表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界ギルド受付の俺、病んだ美少女冒険者たちをカウンセリングしたら全員「私だけ見て」とヤンデレ化した  作者: 他力本願寺


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
105/122

第105話 三つの別れと、それぞれの約束

順番はくじ引きで決まった。朝アリス、昼ソフィア、夕方セラフィーナ。


 セラフィーナが最後を引いた時、聖母の笑顔のまま「最後が一番記憶に残りますわね」と言った。リゼの目が三角になった。


 出発は明後日の朝。今日が、三人との最後の一日になる。




       *




 朝。アリスが迎賓館の玄関で待っていた。


 フリルのドレス。リボン。日傘。完全装備。頬が少し上気している。緊張しているらしい。


「先生! 参りましょう!」


「どこに」


「市場です! エルフの市場に、可愛い小物がないか探しに行きましょう!」


 アリスに引っ張られて、翠嶺の市場を歩いた。千年変わらない品揃え。同じ三種類の果物、同じ様式の陶器、同じ色合いの布。だがアリスの目には、全てが新鮮に映るらしい。


「先生、見てください。この木彫りの鳥、可愛くないですか」


「可愛いですね」


「でもフリルがないです。惜しい」


「木彫りにフリルは難しいのでは」


「彫ればいいのに。エルフの彫刻技術なら絶対できます」


 店主のエルフが困惑した顔をしていた。千年間、フリルの注文を受けたことがないのだろう。


 三軒目の小物屋で、アリスの目が光った。


「先生! このビーズ!」


 翠色の小さなビーズ。世界樹の樹液を結晶化したものだとティアラが教えてくれた。微弱だが魔素を含んでいるらしい。


 アリスはビーズを三つ買い、近くの布屋で白いリボンの端切れを手に入れた。ベンチに座って、器用な指先でリボンにビーズを通していく。


「……何を作っているんですか」


「待ってて。すぐできます」


 ティアラに「エルフの祝福ってどうやるんですか」と聞いた。ティアラが教えると、アリスは見よう見まねで、小さなビーズに祈りを込めた。所作がぎこちないが、目だけは真剣だった。


「はい、先生」


 小さな護符が差し出された。白いフリルのリボンに翠色のビーズが三つ。不格好だが、手のひらに乗せると、微かに温かかった。


「フリルの加護です。先生がドワーフの国で怪我しませんように」


「……ありがとうございます。大切にします」


「フリルに不可能はありません!」


 俺はポケットに護符を入れた。胃薬の隣に。


 林檎飴を二つ買って、並んで舐めた。エルフの林檎飴は甘さが控えめで、少しだけ渋みがある。千年前のレシピなのだろう。


 アリスが林檎飴を舐めながら、空を見上げた。


「先生」


「はい」


「私、セラフィーナ様を守ります」


 声が変わっていた。フリルの奥の、真剣な声。


「お父様には、勇者の家系にふさわしくないと言われました。心は乙女でフリルが好きで、剣術が下手で、魔法も並。勇者の血筋の中で、一番できの悪い息子だって」


「……」


「でも先生が教えてくださいました。自分の好きなものは、自分で守っていいって」


 アリスが俺を見た。林檎飴の欠片が唇についている。だが、目だけは——澄んでいた。


「私は、フリルが好きです。セラフィーナ様が好きです。先生が好きです。好きなものを守るのが勇者なら——私は、勇者です。誰に何と言われても」


 俺の目が、少し熱くなった。


「貴方は……立派な勇者ですよ、アリス」


「えへへ」


 アリスが笑った。林檎飴が斜めになった。


「先生も、お身体気をつけてくださいね。胃薬、ちゃんと持ってますか」


「持ってます」


「フリルの護符と、一緒に」


「一緒にです」


 アリスが嬉しそうに笑った。


 勇者は、フリルのドレスを着ていて、唇に林檎飴の欠片をつけていた。




       *




 昼。ソフィアが迎賓館の図書室で待っていた。


 テーブルの上に、分厚いノートが一冊。その横に、翠茶の茶器が二つ。ソフィアが自分で淹れたらしい。湯気が立っている。


「お待ちしていました、ナギ様」


「……お茶まで準備してくれたんですね」


「フランさんに、『データだけ渡して帰るな、お茶くらい出せ』と言われまして」


 ソフィアが眼鏡を押し上げた。耳がわずかに赤い。


 茶を一口飲んだ。苦い。エルフの翠茶は繊細な淹れ方が必要なのだが、ソフィアは研究者の正確さで分量を計り、逆に繊細さを殺していた。


「美味しいです」


「……嘘をつかないでください。苦いのは自覚しています」


「苦いですが、気持ちが入ってるので美味しいです」


「気持ちは味覚に影響しません。科学の否定です」


「心理学的には影響します」


 ソフィアが少し考えて、「そうですか」と小さく頷いた。


 ノートを差し出された。


「世界樹の根の分析データ、魔脈枯渇の進行予測、各種族の魔素波長の比較表。ドワーフ連合との交渉で必要になるデータを全てまとめました」


 頁をめくった。びっしりと数式とグラフ。注釈。参考文献。フランの筆跡と、ソフィアの筆跡が交互に現れる。二人で作ったことがわかる。


「昨夜、フランさんと二人で徹夜しました。本来はフランさんが持っていれば足りるのですが——」


「予備があった方がいい」


「はい。それと、フランさんは時々ノートをなくしますので」


「……なくすんですか、あの人」


「天才は整理整頓が苦手なのです。私は凡才なので整理は得意です」


 ソフィアの自己評価は、いつも低い。だがそれを指摘すると逆に固くなるので、俺は黙って頁をめくった。


 最後の頁に辿り着いた。


 データではなかった。


 小さな文字で、丁寧な手書き。


『ナギ様へ。この研究が世界を救う礎になると信じています。データは嘘をつきません。人の心は時に揺れますが、数字は揺れません。あなたが迷った時、このノートを開いてください。数字が、道を照らします。——ソフィア』


