言っていた。


「リゼ」


 ラグナがリゼを見た。


「前に来い。俺の隣で走る」


 リゼの目が光った。族長の隣——先陣。最も危険で、最も信頼された位置。


「ディアブラ」


「何だ」


「お前の角の力——昨日見た。遠くから撃てるな」


「撃てる」


「中衛につけ。前衛が崩れた時、撃て」


 ディアブラが頷いた。魔王の火力を、族長が即座に戦術に組み込んでいる。獣人の指揮官としての判断の速さに、俺は舌を巻いた。


 フランは俺と同じ丘。後方分析班。


「ナギ。私が信号のパターンを整理するから、あなたは現場を読んで」


「了解です」


 ルナが丘の手前で、風の匂いを嗅いでいた。


「風は南から。獲物の匂いが混じっているわ。……変化があれば、伝える」


 盗賊の鼻と、獣人の領域で研ぎ澄まされた感覚が、天然の風向計になっていた。




       *




 狩りが始まった。


 丘の上から、全体が見える。


 獲物は——巨大な猪だった。通常の三倍はある。牙が異常に発達し、目が赤く濁っている。魔脈の損傷箇所から漏出した魔素を浴び、暴走的に変異した魔物。


 ラグナの前衛が、草原を低く走る。獣人の戦士八名。先頭にラグナとリゼ。


 左翼が展開。右翼が回り込む。


 信号が飛ぶ。


 ラグナの右耳が立った——包囲開始。左翼の二人が尻尾を振った——位置についた。右翼のリーダーが視線を獲物の背後に移した——挟撃準備完了。


 俺の目が、全てを読んでいた。


 丘の上で、風を感じながら、十六の身体を同時に見ている。


「左翼、包囲完了。右翼、あと三十歩で挟撃位置」


 フランが隣で記録する。ルナが風を読む。


「風が変わった。南から東に回り始めている。獲物がこちらの匂いに気づくわ」


「ラグナに伝える。風向き変化の信号は——」


「鼻を二度触る。昨日の夕方の狩りで見たわ」


 俺は丘の上で、鼻を二度触った。


 二百メートル先のラグナの耳が、ぴくりと動いた。見ている。こちらの信号を、受け取った。


 ラグナが即座に陣形を変えた。風下に回り込む。


 包囲が完成した。


 ラグナが跳んだ。


 獣人の族長の跳躍は、人間の動きではなかった。地面を蹴る音すらなく、草の上を滑るように飛び、獲物の首筋に迫る。


 リゼが反対側から同時に斬り込んだ。


 Aランクの剣が閃いた。


 巨大猪が咆哮した。大地が揺れた。


 だが——獲物が暴れた瞬間、異変が起きた。


 赤く濁った目が、さらに赤く燃え上がった。魔素の暴走。獲物が包囲を無視して突進を始めた。


 右翼に向かっている。


 右翼の若い戦士——昨夜、焚き火でディアブラの角を褒めていた青年——が、正面に立っている。獲物の突進の軌道上。


 彼は気づいていない。獲物の首に意識を集中していて、足元の方向転換を見ていない。


 俺は見えた。


 丘の上から、全体が見えた。


 両腕を大きく左に振った。【全体撤退の信号】


 同時に、右手だけを上げた。【右翼、後退】


 獣人の信号は、音声より速い。


 右翼の戦士たちの耳が動いた。信号を受けた。だが青年だけが——まだ前を向いている。


 隣の戦士が、青年の肩を叩いた。身体で「下がれ」と伝えた。


 青年が半歩退いた瞬間、巨大猪の牙が、彼のいた場所を抉った。


 土煙。草が飛ぶ。


 間一髪だった。


「ディアブラ!」


 俺は叫んだ。これだけは声だ。距離がある。


「正面! 今!」


 ディアブラが中衛から手をかざした。


 黒紫の魔力弾が、巨大猪の側面を直撃した。


 猪がよろめいた。


 その隙を、ラグナが逃さなかった。


 跳躍。回転。牙の根元に短槍を突き立てる。


 リゼが反対側から、同時に斬り上げた。


 巨大猪が、膝を折った。


 地面が震えた。


 静寂。


 それから——遠吠えが上がった。


 勝利の遠吠え。


 狩りは成功した。




       *




 丘を降りた。


 右翼の青年が、俺の前に来た。


 何も言わなかった。


 俺の肩を、一度だけ、強く叩いた。


 それだけだった。だが——目が、全てを語っていた。


 お前の目が、俺を救った。


 言葉はなかった。言葉は要らなかった。


 肩を叩く、その一打が——獣人の「ありがとう」だった。


 ラグナが獲物の前に立ち、集団を見回した。


「よくやった」


 短い労いだった。


 そして俺を見た。


「お前。走れないくせに、群れの目をやった。信号も正確だった」


「……」


「右翼のガルドが死ぬところだった。お前の信号がなければ、今夜の焚き火は一人減っていた」


 ガルド——あの青年が、俺を見た。尻尾が一度だけ振れた。


「お前は弱い。だが——群れの目として、認める」


 ラグナが、俺に背を向けた。


 それが、獣人の承認だった。


 握手もない。称号もない。ただ「認める」の一言。


 だが、その一言の重さは——エレノアの涙や、リヒャルトの決断と、同じだった。


 リゼが俺の隣に来た。汗まみれで、草だらけで、少し血がついていた。


「ナギ。すごかった」


「走ってないのに全身汗だくです」


「たまにはこういうのもいいんじゃゃない?」


 リゼが笑った。


 獣人の戦士たちが、リゼの隣を通る時、拳を軽く突き出した。リゼが同じように拳を返す。


「銀の牙」


 一人が呟いた。


「え?」


「お前の剣。銀色で、速い。銀の牙だ」


 リゼの顔が、ぱっと明るくなった。


「……かっこいい名前」


「かっこいいかは知らん。事実だ」


 獣人は事実しか言わない。だからこそ、その言葉は重かった。




       *




 夕方。水晶球が鳴った。フェンリルだった。


「第二ラウンド終了。優先採掘権を22%に圧縮した。代わりに商会の流通網をドワーフ製品に全面開放する。鍛冶ギルド長ドルグの反応は——」


「どうでした」


「『お前、話のわかる狼だな』だと。褒め言葉と受け取った」


「まとまりそうですか」


「基本合意は近い。正式調印は全種族会議で行う。……そっちは」


「今日、狩りをしました。群れの目をやりました」


「群れの目?」


「丘の上から全体を見て、信号を出す役割です」


 フェンリルが、少し黙った。


「……お前、それ、ファシリテーターだな」


「え」


「全体を見て、必要な人に必要な情報を、必要なタイミングで渡す。会議室でやるか戦場でやるかの違いだけだ。お前の適性は、どこに行っても同じだな」


 通信が切れた。


 ファシリテーター。


 会議室でも、カウンセリングルームでも、草原の丘の上でも。


 俺の仕事は、結局——人を見て、繋ぐことだ。


 言葉があってもなくても。


 走れても走れなくても。


 明日は試練の最終日。


 ラグナと、大地の鼓動の話をする約束がある。


 筋肉痛は昨日より酷かったが、心は——少し、軽かった。

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