28. 朔夜零時を過ぎたシンデレラは
その鮮やかな緋の色が。脳天を突き抜ける臓物のにおいが。消えゆく命の気配が恐ろしくて、わたし、あの日から真っ白な世界に沈んでしまった。このままわたしは失われてしまうんだ、って。そう思っていたの。でも、違った。わたしはずっとゆめを見ていたの。わたしでない、「あたし」のゆめ。そうよ、わたし、ずっとあなたを見ていたわ。彼らはわたしを完全に眠らせることはできなかった。わたしを無垢な幼子でいさせ続けることなどできなかった。なんて愚かなんでしょう! ひとが神の領域を侵そうなんて、おこがましいこと考えるから。こんなおぞましい結末を導いたのよ。形而上の曖昧な世界でたゆたうわたし、識っちゃったんだもの。はるかとおいむかしから連綿と続く願い。あやまち。代償。気まぐれな干渉に歪んだ世界の在り方。望むなら、わたしがそのきっさきになってあげるわ。
「――ねえマホロ、あなた、ほんとうにこんな不安定な足場で空を駆けまわっていたの? きゃっ……信じられなあい」
「ううん。カガセオ機関のシステムはもっと安定してた。もっと細かい演算術式が組まれてたんだと思う」
「再現できない?」
「さすがに無理だよ。――早く行こう。認識阻害かけながら空中移動するの、自力でやるにはあんまり集中力が持ちそうにないや」
「まー! 甘えちゃって。私は二人分の魔法少女システム維持しながら同じことやってるのよぉ」
この鮮明な光と音をゆめと呼ぶべきなのか、少し迷うところね。でもそこにわたしの居場所はないのだから、ゆめとしか言いようがないのよ。
魔法少女がふたり。ひとりはショッキングピンクの主張の激しい年増ね。もうひとりは「あたし」。
年増のことはよく覚えているわ。これは「あたし」じゃない、れっきとしたわたしの記憶。お行儀の良いふりしてはつまらないいやがらせをよくしてくれたものね。わたしに優しくする姉さまが気に食わなくてわたしに八つ当たりをしていた。ね、紫恵里姉さま。あなた、わたしの姉さまが好きだったんでしょう?
「あたし」は――存在を認めるようで悔しいけど、まほろって呼んであげる。まほろは人間として存在しない。機能しない。わたしを形而下の世界に顕在させないためのゆりかごとして設定された。現状維持。存続。それだけが使命。
わかってる?
「――わかってるよ」
わかってるなら、そのまま足滑らせて落っこちちゃえばいいんだわ。……あっ。それはだめ。わたしまで死んじゃう。
「……マホロ、どうかした?」
「なんでもない」
夜はとっくに零時を回って、それでも都会は眠らない。きらきら光るオフィスビル街を眼下にふたりは上へ、上へ。イルミネーションに照らされないインターナショナル・オレンジは夜に染まって静まり返っている。時折、鉄骨に腰を掛けて一休みする。消耗する意識を回復させないと、特にまほろはこの状態を維持できない。カガセオ機関の中央制御なしで人智を超えた力を使おうとすれば、今まで通りにはいかないというものね。紫恵里姉さまについて言えば、とっくに人間じゃないし、ずっとその状態だったんだから、大して変わらないんでしょうけど。
あきれちゃう。
ぜんぶ無駄なのに。
わたしはぷーっと頬をふくらませて、脚をぱたぱたさせた(ほんとはふくらます頬も動かす脚もないけれど、気分よ、気分)。
ぜんぶぜーんぶ、はじめから定められているのよ。運命というものがあるの。宿命だわ。誰が何と言っても、はじめのひとりが作られてからこれは変わらない。これは再現される神降ろし。過去をなぞってゆく。そういうふうに仕組まれたのよ。誰に? なんのために。それは知らないわ? きっと元所長のおじいさんだって知らないと思うわ? 彼はそそのかされただけだもの。
もしも、よ。まほろと紫恵里姉さまがカガセオ機関の大切なコンピュータを壊したとして、目論見をだいなしにしたって。止まらないの。確かに、カガセオ機関は自ら作り出した超常の存在を制御できずに自滅するわ? そしたらわたし、ようやくここから出ることができるわ。でも、それだけだわ? そこから先は未知数なの。身体が先に壊れたっておかしくないわ。そうなる前に、わたしに「わたし」を返せ。まだ制御可能なうちに。七瀬マホロが――暁ノ宮xxxという少女がこの世界に収まっているうちに。……ああ、嫌ね。わたしですら、まだわたしの名前を認められないというの? ふざけたものだわ!
「――着いた!」
息を切らせたまほろが声を上げる。靴音高く鉄骨を踏み鳴らす。紫恵里姉さまが薄水色の蛾を数頭舞わせて後に続く。どの翅に腐り落ちるはずの身体の維持を任せているのかしらね。どの子を引き裂いたら、あなたは今度こそ死ぬ? どきどきしちゃうわ。
直径四十メートルほどの鉄骨で組まれた円形の中心。
民放アンテナに寄生するようにそれは設置されていた。
うすぼんやりと燐光を纏って、幾多の演算術式の結実として隔絶された向こう側に繋がっている。
「シェリー、あれ?」
「ええ。……――まったく、思いつくのはまだしも、よく実行しようと思ったわよねぇ。東京タワーのアンテナ使って」
「機関のシステムを都内中に飛ばしてた、って?」
騒音に負けないように声を張り上げて、ふたりが顔を見合わせて笑い合う。断続的な夜の風が冷たく吹きつけている。月のない夜。真っ暗だからって、気付かなかったわけではないんでしょうね。特に、紫恵里姉さまなら気付かないはずがないもの。こういう気配にはずっと鋭敏でしょうに。気が抜けちゃったのかしら?
そもそも、こんな無防備に設置されていること。奇妙に思わない?
「へえー……量子コンピューターって、こんな大きいの? ひとが入れそう」
「案外、人が入って動かしてるのかもしれないわよ」
「まさか」
「冗談」
その冷たさを確かめるように、まほろが真っ黒な筐体に手を置いた。そこでようやく気付く。あたりを見回す。遅いったら。不自然な風は上方から。限りなく抑えられた騒音。発生源はすぐそこにいる。
乾いた銃声が四つ、騒音に紛れるのを聞いた。
ぐらり、と紫恵里の体が傾く。落ちる。まほろが目を見開く。わたしはその目を通して同じものを見ている。さようなら、紫恵里姉さま。もう助からないわ。あなたは見つかってしまった。あなたの死を認めたこの世界の目に。
騒音が轟音に変化する。人が降ってくる。文字通りに、上から。不自然なシルエットの大人が二人と――幾度か見た小さな子ども。ホバンリングするヘリコプターのダウンウォッシュにまほろが身を屈める。それはカガセオ機関ではない。機関と同種の超常に組する組織でもない。それはこの国で最も巨大な権力のひとつ。その末裔。
あたしは小さく、その名を口にした。
「……――宵ヶ峰、イツキ――」
とうとう始まる最終夜。
夜明けを迎えるのは、誰だ。
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交わる瞬間が好きです(伝われ)
更新遅れていてすみません。残り5話です。走り抜きます。




