和平交渉
カルタゴ側がルイスに交渉を始めたのには、当然理由がある。
陸に、海に、決定的に有利な勝利が得られず(ルイスの係わる戦いでは敗北とは認めていない)、アテナイ、スパルタ両王国は劣勢、テッサリア帝国軍も大敗、レムス王国の行動は自国利益優先でカルタゴ側が持て余す状態で、国民全体に反対論が高まったことが一つである。
共和国政府との交渉は、実は既に行っていたが、担当者が頻繁に変わり、変わる毎に、方針が変わるため、諦めたのである。
だが、一番の理由は共和国政府が、国王夫妻の処刑判決をだしたことで、カルタゴ側の支配層が恐怖し、コリントス王族への支援をという方向に動いたことによる。国民の大半も、そちらの方向を支持するようになった。
援助をちらつかせれば、どんな条件でも同意するだろう、という足下を見た当初の交渉は、
「国を裏切れない。」
という王太子ルイスの態度で一変した。守旧派の父を持つ王太子妃ルシアなら、とにかく一日でも早く、以前の状態に戻りたいと思っているだろうと、現在の境遇に同情する風を装って、
「このような状況で、ご苦労なさっているでしょう?このような生活をされるなど、本来の高貴な方がと思うと耐えがたい気持です。是非とも、早く元の本来あるべき姿にと、支援申し上げたいというのが、我が国の意向です。」
と接触したが、
「閣下とともにいることが出来る、これ以上の幸福があるでしょうか?まあ、何日も体を洗えない日々があるのは、たしかに辛いですね。臭いと閣下に嫌われるのではないかと心配ですが。でも、陛下も同様で、お互い気が付かないようですから、幸いなことに。」
の言葉で失敗を実感した。しかし、その二人の態度が、かえってカルタゴ国内で共感を呼び、和平交渉は急速に進んだ。
“これ、どこかで言ったわよね?あ、思い出した。レムスの王様と進軍中の時言うんだ。あの人、苦笑いしてたわね。”とルシア。
とはいえ、カルタゴをはじめ、彼らにも国益を守らなければならないという使命感がある。それが動いたのは、ルイスの条件が、大局的に、それを満足させることができるものだったからだ。
戦略的には追いつめているとはいえ、全域でボナパルトの軍に連戦連敗のアッシリアの地、はっきり優位が確定しかけているとはいえ安心できないムガール亜大陸等の広大な豊かな地域の支配権を認めること、他の係争中の地域の帰属を認める条件は、ほんの僅かな係争地をコリントス側に譲り、かつてコリントス側から奪った地域のほんの一部を返還し、ほんの僅かな地域をコリントス側に割譲、ポナパルテとその軍等を英雄の待遇でコリントス本国に輸送する、その学術的資料もコリントスに帰属する、そして多額の援助を送ってさえも、カルタゴ側には余り在る成果と言えるし、コリントス側にとっても十分な成果と言えるものだった。レムス王国は、豊かなシチリア地方を完全に領有、そこのコリントス領を自国領とする代わりに、別の地域をコリントスに引き渡したが、これは元々、アテナイやスパルタから奪ったものだった。面積比較ではレムス王国側が圧倒的に不利だったが、経済的には悪くはないし、戦いは押され気味、与えたのはアテナイやスパルタから最近うばったものであるから身を切った意識は小さいし、守り切れない可能性があるから、今後の支援を差し引いても悪い取引ではなかった。スバルタ、アテネは戦いは不利で、コリントスがレムスから得た地域の一部を両国に引き渡すことで、現在のコリントスの占領地の半ばの引き渡しを認めることは、悪くない取引だった。もちろん、コリントスへの支援も行うことになっているが、やはりそれを差し引いてもだった。
これで手を打って平和を得るのは、何処の国にとっても悪くはなかった。
それでも、ルイスが共和国政府の権限としていた姿勢を転換したのは、父母である国王夫妻への共和国政府の判決と、
「ルイス様。共和国政府の呼び寄せに応じてはなりません。ルイス様、王太子様を逮捕・処刑するつもりです、共和国政府は。」
共和国政府の招聘に対して、彼に共和国政府につけられた監視委員が、彼に言ったからだ。
ルイスは、それでも一応は、自己弁明、国に対する裏切り行為はしていないこと、と父母である国王夫妻の無実と釈放の訴えの手紙を共和国政府側に送った。
随分経て返ってきたのは、糾弾の文書だった。これを届に来た正政府委員は、副委員にそれを渡して、そのまま帰っていってしまった。それを見て、他の随員も、彼の後を追って四散してしまった。文書を手渡した副委員は、その場で土下座して、共和国政府からの離脱と彼への忠誠誓う有様だった。
その前々日、国王フェリペ9世夫妻の死の報が伝わっていた。王立学校卒業後、直ぐに政務の多くを王太子のルイスに任せていたほど、長年の困難な国政の舵取りによる心労から体調を崩している中で、共和国成立、その後も続く混乱への苦悩、事実上の幽閉等から寝込んでいた。その看病に王妃も倒れている。それによる死であってもおかしくはない。だが、直ぐに共和国政府による暗殺であるとの噂が広がった。国王への処刑判決が、その信憑性を後押しした。
処刑判決には、一方的で証拠も何もなかったが、フェリペ9世の次男、次女が王都から脱出しているので、共和国政府にも言い分もあることではあった。しかも、この脱出は、父国王の指示である。父として、子供達の身を心配してのことだったが。
この時、共和国政府が、盛大な国葬なりをしていれば、事態は変わっていたかもしれない。その主張はあり、実際、当初はその方向で進んでいた。が、
「元国王という一個人に対して特別待遇を与えるのは、平等ではない。」
「国王を認めることになり、共和国の自己否定になる。」
の声が優勢になり、遂には、
「元国王を一国民とすることで、各国はほ~と感心して、共和国を認めることになる。」
との主張が通ってしまった。
フェリペ9世夫妻の死因も、
「判決が実行されるということで、各国政府は共和国の司法を高く評価するはずだ。」
との主張に押されて、処刑判決を実行したと発表してしまった。遺体を処刑台で、首をはねたのである。さすがに不味いということで、二日後には取り消し、遺体を改めて埋葬したが、もう遅かった。
そして、この間の混乱で関係者の処分が行われたが、その刑の重さ、司法手続きの問題もさることながら、処刑判決実施と発表することを主張した連中ではなかったことから、憶測を呼ぶこととなった。
イサベラとはいうと、フェリペ9世の国葬を強く主張し続けたことから、政府の中枢から遠ざけられ、処刑判決実施と発表することを主張した者達を強く非難したことで幽閉されてしまった。熱心な支持者のおかげで、しばらくして出獄することができ、民衆の支持が高まり、共和国政府中枢に再びはいることとはなった。




