第5章 川天狗
港町からの帰り、奨は八百からたくさんの土産を渡された。
魚の干物、お菓子、珊瑚の飾り……。
不思議な気持ちを抱えたまま、奨は奥多摩の集落に戻った。
祖父は曾祖母について何も聞こうとはしなかった。
奨は、集落の真ん中の広場に腰を下ろし、住民の姿をぼんやりと見ていた。
(妖怪の末裔が多いって、ひいおばあちゃん言ってたな。)
ただ、誰が妖怪なのかは、奨には見ただけではわからなかった。
土田さんが通るのが見えた。
(確か……土蜘蛛だって言ってた。)
土田さんはどこをどう見ても普通の人間だ。
「奨、何やってんの?」
涼子が声をかけた。
「……そうだ、涼子。手を出して。」
「なんで? ……これでいい?」
奨は涼子の手をつかむ。
そして、指先に意識を集中した。
(……?)
微かな気配があるような気がした。
まさか、涼子までもが妖怪なのか。
「ねえ。……涼子って妖怪なの?」
「何言ってるの、いきなり?」
涼子は不思議そうな顔をしている。
「そんなわけないじゃない。
この前ひいおばあちゃんに会いに田舎に行ってきたんでしょ? そのとき何か変なもの食べた?」
(……そうだよな。そんなわけないか。)
涼子と別れて、奨は集落の出口に向かった。
そのとき、入り口から入ってきた河田とぶつかった。
「あ、すみません。」
「なんだ奨か。そうか、ようやく水泳部入る決心がついたか?」
「いえ、違います。」
奨はむりやり自分を落ち着けると、思い切って聞いてみた。
「河田さんって……河童なんですか?」
河田は間髪を入れず答えた。
「違うよ。」
やっぱり、そうか。
だが、河田はすぐに続けた。
「俺は川天狗だ。河童なんかと一緒にしてもらっちゃ困る。」
奨は驚いて河田の顔を見た。
「知らなかったのか?」
奨の様子を見て、河田は少し笑った。
「この辺じゃ珍しくないだろ?」
「だから……泳ぐの得意だったんですね。」
「まあな、俺は水を読むのが得意だからな。」
「水を読む?」
「流れとか、水の癖とかだよ。川天狗はそういうのに敏感なんだ。」
そして、奨の目をじっと見つめた。
「お前もなんだろ?」
奨はただ、うなずくしかなかった。
「他にもいるんですよね?」
「ああ。
だが、俺も全部知ってるわけじゃない。」
河田は肩をすくめた。
奨は少し迷ったあと、口を開いた。
「……俺のひいおばあちゃん、八百比丘尼っていうんです。」
その瞬間、河田の表情が変わった。
「……まじか。」
河田はしばらく奨の顔を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「あの八百比丘尼か?」
奨はうなずいた。
「すげえな。」
「そんなに有名なんですか?」
「有名なんてもんじゃない。」
河田は腕を組んだ。
「川天狗の間じゃ、ほとんど伝説みたいな存在だぞ。」
「伝説……?」
「うちの家、ひいじいちゃんのときに、もっと上流の集落からこっちへ移ってきたらしいんだが、
そのときに八百比丘尼にはお世話になったって聞いてる。」
奨は黙った。
食堂でビールを飲みながら笑っていた、あの曾祖母の姿が浮かんだ。
河田はふっと笑った。
「なるほどな。」
「何がですか?」
「お前が普通じゃなかった理由。」
そう言うと、河田は改めて奨を見た。
「で、どうする?」
「何がですか?」
「水泳部。」
奨は思わず顔をしかめた。
河田は続ける。
「川天狗と人魚のコンビだぞ。」
少し誇らしげに言った。
「日本一だって夢じゃない。」
奨は苦笑した。
「いやいや、そんな……。」
「本気だぞ。」
河田は真顔だった。
「今、うちの水泳部、人数足りなくてさ。」
「え?」
「9月に大会あるんだけど、出場人数ギリギリなんだよ。」
河田は軽く頭をかいた。
「だからさ。
正式に入部しろとは言わない。」
そして、奨をまっすぐ見た。
「助っ人でいい。
一回だけでいいから出てくれ。」
奨はしばらく黙っていた。
川の音が、遠くで聞こえる。
やがて、奨はため息をついた。
「……一回だけですよ。」
河田の顔がぱっと明るくなった。
「よし、決まりだ。」
去り際に河田は、奨のことを振り返って言った。
「人魚の泳ぎ、見せてもらうからな。」
【次回予告】
「第6章 湖底の村」
「この水の下に、私の故郷があるんだよ。」
久子ばあさんの願いを胸に、奨は再びダム湖の底へ潜る。
そこで彼を待っていたのは、時が止まった湖底の村と、
八百比丘尼を深く敬う妖怪たちだった――。




