第103話 二つの王と、長老評議会
評議会の間は、世界樹の根元に最も近い広間だった。
円形のテーブル。中央に世界樹の枝で編まれた燭台。三方の席に、三人の長老が座っている。
カイラス。穏やかな目をした老エルフ。穏健派。
ミレイ。銀髪を高く結い上げた女性。中立派。
エスト。深い皺の刻まれた顔に、刃のような目。強硬派。
ティアラが議事進行を務める。ナギの一行は傍聴席。ディアブラはフードを深く被り、隅に座っている。
エレノアが、女王の席に立った。
「本日の議題に入る前に——私から、申し上げなければならないことがあります」
三長老が、女王を見た。
エレノアの声は穏やかだったが、いつもの「鉄壁の仮面」ではなかった。薄い、だが本物の表情があった。
「世界樹の根が、衰弱しています」
議場がざわめいた。
「五百年前から、根の深部で壊死が進行しています。原因は——世界全体の魔脈枯渇です。大断絶戦争以降、魔素の総量が減少し続けており、世界樹への供給も細っています」
カイラスが息を呑んだ。ミレイの目が鋭くなった。エストは微動だにしない。
「このことを——私は、五百年間、隠してきました」
ざわめきが、静寂に変わった。
「私は、世界樹の衰弱が自分の心の問題だと思い込んでいました。だから誰にも言えなかった。……ですが、調査の結果、原因は私ではなく、世界規模の魔脈枯渇であることが判明しました」
エレノアが、三長老に向き直った。
「罪は二つあります。一つは、五百年間隠し続けたこと。もう一つは——五百年間、何もしなかったこと。動いていれば、もっと早く、他国と連携して対処できたかもしれません」
エレノアが、頭を下げた。
千年の女王が、長老たちに、額を見せた。
「私の不作為を、お詫びいたします」
議場が凍りついた。千年間、この国を導いてきた女王が、初めて、自らの過ちを認めた。
エストが口を開いた。
「……それで。陛下は、今さら何をしろと仰るのですか」
刃のような声だった。
「和平プロジェクトへの参加を提案します。魔脈枯渇は一国で解決できる問題ではありません。人間、魔族、エルフ、ドワーフ——全種族が協力しなければ、全種族が滅びます」
「魔族と手を組む、と」
エストの目が、鋭く光った。
「五百年前、魔族が世界樹を襲った。我が同胞が何人死んだか、陛下は覚えておいでか」
「覚えています。私自身が、最前線に立っていましたから」
「ならば——」
「エスト。あなたの怒りは正当です。五百年間、あなたがこの国を守り続けてくれたことに、私は感謝しています」
エレノアの声が、静かだった。
「ですが、変わらないことも——罪なのです。私は五百年かけて、それを学びました」
議場が静まった。
カイラスが頷きかけた。ミレイが口を開きかけた。
その時だった。
傍聴席の隅で、椅子が軋んだ。
フードの人物が、立ち上がった。
ゆっくりと、フードを下ろした。
長い角。深紅の瞳。漆黒の髪。
議場の空気が、凍った。
三長老が、同時に目を見開いた。
エルフにとって、あの角は——五百年前の悪夢そのものだった。
「——魔王」
エストが、掠れた声で呟いた。
「魔王ディアブラと申します」
ディアブラの声は、落ち着いていた。
魔王としての威圧はなかった。だが、千年を生きた者の重みがあった。
「隠れていたことをお詫びする。……正体を明かせば、対話の前に門が閉じると判断した。卑怯な手だったことは認める」
エストが席を立ちかけた。ディアブラが、続けた。
「五百年前の戦争で、私の唯一の友が、この国で命を落とした」
議場が、静まった。
「アルマという。魔族の将軍であり、私にとっては——姉のような存在だった。歌が好きで、戦うより歌う方が向いている女だった」
エレノアが、目を伏せた。
「アルマは、エレノア陛下の友でもあった。二人は互いの宮廷を行き来し、歌を交換した。……戦争が、二人を引き裂いた」
ディアブラが、三長老を見回した。
「私はアルマを失って、五百年間、一人で生きてきた。誰も信じず、誰も頼らず。……エレノア陛下も、同じだった。同じ一人の友を失って、同じように壊れた」
声が、一瞬だけ震えた。だがすぐに立て直した。
「もう二度と、アルマのような犠牲を出したくない。そのためなら——」
ディアブラが、膝を折った。
魔王が。
エルフの長老たちの前で。
頭を下げた。
「力を、貸してほしい」
議場が、完全に静まりかえった。
千年生きた魔王が、かつての敵国の長老に、頭を下げている。
エレノアが、ディアブラの隣に立った。
二人の王が、並んでいた。
かつて敵同士だった二つの種族の頂点が、同じ方向を向いている。
カイラスが、最初に口を開いた。
「……賛成いたします」
ミレイが目を閉じ、しばらくしてから頷いた。
「条件付きで、賛成します。詳細は後日詰めるとして——方向性には異存ありません」
全員の視線が、エストに集まった。
老エルフは、ディアブラを見つめていた。
刃のような目。五百年間研ぎ続けてきた怒りの目。
だが——その目が、ほんのわずかに、揺れた。
「……反対はしない」
短い言葉だった。
「賛成もしない。棄権だ」
それだけ言って、エストは席に戻った。
反対しなかった。
五百年の怒りを持つ強硬派が、反対しなかった。
それは——賛成よりも、重い一歩だった。
ティアラが、震える声で宣言した。
「賛成二、棄権一、反対なし。——翠嶺エルフ王国は、人魔和平プロジェクトへの条件付き参加を決定します」
議場に、拍手はなかった。
だが、空気が変わった。
千年止まっていた国の時計が——ほんの少しだけ、動き始めた音がした。
*
評議会が終わった後、廊下でリゼが俺の袖を掴んだ。
「ナギ」
「はい」
「今日——ナギ、何もしなかったね」
「はい」
「エレノアが自分で告白して、ディアブラが自分で立ち上がった。ナギは、座ってただけ」
「……はい」
リゼが、少しだけ笑った。
「それが、一番すごいことなんだと思う」
俺は答えなかった。
だが——確かに、今日の評議会で、俺は一言も喋らなかった。
エレノアが自分の言葉で罪を認め、ディアブラが自分の意志でフードを脱いだ。
俺が踏み込んだのではない。
二人が、自分で、扉を開けた。
俺はただ——扉の前に立つ場所を、用意しただけだ。
それが、カウンセラーの仕事なのかもしれない。
廊下の窓から、世界樹が見えた。
夕日に染まった幹の色が——ほんの少しだけ、以前より温かく見えた。




