7-3 ヴィンブルク伯爵領再び
「またここに戻ってくることになるとは思わへんかったなぁ……」
大小様々な露店で賑わう港町の大通りで、行き交う人の波を眺めながら、ダガンは途方に暮れたように呟いた。そんなダガンに苦笑を向けつつ、アステラは懐かしい思いで街並みを眺める。
ヴィンブルク伯爵領は、若きヴィンブルク伯爵が治める、海に面した港湾都市だ。半年前までアステラが住んでいた都市でもあり、ダガンが監禁され、血を抜かれそうになっていた土地でもある。
潮の香り漂う昼下がりの露店街には、採れたての魚が所狭しと並んでいた。漁師もいれば、買い出しに来ているらしき貴族の使用人もいる。賑やかな声は途絶えることがなく、値切る町人の声に混じって、荷下ろしをする船員たちの快活な掛け声があちらこちらで響いていた。
辺りを物珍しそうに見渡した後で、ダガンはちらりと海に目を向ける。
「オクタヴィアの旦那、俺たちのこと下ろすだけ下ろしたらほんまにとんぼ返りしてったな。船の上でもずーっと喋っとったし、止まったら死ぬんかな、あいつ。忙しいやつや」
アステラは無言で頷いた。
ハニーが俺を待っていると言い放ったフリッツは、アステラたちとの別れを済ませるなり、早々に港から出ていった。たった数日間の付き合いではあるが、七十とはとても思えぬ体力といい、陽気な人柄といい、そばにいるだけで元気を分けてもらえるような人だった。船員たちやオクタヴィアも含めて、いずれ改めて礼をしに行きたいところだ。
よし、と気合を入れるように呟いて、ダガンはアステラに肩を貸すと、半身の動かぬアステラの腰を力強く抱え直した。
「あと必要なんは銀の短剣やったな。ちゃっちゃと済ませるとしよか」
頷いたアステラは、鍛冶屋の場所を教えようと思い、ダガンの耳元へ口を寄せようとした。しかし、アステラが身じろぎすると、それを咎めるようにダガンが口を開く。
「いちいち耳打ちせんでもええ。ひそひそ声にもだいぶ慣れたし、こんだけ近くにいれば普通に聞き取れるわ」
『聞こえんの? 本当に?』
「そう言うとるやろ。俺の耳は人間とは作りがちゃうんや」
どうやら本当に聞こえているらしい。そういえば船の上でも耳打ちしていないはずの言葉に返事があったし、海魔は耳が良いとフリッツも言っていた覚えがある。驚いた、と目を見開いた直後に、視界に飛び込んできた不穏な手配書を見て、アステラは眉間に皺を寄せた。
『俺にはありがたいけど、それ、あんまりここで言わない方がいいかもしれない。……見ろよ、あれ』
アステラが顎で掲示板を指すと、ダガンが訝しげに目を凝らす。
露店の間に立てられた大きな掲示板の中央には、どこか見覚えのある似顔絵つきの手配書が二枚張られていた。
「何や……? 『お尋ねもの』?」
じっと手配書を見つめながら、似顔絵の下の文言をダガンがつらつらと読み上げていく。
「海魔と剣士。金髪と銀髪の二十代の青年二人組。結託して伯爵家の宝を盗んだ極悪人。衛兵につき出したものに金一封を与える。――アラン・ヴィンブルク伯爵」
どうやらヴィンブルク伯爵の名の下で、アステラとダガンには懸賞金が掛けられているらしい。「宝ぁ?」と素っ頓狂な声を上げて、ダガンは責めるようにアステラを見た。
「修羅場にかこつけて何や屋敷から盗んできたんか、アステラ? 手癖の悪いやつやな」
『盗んでねえよ! 普通にダガンのことじゃねえの? 伯爵は人魚の血を欲しがってただろ』
「拉致監禁した挙句、こっちが逃げたら極悪人呼ばわりか。ひっどい話やわ」
『ひっどいのはあの似顔絵もだよ。誰だよ描いたの。俺はもっといい男だろ!』
「あんなもんやで。愛嬌あるやん」
落書きのような似顔絵を囲んでやいのやいのと騒いでいると、道を行きかう人々が不審そうにこちらを見つめていく。アステラの声が聞こえない以上、傍から見たらダガンはひとりで騒いでいる変人だ。慌ててアステラはダガンの腕を叩いて、細路地へと移動するように目で示した。
人目につかない暗がりに来たところで、アステラはダガンにそっと囁く。
『あんな落書きみたいな手配書でも、どこから怪しまれるか分からない。早いところ鍛冶屋で銀の短剣だけ買っちゃって、追い掛け回される前に教会に行こう。露店通りを抜けた先に職人街があるからさ』
「片足動かへんと、歩くのもきついやろ。ここで待っとけ。俺が見てくるわ」
善意十割であろうダガンの申し出を、アステラは曖昧な微笑みで受け止めた。
ダガンは人の集まる場所に慣れていない。髪で顔を隠しているとはいえ、風でも吹けば目を惹く美貌が露わになりかねないし、そうでなくとも水を被れば、人魚に戻り動けなくなる。目を離した途端にうっかりさらわれていても驚かないし、懸賞金を掛けられている今、ひとりで放流すると二度と帰ってこなさそうな予感さえあった。
『俺も行くよ。悪いけど肩貸してくれるか?』
半身が動かない今、ダガンが捕まっても力で助けてやることはできない。けれど、未然にいらないトラブルを回避することだけは、今のアステラにもできる。
ダガンの肩に腕を回すと、ダガンはついついといった様子でアステラの体を支えつつも、不思議そうに首を傾げた。
「それは別にええけど……、待っとく方が早いやろ」
『鍛冶屋の買い物の仕方って、ちょっと独特なんだ。何かあったら大変だし、二人で行こう。その方が安心だ』
ダガンがそもそもの金の使い方すらおぼつかない上、何十年前の物価を基準にしているのかも分からぬ金銭感覚の持ち主であることは短い旅ながら分かっている。ダガンには悪いが、正直なところ財布を預けるのは心配だった。ダメ押しのように『イリヤが来たら怖いし』とアステラが付け加えると、ダガンは納得した様子で頷いた。
「まあ、せやな。目ぇ離した隙に何かあっても困るしな」
こっちのセリフだとは、思っても言わないでおいた。




