第9章 文化祭
夏休みが終わり、二学期が始まった。
奨にとって、あまりにも多くのことが起きた夏だった。
それでも学校が始まれば、日常は何事もなかったかのように戻ってくる。
「はい、席について。」
朝のホームルーム。
担任の安倍清孝先生が教壇に立った。
「文化祭まであと2週間。今年は各クラスだけでなく、部活動の展示もしっかり頼むぞ。」
教室のあちこちから、声があがる。
「やべえ、まだ何も決まってない。」
「間に合うのか。」
奨も美術部の展示を思い浮かべ、小さくため息をついた。
クラスでは展示の準備が進められていた。
東京都立氷川高校には普通科と、農業科と家政科からなる複合科がある。
文化祭では農業科による野菜販売もあり、地元の人たちの人気を集めている。
奨たち1年普通科は、今年はお化け屋敷をやることになっていた。
トントントン
教室に金槌の音が響く……。
机や椅子を教室内に積み上げ、お化け屋敷の通路を作っている。
奨は、ベニヤ板のパネルにお化けの絵を描く係。
美術部の彼にとっては得意中の得意である。
彼のすぐ後ろでは、女子生徒の三枝杏奈が色画用紙を切っていた。
「三枝さん、どこまで切った?」
「うん。全部できたよ。」
「ええ、もう? 早いね。」
「私、得意なんだ。」
奨はパネルを壁に立てかけた。
「これ、どこに置くんだっけ?」
「えっと…、その通路の突き当りだよ。」
「ありがとう。」
答えたのはクラスメイトの男子生徒・小雨。
小柄で地味な少年だ。
普段はいるかいないか分からないくらい目立たないが、文化祭では的確に指示を出す。
「じゃあ、三枝さん。後はそれ、貼っておいてもらえる?」
「うん。わかった。」
奨の後ろから、涼子が聞いてきた。
「奨、この後部活に行くの?」
「ああ。あっちはまだ全然なんだ。」
教室を出た奨は美術室に向かう廊下を歩いていた。
とある教室から大声が響いてきた。
何気なく覗いた。
合唱部の2年生・山倉がテナーを響かせている。
合唱部と言っても、部員は彼1人切り。
まるで独唱部。
もっとも、山倉の声の大きさには定評があり、1人で数人分は声が出ている。
美術室で、奨は頭を抱えていた。
(どうしよう……。)
文化祭で展示する絵が決まらない。
夏休み後半、奨は何枚もの絵を完成させていた。
夏休み中に経験した不思議の数々を彼はキャンバスに表現していた。
――水中に咲く白い椿
――湖の底にある村
どれも鮮やかに思い浮かぶ光景だが、絵にするとどうしても陳腐に思え、現実味がない。
本物はもっと美しかった。
それらの絵を目の前に並べ、奨は腕組みをしたまま固まっていた。
「どうした、奨。難しい顔して。」
「あ、安倍先生……。」
美術室の外から、担任の安倍先生が声をかけてきた。
「展示する絵が決まらなくて。」
「どれどれ、俺にも見せてみろ。」
安倍先生は、奨の絵を1枚1枚眺めていたが、
とある絵の前に来ると急に顔を顰めた。
「これは……何の絵だい?」
「奥多摩湖に沈んだ集落です。」
「それから?」
「今でも村があって、妖怪が住んでいるんです。」
「それは、あり得ないな。」
安倍先生はきっぱりと言った。
「湖の底に集落が沈んでいるのは良いよ。だけど、そこに妖怪が住んでいるというのは無理があるぞ。
だいたいどうして水中に空気があるんだ?」
「……。」
「俺はそういうくだらないものは認めない。はっきり言って非科学的だ。」
安倍先生は理科の教師だ。
「俺は、むしろこっちの絵の方がいいな。これは誰を描いたんだ?」
安倍先生は、1枚の肖像画を手に取った。
それは、曾祖母の八百比丘尼の姿を描いたものだった。
「それは、ひい……、親戚です。」
曾祖母と言おうとして止めた。
安倍先生にいくら説明しても信じてくれそうもなかった。
「今はもう21世紀なんだからな、お前もお化けだの妖怪だのはもう卒業した方がいいぞ。」
そう言うと、安倍先生は美術室を出ていった。
残された奨は呆然としたまま、絵の前に座っていた。
「私は……好きだな。」
ふいに、声がした。
振り返ると、涼子が立っていた。
「その水の中の白い椿。なんか、こう幻想的で……。」
「ありがとう。」
「お、奨。いたいた。」
今度は、2年生の河田が声をかけてきた。
「16時から、プールな。」
「……本当に出るんですか、俺。」
「出るって言っただろ。九月の大会。」
そう。
奨は、水泳部の助っ人になってしまったのだった。
大会は文化祭の翌週である。
河田は美術室に入ってきて、奨の顔を覗き込んだ。
「お前、何しょげた顔してるんだ?」
「……安倍先生に、絵がくだらないと言われました。」
「安倍先生か……。」
「安倍先生が、どうかしたんですか?」
「あの先生には気をつけたほうがいい。どこかで聞いたことがあるような名前だ。」
文化祭は盛大に開催された。
学校内は、地元の人たちで賑わっていた。
奨は、何気なく廊下を歩いていた。
とある教室を覗く。
数人が展示を見ていた。
「奥秩父山地」と書かれた写真展だった。
山の写真が飾られている。
ふとその中に、安倍先生の姿を認めた。
彼は、熱心に一枚の写真を見つめていた。
「これって、先生と関係あるんですか?」
一人の女子生徒が話しかける。
「さあな。」
安倍先生はぶっきらぼうに答えた。
やがて、安倍先生が立ち去った。
奨は、その写真を見ようと近づいた。
写真の下にはこう書かれていた。
〈セーメーバン(晴明盤)〉
その下の説明書きに目を移す。
〈陰陽師の安倍晴明が麓の村に水を引こうとして失敗して死んだという伝説から名前がつけられた〉
(……陰陽師!? 安倍!?)
――あの先生には気をつけたほうがいい。
数日前の河田の言葉が蘇った。
【次回予告】
「第10章 マーマン」
水泳大会で奨が出会ったのは、圧倒的な速さを誇る金髪の少年だった。
「世界は広いぞ、奨。妖怪だって、日本だけのもんじゃない。」
初めて知る、海外にも存在する人ならざる者たち。 そして少年は静かに名乗る。
「俺は、マーマンだよ。」




