7-4 ぼったくり
銀の短剣を求めたアステラたちに、鍛冶屋の店主は銀貨五十枚、と無情に告げた。
「それ以上はまけられねえな」
髭面の店主は、カウンターの向こう側で新聞をめくりながらぶっきらぼうに言い捨てる。明らかに軽装の上、金を持っていなさそうな風体のアステラたちを相手に、熱心に営業する気はないらしい。教会はもちろん、近衛隊の武器までもを取り扱う老舗の鍛冶屋ではあるが、店主の不愛想さは近衛隊でも有名だった。店主の態度に驚きはしないが、問題は値段だ。
優に相場の五倍以上の価格を告げられたアステラは、思わず自分の耳を疑い、問い返す。
『銀貨五十枚だって? ぼったくりじゃないか』
「なんやそれ、高いんか?」
首を傾げるダガンに無言で頷いて、アステラは鍛冶屋の店主に向き直る。
『短剣なら、銀貨十枚もあれば一級品が買えるはずですよね?』
「なんだって? 兄ちゃん、風邪でも引いたのかい。全然聞こえねえよ」
耳に手を当て、店主は面倒臭そうに身を乗り出す。
「普通銀貨十枚で十分やろ言うとるで」
意訳した言葉をダガンが伝えると、店主はちらりとアステラの腰元の剣を確かめ、困ったように頬をかく。
「ああ、兄ちゃん剣士なのか。相場知ってりゃ、そう思うよな。俺だってこんなぼったくりみたいな値段はつけたくねえよ。だが純銀製の武器は、今ちょうど品薄でね」
空になった店の一角を指で示しながら、店主は疲れの滲む声音で続けた。
「あんたらも噂くらい聞いてるだろう? 首都の方で凶悪な悪魔が出たとかって話で、伯爵様がありったけ買い占めてっちまって、在庫がねえのよ」
「首都で悪魔ぁ? そんな話、聞いてへんぞ」
アステラとダガンは揃って首を傾げた。いくらここ数日は船旅をしていたとはいえ、そんな大事件が起きたなら、ロナマイの港町なりこの街のどこかなりで、何かしら耳にしていてもいいはずだ。辺境から応援を送らなければいけないほどの状況の割には、街がざわついている様子もないし、そんな大事が起きているとはとても思えなかった。
「デマとちゃうんか?」
「さあな。俺はお偉いさんが武器が欲しいって言うなら売るだけさ。……とにかく、新しいやつは素材から仕入れて打ち直さないといけねえ。急ぎならその分価格だって跳ね上がる」
「打ち直しって……何日かかるん?」
ダガンがおそるおそる尋ねると、店主は「早くて十日」と絶望的な日数を返してきた。ここまで来たというのにそんな不運があるだろうかと、アステラは眉間を押さえて項垂れる。
「泊まってる場所さえ教えておいてくれりゃあ、出来上がったら使いをやるけど」
「や、俺たち急いどるねん。そんなに待てへん。ここにないなら、どっか他に売ってそうな場所はあらへんかな」
「ない。洗礼を受けた純銀製の武器を扱ってるのは、このあたりだとうちだけだ。どうしてもっていうなら、伯爵様に直談判してみるんだな。伯爵家だって、悪魔対策に最低限は手元に残しておくはずだから」
買わないなら出ていけとすげなく手を振られた二人は、口を閉ざしたまま、とぼとぼと巨大な鍛冶屋を後にする。
悪あがきと知りつつ他の鍛冶屋も覗いてはみたが、不愛想な店主の言葉通り、純銀製の武器を扱う店はひとつも見つからなかった。
露店通りの近くの細路地に戻ったアステラたちは、ほとんど頭を抱えるようにして額をつき合わせる。
「どないしよう。伯爵家に直談判ったって、真正面から突っ込むわけにも行かへんよなぁ……」
知り合いとかおらへんの、と尋ねるダガンに、アステラは力なく首を横に振った。
『いるけど、伯爵家に出入りできる知り合いなんて近衛くらいだ。懸賞金掛けられてるやつを突き出さずにいてくれるとは思えない』
「……せやから人間は嫌いや。他人の困りごとより自分の利益が大事なやつばっかりで、嫌になる」