「ソフィアさん」


「恥ずかしいので、声に出して読まないでください。もう閉じてください」


 ソフィアの耳が真っ赤だった。眼鏡を押し上げる手が、少し震えている。


「……書くのに、三回書き直しました。データの記述は一度で正確に書けるのに、こういう文章は、何度書いても正解がわからなくて」


「正解ですよ、これ」


「そんなわけありません。文章の評価基準が曖昧です」


「曖昧でいいんです。気持ちは数値化できないので」


 ソフィアが、しばらく黙った。


 それから、ぽつりと言った。


「ナギ様。王都に戻ったら、魔脈の研究を正式に発表します。今度は追放されないように。セラフィーナ様が政治的な後ろ盾に、アリス様の血筋が盾に。……一人じゃないのです、今回は」


「ええ。一人じゃないです」


「それと——フランさんに、伝言をお願いします」


「はい」


「『先に論文を出したら許しません』と」


「……研究者の約束ですね」


「最も重い約束です。万死に値します」


 ソフィアが立ち上がった。


「お気をつけて。データが必要になったら、水晶球で呼んでください。いつでも」


「ありがとうございます」


「いつでも、と申し上げました」


 声が、少し震えた。


「……本当に、いつでも、です。夜中でも、朝方でも。研究者に睡眠時間の概念はありませんので」


「それは心配ですが……ありがとうございます」


 ソフィアが一礼して、図書室を出ていった。


 扉の向こうで、小さな足音が、少しだけ速く遠ざかった。泣いているのか、走っているのか。たぶん、両方だった。




       *




 夕方。


 セラフィーナは、世界樹の麓にいた。


 夕日が世界樹の幹を染めている。金色と翠が混じり合って、幹が琥珀のように光っていた。


「ナギ様。ここは落ち着きますね」


「世界樹の麓ですか」


「ええ。この木が、千年の孤独から目を覚ました場所ですから。……何となく、ここがいいと思いまして」


 二人で並んで、世界樹を見上げた。


 根元は、まだ黒ずんでいる。だが、昨日よりわずかに——翠が、戻り始めているようにも見えた。


「ナギ様」


「はい」


「教団に戻ったら、私は——ガレリウス猊下と、対峙することになります」


「ええ」


「怖いです」


 あっさりと言った。聖母の笑顔ではなく、一人の女性の顔で。


「若い頃、あの方の『魂の対話』で、私は自分を失いました。自分の祈りも、自分の声も、全て空っぽにされた。……あの場所に戻るのは、正直に申し上げて、怖い」


「怖くて当然です」


「ええ。でも——逃げません」


 セラフィーナが、俺の方を見た。


「逃げなくなったのは、あなたのおかげです」


「俺のおかげじゃないです。セラフィーナさん自身が——」


「はいはい。『自分で選んだ』のですわよね。あなたはいつもそう仰る」


 セラフィーナが、くすりと笑った。


「でも、選べるようになったのは、あなたが隣にいてくださったからです。それだけは、譲りません」


 夕日が、世界樹の影を長く伸ばしていた。


 風が吹いた。梢が揺れ、翠の葉が数枚、舞い落ちてきた。一枚がセラフィーナの肩に落ちた。彼女はそれを手に取り、透かして見た。


「ナギ様。一つ、お願いがございます」


「何でも」


「何でも、とは不用意ですわね。……では、お言葉に甘えて」


 セラフィーナが、目を閉じた。


 両手を胸の前で組んだ。祈りの姿勢。だが——聖印には触れていなかった。


 歌い始めた。


 静かな旋律だった。教団の聖歌ではない。もっと古い、もっと素朴な祈りの歌。音程は高すぎず低すぎず、夕暮れの風に溶けるような声だった。


 世界樹の幹に、声が吸い込まれていく。梢が揺れ、葉が舞う。夕日が彼女の銀髪を金色に染めている。


 短い歌だった。四十秒ほどで終わった。


 余韻が、世界樹の根元に残った。


「……これは」


「母に教わった子守唄です。教団に入る前の——まだ、ただの女の子だった頃の歌」


 セラフィーナが目を開いた。


「教団では歌うことを許されませんでした。聖歌以外は不浄だと。……十年以上、歌っていなかった」


「今日、歌えたのは」


「もう、誰かに許される必要がなくなったからです」


 セラフィーナが、俺を見た。


 聖母の微笑みではなかった。もっと柔らかい、もっと素の、一人の女性の笑顔だった。


「あなたに聞いていただきたかった。ただ、それだけですわ」


「……ありがとうございます。綺麗な歌でした」


「お世辞は結構ですわ」


「私がお世辞を言ったことがありますか?」


「……ありがとうございます」


 セラフィーナの頬が、夕日のせいだけではなく、ほんのり赤かった。


「では——利子の件、忘れないでくださいまし」


「忘れません」


「利率は、離れている間も日々上がっていきますわ」


「……高利貸しですか」


「聖女の利子に、法的上限はございませんの」


 二人で笑った。


 世界樹の下で、最後の夕日を見ながら。


 明日、この一行は二つに分かれる。


 だが——分かれても、繋がっている。


 水晶球で。約束で。利子で。フリルの護符で。ノートの最後の頁で。


 俺はポケットに手を入れた。


 胃薬と、翠色の護符が、並んでいた。


 二時間では、足りなかった。


 三人とも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