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29. 宵ヶ峰イツキ

「彼」は。

 大人ふたりは落下傘を背負っているのに、彼はその身一つで降りてきた。風を操るかのように、音もなくコンピューターの筐体の上に着地する。どうしてこの人が? なんの関係で? あたしは目を白黒させる。その名を口にする。


「……――宵ヶ峰、イツキ――」


 今年に臨世学園初等部に入学したばかりの通称「王子さま」。この国で、ううん、世界の大財閥にも比肩する財力と恣《ほしいまま》の各界権力。その次期当主。意味が解らない。なんでこんなところに出てくるの。

 宵ヶ峰が小さな手を振って合図すると、ヘリコプターが遠く飛び去って行く。静かになった朔夜の空。混乱を抑えられないあたしに銃口が向けられる。その刹那に距離を取る。なんで。どうして? そればかり考えている。それしか考えられないくらいにさっきから頭が痛くて痛くて仕方がない。目がちかちかする。涙だと思って拭ったそれが赤い。


「こんばんは! 七瀬マホロさんですか!?」


 宵ヶ峰が筐体の上で両手を振っている。場違いに朗らかな子どもの声が聞こえる。


「ボクは臨世学園初等部一年一組の宵ヶ峰イツキといいます! すきなたべものはガブリエ~ルおばさんの焼き立てシュークリーム! ……――あ、知ってます? 知ってますよね! ボク有名人ですから! 七瀬さんも有名人ですよね! よーーーー……く知っています。暁ノ宮って呼んだ方がいいですか? やめとこうかな! まだマホロ(あなた)と話したいので!」


 立っているのがつらいくらい。でも、壊す。壊さなきゃ。コンピューター。そこいると、邪魔。どいてもらわないと。集中して。シェリーに教えてもらった通りに。意識を形而下に潜らせて。高次世界へ直接干渉(ダイレクトアクセス)する。あたしが機関のシステムで利用した演算術式の履歴(ヒストリ)を、捕捉できる限りなぞっていく。精密性は必要としない。大脳皮質を中継して想像した形相(けいそう)を現実へ出力する。たまゆらに放たれては散る夜明けの紫(いろ)。顕在化するその柄を掴む。


「……――ッ!」


 大剣の重みに体が傾いた。嘘。こんなに重かった? 両手でも持ち上がらない。ようやく気付く。あたしの手元。パーカーの袖が見えた。変身が解けている。魔法少女を維持していたのはシェリーだ。そのシェリーはさっき撃たれて、おそらく――


「すごい!」


 ぱちぱち、と小さな拍手が鳴った。


「何もないところから大きな剣がでてきましたね! かっこいい! うぅーん、話にぐっと信憑性が持てました」


 甲高い、慇懃無礼な声が夜空に発散されていく。


「うん。確証が持てたし、もう処分しちゃっても大丈夫そう――」


 あたしはあなたを許さない。許さない。許さない! そこにいるのが悪いの。大きく息を吸って脳に酸素を送り込む。その(・・)ためにはほんの少しの合図でいい。


「――septette」


 一瞬で魔法少女へ変身を終えたあたしは一歩で肉薄する。コンピューターが淡く発光するのが見えた。構わない。知るか。軽くなった大剣を振りかざして――


 振り下ろせずに、宙で火花を散らした。


 コンピューターを中心に紫電が球状に走る。宵ヶ峰の気味の悪い朗笑が照らされて見えた。だから、どうして……!


「いやー、いいですね! ありがとうございます、雛小路(ひなのこうじ)さん。とても有用な技術です」


 雛小路。


 知っている。どこかで聞いた名前。聞いたのか、見たのか。思い出せない。頭が痛い。壊せ。早く。急いで。それを壊してあたしは明日に続かないと。続く。続くの。続いてナズナに会うの。あたしはまだこの世界で存続するんだ。

 宵ヶ峰が手で合図をすると、控えていた大人ふたりの歪なシルエットが分裂した。彼らはそれぞれ人間を抱えていた。それを鉄骨の上に下ろす。離れていても聞こえる喘鳴が、彼らの命が残りわずかであることを示していた。彼らはあたしの良く知る人たちだった。


「ホロス……さ……シャヘルさん……?」


 動揺して乱れた意識に大剣が形を失う。空気に解ける。

 わからない、わからないよ。

 どうして。

 あたしは、ただ。


「はい。ミスター・ヘリオットと雛小路氏です。元凶ですね。この国を異端な技術で秘密裏に支配しようとしていたので、宵ヶ峰の名の下に罰を与えました。ですが、たとえ異端であろうと正しく利用すれば大いに有益です。なので、ボクが今日こうしてオイシイとこだけもらいにきた次第です」


「――意味がわからない」


 つう、と頬を生暖かい液体が伝う。それだけにとどまらない。ぼたぼた落ちているのは鼻血、か。片耳が詰まった感覚も、きっと、出血が。この割れそうな頭痛に関係がある? 頭痛どころか、全身が痛む。まるで別の生き物がからだを突き破って孵化しようとしているみたい。どうして? なんて、ね。わかってる。現実がひっくり返ろうとしている。嫌だ。嫌だよう。認めたくない。信じたくない。


 時間がない。


「あなた、何をしにここへ来たの」


「……あぁ」


 宵ヶ峰は、小さな鬼の一族の子どもは一度も朗笑を絶やさなかった。弧を描く三日月形の目を崩さずに彼はあたしに答える。


「七瀬さんへの用件は二つです」


 ねえ、ナズナ。


「――まずは、可及的速やかかつ穏便に消滅してください。そしてエンプレスを――」


 どうかその名を言わないで。

 それは、世界を返す切っ先になる。


「――暁ノ宮綺咲(キサキ)を出せ」


 変わらぬ明日を願うことが、そんなに許されないことだと思う?


 あたし、ね。


 誰かを信じたかった。

 何かを頼りたかった。

 ささやかな明日を望みたかったんだ。

イツキの名前引っ張りすぎた感ありますが正直最後まで出すの迷ってました。なんと。

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