第102話 功績争いと、魔王の夜
朝食の席で、それは始まった。
「——つまり、今回の件で最も重要な役割を果たしたのは、この私の報告書ですわね」
フランが紅茶のカップを掲げた。
「エレノア陛下が一晩で態度を変えたのは、私とソフィアの分析があったから。これは客観的事実よ」
「待ってください、フランさん」
セラフィーナが聖母の笑顔のまま口を開いた。
「報告書が効果を発揮したのは事実ですわ。ですが、その前にナギ様が二度も面会して、エレノア陛下の防壁を揺さぶったからこそ、報告書が届いたのです」
「それは認めるわ。で?」
「そのナギ様が二度目の面会で折れかけた時、立て直したのは誰でしたかしら」
セラフィーナが、にこりと笑った。
「私ですわ」
「ちょっと待って」
リゼが箸を置いた。
「セラフィーナがナギを立て直した、それはそう。でも、ナギの心の問題はセラフィーナに任せるって判断したのは、あたし。つなぎ役がいなかったら、ナギはセラフィーナの部屋に行ってない」
「判断は評価に値するわ。でもリゼ、あなたの貢献は『つないだ』ことであって、直接の成果は私とソフィアの報告書よ」
「あたしは毎回ナギの隣で剣持って立ってた。一回目も二回目も三回目も。護衛がいなかったら面会自体成立してない」
「護衛は必要条件であって十分条件ではないわ」
「フラン、あんたの報告書だって必要条件でしょ」
「私の報告書は十分条件に最も近い」
「十分条件に『最も近い』のは十分条件じゃない」
「論理学で殴り合わないでください」
俺が口を挟んだ。無視された。
ソフィアが眼鏡を押し上げた。
「あの……一つだけ、申し上げてもよろしいですか」
「どうぞ」
「『国が滅びます』と陛下に直接申し上げたのは、私です。フランさんのデータに基づいていますが、あの場であの言葉を選んだのは、私の判断です」
全員が一瞬黙った。
確かにそうだった。あの一言がなければ、エレノアは白を切り通していたかもしれない。
「ソフィア、あんたが一番えらいってこと?」
「そ、そういうことではなく……ただ、功績の配分について正確な記録を——」
「研究者は功績配分を気にしすぎよ」
「フランさんも研究者では」
「私は気にしない。なぜなら私が一番だから」
「フラン、それ気にしてるよね」
アリスが手を挙げた。
「先生! 私は何もしていませんが、フリルで応援していました!」
「フリルの応援は評価項目にないです」
「では評価項目にフリル枠を追加してください」
「しません」
ルゥがテーブルの下から顔を出した。
「ルゥはりんご食べてただけだけど、ルゥがいるとナギお兄さん笑うから、メンタルケア担当!」
「それは一理ある」とルナに切り替わり、「——が、メンタルケアの主担当はセラフィーナでしょう。ルゥの貢献は副次的効果に過ぎないわ」
「るーなー! ルゥの味方して!」
「事実を述べただけよ」
俺はパンを齧りながら、全員の議論を聞いていた。
全員が正しかった。
リゼの護衛がなければ面会は成立しなかった。セラフィーナの支えがなければ俺は折れていた。フランの報告書がなければエレノアは動かなかった。ソフィアの一言がなければ白を切り通されていた。
「全員の力です」
俺が言った。
「「「「それはずるい」」」」
四人の声が揃った。
見事なユニゾンだった。
*
夜。
扉を叩く音がした。
「……ナギ」
ディアブラの声だった。低く、いつもより小さい。
「入ります」
扉が開き、ディアブラが入ってきた。フードを下ろしている。角が魔灯の光に淡く照らされた。
いつもは部屋の中央に堂々と立つ。今日は——入口の近くで立ち止まり、壁にもたれた。
「……お茶でも淹れましょうか」
「いい。座らなくていい。少しだけ——」
ディアブラが言葉を切った。
探している。何を言うべきか、どう切り出すべきか。
俺は待った。
椅子に座ったまま、窓の外を見ながら、待った。
長い沈黙だった。
「……アルマのことを、もっと知りたいか」
ディアブラが、ぽつりと言った。
「聞かせていただけるなら」
「別に……貴様のために話すわけではない。ただ、あの女王に全部話されるのは癪だから、私の口からも言っておくだけだ」
ツンデレの壁。だが今日のそれは、いつもより薄かった。
「アルマは——私より百歳ほど年上だった。魔族の中では誤差のようなものだが、あいつは姉貴風を吹かせたがった」
ディアブラが壁にもたれたまま、天井を見上げた。
「私は混血だ。魔族にも人間にも居場所がなかった。母は早くに死んだ。父は寡黙で、私にどう接していいかわからない人だった。……アルマだけが、何も聞かずに隣に座って、歌を歌ってくれた」
「……」
「くだらない歌だ。魔族の古い子守唄。大の大人が子守唄を歌うな、と言ったら、『大人にも子守唄は必要だ』と笑った」
ディアブラの声が、わずかに柔らかくなった。魔王の声ではなく、友人を思い出している一人の女の声だった。
「あいつが死んだ日から、私は歌わなくなった。……歌う相手がいなくなった」
俺は、静かに聞いていた。
問いかけなかった。踏み込まなかった。
ただ、ここにいた。
しばらくして、俺は一つだけ聞いた。
「ディアブラ様」
「なんだ」
「アルマ様の最後の心配事は、あなたが一人になることだったそうですね」
ディアブラの肩が、かすかに震えた。
「……そうらしいな」
「今は——一人ですか」
短い問いだった。
ディアブラは答えなかった。
長い、長い沈黙。
窓の外で、世界樹の梢が風に揺れていた。
「……わからん」
ディアブラが、小さく言った。
「私は魔王だ。一人で全てを背負うのが、私の仕事だった。誰の助けも要らないと、ずっとそう思っていた」
「はい」
「だが——」
ディアブラが壁から背を離し、俺の方を見た。
角の影の下で、目が——赤くなっていた。泣いているのではない。感情が上がっているだけだ。
「この馬鹿げた旅の間に、妙なことに気づいてしまった」
「妙なこと」
「朝、食堂に行くと、あの騒がしい連中が席を争っている。私は隅で茶を飲んでいるだけだが——」
声が、一瞬途切れた。
「……静かでないことが、不快ではない、と」
俺は、少しだけ、笑った。
「それは——一人ではない、ということかもしれません」
「かもしれない、か」
「断言はしません。ディアブラ様ご自身が、感じていることですから」
「……ふん」
ディアブラが、腕を組んだ。
「別に、貴様たちと一緒にいることが心地よいなどと、そんなことは——断じて、言っていないからな」
「はい。言っていませんね」
「言っていない」
「ええ」
「……」
「……」
「……少しだけ、思っただけだ」
俺はそれ以上、何も言わなかった。
アルマが心配した「一人になること」。五百年間、それは現実だった。
だが今——この騒がしい旅の中で、魔王は少しだけ、一人ではなくなり始めている。
ディアブラが扉に向かった。
「明日は評議会だそうだな」
「はい」
「私は……廊下で控えている。だが、何かあれば——」
「頼りにしています」
ディアブラの耳が、かすかに赤くなった。
「……馬鹿を言うな」
扉が閉まった。
俺はしばらく、閉まった扉を見ていた。
千年の魔王が「静かでないことが不快ではない」と認めた夜。
アルマが聞いたら、きっと笑うだろう。




