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異世界ギルド受付の俺、病んだ美少女冒険者たちをカウンセリングしたら全員「私だけ見て」とヤンデレ化した  作者: 他力本願寺


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106/122

第106話 翠嶺を発つ朝と、分かれる道

出発の朝は、晴れていた。


 翠嶺に来て初めて、雲一つない青空だった。世界樹の梢が朝日に輝き、並木の葉が金色の縁取りを纏っている。


 千年止まっていた国で、季節が動き始めたような朝だった。


 迎賓館の前に、エレノアが立っていた。


 記憶の間ではなく、外に。


 淡い翠のドレス。背筋は真っすぐ。微笑みは——あの「鉄壁の仮面」ではなく、薄くて頼りないが、本物の笑顔だった。


「お見送りに来ましたわ」


「ありがとうございます」


 一行が荷物を馬車に積み込む中、エレノアがディアブラの前に歩み寄った。


 手に、硝子の額縁を持っていた。


 押し花。


 白い花弁。色褪せた薄茶。五百年前、アルマがエレノアに贈った花。


「ディアブラ様」


「……何だ」


「これを、お持ちいただきたいのです」


 ディアブラの目が、押し花に落ちた。


「これはもう、硝子の中で凍らせておくものではありません。アルマの友であるあなたの手元に、あるべきものです」


 ディアブラは、しばらく額縁を見つめていた。


 手を伸ばし、受け取った。長い指が、硝子の縁を慎重に包む。


「……預かる」


 短い一言だった。だが、その声は——わずかに、掠れていた。


 エレノアが微笑んだ。


「あの子のことを覚えている人が、二人になりましたわね」


「……ああ」


「いつか。あの子の歌を、一緒に歌いませんか」


 ディアブラが顔を背けた。耳が赤い。


「……考えておく」


 それは、ディアブラの言葉でいう肯定だった。




 エレノアが俺の前に来た。


「ナギ様」


「はい」


「あなたは、扉の前に、立ってくださいました」


「私は立っただけです。開けたのは貴方です」


「ふふ。そうですね」


 エレノアが手を差し出した。俺はその手を取った。千年を生きた女王の手は、細く、冷たかった。だが——ほんのわずかに、温かくなっている気がした。


「世界樹の根の回復には時間がかかります。ですが——長老評議会と協力して、魔脈の調査を始めます。五百年遅れましたが、動くことにしましたので」


「エレノア様なら、大丈夫です」


「それは過信ですわ。……でも、ありがとうございます」


 エレレアに仮面は最早必要なくなっていた。



       *




 セラフィーナ組が先に出発した。


 聖騎士レティシアの護衛馬車に、三人が乗り込む。


 馬車の窓からセラフィーナが顔を出した。


「ナギ様。くれぐれもお身体に気をつけて。利子、忘れないでくださいね」


「忘れません」


「先生ーっ!」


 アリスが反対側の窓から身を乗り出した。


「フリルの護符、絶対なくさないでくださいね! なくしたら……なくしたら……泣きます!」


「なくしません。ポケットに入ってます」


「胃薬の隣ですか?」


「胃薬の隣です」


「よし!」


 ソフィアは窓から顔を出さなかった。馬車の奥で、小さく一礼しただけだった。だがその目が——赤かった。


 馬車が動き出した。


 リゼが俺の隣で、遠ざかる馬車を見ていた。


「……行っちゃった」


「行きましたね」


「大丈夫かな」


「大丈夫です。三人とも——もう、一人じゃないですから」


 リゼが小さく頷いた。




       *




 出発準備の最中に、水晶球が鳴った。


 フェンリルだった。


「ナギ。ドワーフ連合の件だが、俺が直接叩く。商会の流通網を餌にすれば、ドワーフの鍛冶ギルドは食いつく。向こうも魔脈が細ってきて鉱石の質が落ちている。魔素安定供給と引き換えなら、交渉の土台は十分だ」


「フェンリルさんにお任せして、いいんですか」


「お前が全部やろうとするな。何度言わせる」


「すみません」


「ドワーフは実利で動く。実利の交渉は俺の本業だ。お前は獣人をやれ」


「……はい」


「それと、ナギ」


 フェンリルの声が、少しだけ低くなった。


「獣人は言葉が通じない相手だ。お前の一番の武器が、役に立たない。エルフの女王でさえお前の問いかけで揺れたが、獣人はそもそも受け取らない。覚悟しておけ」


 通信が切れた。


 簡潔で、的確で、少しだけ優しい。いつものフェンリルだった。




       *




 馬車が動き出した。


 ナギ組六名。ナギ、リゼ、フラン、ルゥルナ、ディアブラ。


 翠嶺の並木道を抜け、千年同じだった石畳の上を走る。巨木のアーチをくぐり、国境を越える。


 俺は幌の隙間から、遠ざかる世界樹を眺めた。


 この旅で、三人の王に会ってきた。


 魔王は仲間になった。

 リヒャルト王には、言葉が届いた。

 エレノア女王には、言葉で扉を開き、存在と行動で届いた。


 次の相手——獣人には、言葉がそもそも届かない。


 段階的に、俺の武器が削られていく。


 カウンセラーの一番の道具は言葉だ。その言葉が使えない場所で、俺に何ができるのか。


「ナギ」


 リゼが、隣で袖を掴んだ。


「考え事?」


「少し」


「考えすぎないで。走れなくても、あたしが代わりに走るから」


「……走るんですか?」


「獣人の国でしょ。たぶん、走る」


 嫌な予感がした。


「ナギお兄さん!」


 ルゥが馬車の荷台からひょこっと顔を出した。


「獣人さんの国って、動物いっぱいいるかな? ルゥ、もふもふしたい!」


「もふもふは目的じゃないです」


「もふもふは目的とかそーゆんじゃない!」


 フランが本を読みながら、眼鏡の奥で呟いた。


「獣人の社会構造に関する文献は三冊持ってきたわ。だけど——現地の行動様式については、ほとんど記録がない。未知の領域ね」


「フランさんが未知というのは、珍しいですね」


「だから面白いのよ」


 ディアブラは馬車の隅で、膝の上に額縁を置いていた。硝子越しに押し花を見つめている。何も言わない。だが、その横顔は——穏やかだった。




       *




 国境の丘を越える時、俺はふと窓の外を見た。


 丘の上に、影が一つ。


 エスト。


 老エルフが、丘の上に立っていた。


 見送りではない。腕を組み、こちらを見ている。手も振らない。声もかけない。


 ただ——そこに、いた。


 賛成はしなかった。反対もしなかった。棄権という、五百年の怒りの中の、最小の一歩だけを残した老人が、丘の上から、去りゆく馬車を見ていた。


 俺は何も言わなかった。手も振らなかった。


 治せなかった人を、抱えたまま、次の国へ向かう。


 それが、カウンセラーの現実だ。


 全員は救えない。でも——次の場所で、次の人に、会いに行く。


 丘が、視界の後ろに消えた。


 草原が広がった。


 風の匂いが変わった。翠嶺の澄んだ森の香りから、土と草と——微かに獣の匂いが混じる、荒々しい風に。


 リゼの鼻がぴくりと動いた。


「……来る。何か、近づいてくる」


 草原の奥から、砂煙が一筋、こちらに向かっていた。


 速い。


 馬車より、ずっと速い。


 俺はポケットに手を入れた。


 胃薬と、フリルの護符が、並んでいた。

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