ダガンは皮肉げに笑うけれど、困っている人間に損得抜きで手を差し伸べてくれるのなんて、それこそ人生を神樹に捧げる聖職者くらいだ。そう言い返そうとしたとき、不意に、優しげな青年の声が大路地側から聞こえてきた。
「――アステラ?」
アステラとダガンは揃って背後を振り向いた。
躊躇いがちに細路地へと踏み込んできたのは、聖職者の証である紺色のローブを纏った、線の細い青年――サレだった。半年前、アステラがダガンとともに海へ逃げるきっかけとなった元恋人であり、ヴィンブルク伯爵の想い人でもある青年だ。
振り向いたアステラを見るなり、ほっとしたようにサレは顔を綻ばせた。
「ああやっぱり。アステラだ。見覚えのある金髪だなって思ったんだ」
久しぶり、とぎこちなく微笑みながら、サレはゆっくりと近づいてくる。
「今までどこにいたの? ……いや、そんなことより無事でよかった! 手配書は出てるし、あんな別れ方をしたからずっと心配してたんだ。もう会えないかと思ってた」
サレも元気そうで良かった、と返事をしたかったが、当然ながら声は出ない。仕方がないので、アステラは何度も頷くことで返事をした。
「アステラ、声が……?」
眉を顰めたサレは、アステラに刻まれた呪いに気付いたのか、さっと顔色を変える。
「怪我をしてるのかと思ってたけど、それ、もしかして呪い――」
「――それ以上近寄りなや」
皆まで言う前に、ダガンがサレの言葉をかき消すように固い声で割って入ってきた。
「監禁しくさった挙句、人の血勝手に取ろうとしておいて、よう俺の前に顔出せたもんやな、色男」
かつてダガンを監禁していたのはヴィンブルク伯爵だが、ダガンにとっては伯爵もサレも一括りで敵らしい。威嚇するように、ダガンはアステラを抱き寄せながら声を低めた。
「目的は何や」
「目的なんて、そんなものないよ……! もしかしてアステラなんじゃないかって思ったら、居てもたってもいられなかったってだけで――あれ?」
一拍置いてダガンの正体に気が付いたのか、サレは驚いたように息を呑む。
「……っ! 君、見覚えがあると思ったら、あの時の人魚……? なんで足があるの?」
混乱したようにダガンの足を凝視しつつも、今にも唸らんばかりのダガンの顔を見るや否や、サレは告解する罪人のような顔をしながら頭を下げた。
「いや、君の言う通りだよね。あの時は本当にごめん。謝って済むことじゃないって分かってるけど、アステラにも君にも、申し訳ないことをしてしまった。旦那様が犯罪にまで手を染めるなんて、思ってもいなくて……。あんな形でアステラを裏切るつもりじゃなかったんだ。今さらだけど、改めて謝らせてほしい」
気にしないでと気持ちを込めて、アステラは苦笑いしながら首を横に振る。罪悪感にあふれたサレの顔を見ると、彼に恋していたときの気持ちを思い出し、胸がずきりと鈍く痛んだ。それを察したわけでもないだろうが、ますます不機嫌そうに顔を顰めたダガンは、アステラを抱く手に力を込めつつ、嘲るように頬を歪める。
「どういうつもりやったかなんて関係あらへんわ。やられた方がどう感じたかが全部なんやから。こいつが家も職も捨てて逃げなあかんかったのも、俺らが今手配されとんのも、元はと言えば自分がこいつと伯爵に二股掛けたせいやぞ。本気で悪いと思うとるなら、言葉やのうて行動で示してや」
何を言い出すのかとダガンを見ると、今こいつを逃がす手はないやろ、とダガンは早口にアステラへ耳打ちを返してきた。
サレは神職者であり、ヴィンブルク伯爵とも親しい仲である。教会にも伯爵家にも顔がきくだろうサレは、この状況に置いてはたしかに渡りに船というべき存在ではあるが、気弱で優しい元恋人を自分の事情に巻き込むのは気が引けた。しかし、アステラが声を上げるより前に、サレは「……行動。そうだよね」と小さな声で呟くと、覚悟を決めたように顔を上げた。




