第104話 聖女の戦線と、淑女協定v2.3
評議会の翌朝、迎賓館の前に、白銀の鎧を纏った一団が現れた。
聖光教団の聖騎士。六名。
先頭に立つ隊長は、若い女性だった。銀髪を短く刈り上げ、胸元に聖印を下げている。目は真っすぐで、曇りがない。信仰に迷いのない者の目だった。
「聖騎士隊長レティシアと申します。聖女セラフィーナ様に、枢機卿ガレリウス猊下からの親書をお届けにまいりました」
セラフィーナが一歩前に出た。
親書を受け取り、封蝋を丁寧に切った。
読む。
表情は変わらなかった。
「……内容は予想通りですわ。聖女位の再審査にあたり、王都の大聖堂への帰還を求める、と」
「はい。速やかなご帰還を——」
「レティシア隊長」
エレノアの声が、横から割り込んだ。
千年の女王が、迎賓館の玄関に立っていた。背筋を伸ばし、淡い翠のドレスを纏い、穏やかに微笑んでいる。
だが、その微笑みには——昨日まではなかった、芯があった。
「この方は、我が国の賓客です。賓客の処遇は、我が国の主権に属します。教団の命令は、ここでは効力を持ちません」
レティシアが、わずかに怯んだ。
「恐れながら、聖女位は教団の管轄であり——」
「ええ。ですから、セラフィーナ様のご帰還は、ご本人のご意志に委ねます。教団の命令でも、我が国の保護でもなく。彼女自身が、決めることです」
エレノアがセラフィーナを見た。
セラフィーナが、静かに頷いた。
「レティシア隊長。三日後に、一緒に王都へ戻ります」
俺の胸が、一瞬、軋んだ。
わかっていた。この日が来ることは。
「ただし——一つだけ、条件がございます」
セラフィーナが、聖母の笑顔のまま、レティシアの目を見た。
「帰還の道中、あなたと、お話をさせていただきたいのです。教団の中で、あなたが何を見てこられたか。若い聖騎士たちが、今、何を感じているか」
レティシアが戸惑った顔をした。
「それは……構いませんが、なぜ」
「私は聖女として帰るのではありませんの。一人の信仰者として帰るのです。……教団の中に、もう一度、風を通すために」
レティシアの目が、わずかに揺れた。
*
昼。セラフィーナが俺の部屋を訪ねてきた。
「ナギ様。ご報告がございます」
「……聞いています。王都に戻るんですね」
「ええ」
セラフィーナが椅子に座った。背筋が伸びている。覚悟を決めた人の姿勢だった。
「ガレリウス枢機卿は——ナギ様と同じ武器を持つ方です」
「同じ武器」
「『魂の対話』と呼ばれる技法があります。信徒の心を深く読み取り、導く——あるいは、支配する技術です。ナギ様のカウンセリングと、表面上はよく似ています」
「違いは」
「ガレリウス猊下は、人を型にはめるために使います。ナギ様は、型から解放するために使う」
セラフィーナが俺を見た。
「私は、あの方の技法を、内側から知っています。若い頃、あの対話で私は空っぽにされました。……だからこそ、あの技法を逆手に取れます」
「教団の中で、何をするつもりですか」
「若い聖職者たちの心を、一人ずつ、ガレリウス猊下の支配から解放していきます。さきほどレティシア隊長に話をさせてほしいと申し上げたのは、その第一歩ですわ」
俺は黙った。
セラフィーナが、微笑んだ。
「ナギ様。怖い顔をされていますわ」
「……怖い顔、してますか」
「ええ。『自分が行かなくて大丈夫か』というお顔です」
見透かされている。
「大丈夫ですわ。もう、空っぽの聖女には戻りません」
「セラフィーナさん」
「はい」
「……俺は、全てを自分で救おうとしない、と決めました。これは、あなたの戦線です。俺が踏み込む場所じゃない」
「ええ」
「でも——利子の返済が残っているそうなので。必ず、戻ってきてください」
セラフィーナが、ほんの一瞬、目を潤ませた。
そしてすぐに、聖母の笑顔に戻った。
「もちろんですわ。利率は高めに設定してございますもの」
*
午後。王都帰還組が自然に固まった。
ルナの進言でアリスが同行(勇者の血筋=教団内の政治的盾)。ソフィアも魔脈データ精査のため王都へ。セラフィーナ、アリス、ソフィアの三人。
三人とも、自分の意志で、自分の戦線を選んでいた。
*
夜。迎賓館の広間。全員が集まった。
「さて」
フランが巻物を広げた。
「淑女協定v2.3の制定に入ります」
「もうバージョン2.3なんですか」
「ナギ、黙って」
フランが赤い羽ペンを構えた。
「今回の主な改定事項は一点。王都帰還組——セラフィーナ、アリス、ソフィアの三名に対する、出発前の特別措置について」
空気がぴりっと張った。
「具体的には——出発前日に、三名それぞれに、ナギとの二人きりの時間を一回ずつ認める」
沈黙。
リゼの箸が止まった。
「……デート?」
「デートとは言っていないわ。『個別の別れの挨拶の機会』よ」
「それデートでしょ」
「呼び方の問題はさておき、合理的な根拠があるわ。三名はこれから長期間、ナギと離れて危険な任務に就く。出発前に十分な対話の機会がなければ、不安が残り、任務のパフォーマンスに影響する」
「フラン、あんた自分もドワーフ組で残るくせに——」
「私は残留組だから発言権がある。利害関係のない立場から、公平な提案をしているのよ」
「利害関係がないなら、なんで顔が得意げなの」
「気のせいよ」
セラフィーナが手を挙げた。
「賛成ですわ。ただし、時間の上限を設けるべきかと。一人あたり——」
「二時間」とフラン。
「短い!」とアリス。
「長い」とリゼ。
「間を取って、一時間半」とルナ。
「ルゥは?」とルゥに切り替わり、「お兄さんとのお別れなら三日くらい欲しい!」
「ルゥは帰還組じゃないでしょ」
「じゃあルゥも王都行く!」
「行かせません」
ディアブラが隅で茶を飲みながら、呟いた。
「……一時間半で何ができるというのだ。馬鹿馬鹿しい」
全員の目が、ディアブラに向いた。
「ディアブラ様。ご意見がおありで?」
「別に。……ただ、時間を区切って別れの挨拶をするなど、人間の発想は理解しがたい。言いたいことがあるなら、時間など関係なく言えばいい」
「では、上限なしで?」
「そうは言っていない。……二時間でいい。それ以上は非効率だ」
最初にフランが言った数字に戻った。ディアブラの顔がわずかに赤い。
採決。二時間、全会一致。
淑女協定v2.3は、全員の署名をもって発効した。
「では明日」
フランが巻物を巻き戻した。
「セラフィーナ、アリス、ソフィア。三名との個別の時間を、それぞれ二時間。朝・昼・夕で順番を——」
「「「最初がいいです」」」
三人の声が揃った。
順番の決定に、さらに三十分を要した。




