第4章 気配
「で、奨ちゃん。今日は何しに来たの?」
八百が奨に尋ねた。
「実は……。」
奨は山の祠を見つけたこと。
湖で白い椿を見たことなどを語った。
「それで、僕が人魚の力を持っているのかどうか知りたくて……。」
八百は深くため息をついた。
「まったく……海輝のやつ。人魚の誇りはどこにやっちゃったんだろうね。自分の孫に、そのことを伝えないなんて。
一度、説教しに行かないと。」
そして、奨の目をじっと見つめて語りだした。
「確かに、私たち人魚の一族は昔から苦労が多くてね。
人魚の肉を食べると不老不死になれるなんて思い込まれて、命を狙われたことも何度もあったよ。
単に私たちが長命だというだけで……。不老不死になるなんてことあるわけないのに。」
八百は少し肩をすくめた。
「でもね、それって結局、お互いを理解しようとしないから起きることなんだよ。
私みたいに、積極的に町の人たちと交流すれば、きっと分かってもらえる。」
「町の人たちに……ここに行くなと言われました。」
「あ……。」
八百は急に真っ赤になって顔を覆った。
「ごめん、奨ちゃん。それね、私目当ての男だと思われちゃったのよ。
なんか、私に会いたいって男が、いろんなところから来るもんだから。
あとでみんなの誤解を解いておかないとね。私の可愛い曾孫が来てるんだって。」
八百は再び真顔になると、奨の方を向き直って言った。
「こんな小さな港町でも、海難事故は起こるし、釣り人が溺れたりもする。
もちろんそんなとき、水の中で自由に動ける私は、できる限り困っている人を助けるわ。」
八百はグラスを軽く回した。
「だって、それが私たち人魚に与えられた使命だと思っているの。
それだから私は、町の人たちと仲良くやっていけてるの。」
そして、諭すような口調で言った。
「だからね、奨ちゃんも、自分の力を他の人に役立てないとだめよ。」
「お、八百さん。新しい彼氏かい?」
「何言ってるのよ。曾孫の奨ちゃんが来てるの。」
「へー。弟さんにしか見えないね。」
「そういうこと言うんじゃないよ。」
八百と一緒に街を歩くと、
次から次に住民が声をかけてきた。
年の離れた姉弟ぐらいにしか見えないのに、
町の誰一人として、そのことを不思議に思っている様子はなかった。
「せっかく奨ちゃんが来てくれたから、ごちそうしないとね。」
「いえ、そんな。」
「遠慮しなさんな。」
そういって八百は、奨を駅の近くの食堂へ連れて行った。
「お、八百さん。」
店主が声をかけてきた。
昼時の食堂は、漁師らしい男たちで賑わっていた。
「今日はずいぶん若い男連れてるじゃないか。」
「何言ってんの。曾孫だよ。」
常連も次々と声をかけてくる。
「よお坊主。さっきは悪かったな。」
隣の席に座った男が、奨に声をかけた。
さっき彼を冷たくあしらった商店の男だった。
「あなたは……。」
「てっきり八百さん目当ての悪い男だと思ってよ。曾孫さんなら最初から言ってくれれば良かったのに。」
「ひいおばあちゃんって、この町では有名なんですね。」
「そりゃそうさ。この町で八百さんの世話になってない人間なんていないよ。
俺も子供のとき、海で溺れて八百さんに助けてもらったんだ。」
男は嬉しそうに語りだした。
「この前なんか、投網が海ん中で絡まっちまって、漁師連中がみんな困ってたんだ。そしたらよ、いつの間にか八百さんが海面から顔出してきて――
『ほどいといたよ』だってさ。」
奨の頭の中に、さきほどの八百の言葉が蘇る。
(……自分の力を他の人に役立てないとだめよ……。)
「奨ちゃん若いんだから、いっぱい食べれるよね。」
そう言うと、八百はメニューを持って厨房のほうに向かった。
その隙に奨は、隣の席の男にそっと聞いてみた。
「あの、おじさん。……ひいおばあちゃんっていったい何歳なんですか?」
男は一瞬きょとんとした顔をした。
「さあなあ。」
男は湯飲みを傾けながら、肩をすくめた。
「でもまあ、俺が小さい頃から、ずっとあんな感じだったな。」
「え……。」
「気にしたこともないよ。八百さんは、八百さんだからな。」
「そうなんですね。」
すぐに八百は戻ってきた。
奨にはコーラを勧め、自分はビールを手酌でグラスに注ぎ、ぐいっと一口に飲んだ。
刺身、天ぷら、煮魚、焼き魚……
港町らしい料理が、次々とテーブルに並んでいった。
「奨ちゃんさ。
人魚ってことを隠すんじゃなくて……。そのことをもっと誇るべきだと思うの。
そうでしょ? 今は多様性の時代よ。人魚ってのは個性なのよ。」
奨はどう答えて良いかわからなかった。
「大勢の中で自分一人だけが違うっていうのは、不安になりませんか?」
「私の場合、ずっとこの町に住んでるからね。」
「どれくらい住んでるんですか?」
「確か御一新の頃だったから、150年くらいかな……。でも、ここはそんなに長く住んだ方じゃないわね。」
「ええ?」
「京都が長かったんだけど、あそこってしょっちゅう戦争で焼けるじゃない。応仁の頃に焼け出されて、その後は九州に行ったの。」
奨はもう、ついていけなかった。
「そういえば、“八百比丘尼”って呼ばれてたんですよね? 比丘尼ってことは尼さんもやってたんですか?」
「ああ、あれね。島原の方に住んでたことがあるんだけど。なんか住民が反乱を起こして政府の軍に包囲されたことがあるのよ。私まったく無関係だったんだけど、たまたまお城の近くに住んでたんで一緒に包囲されちゃったのよ。
反乱軍のリーダーの男の子が、結構可愛くてね。それで、ついつい協力しちゃったんだけどね。確か、名前は四郎ちゃんだったかな?」
「……天草四郎ですか?」
「そうそう。でもそうするうちに総攻撃が始まっちゃって、自分の身も危なくなったから、泳いで逃げようと思ったわけ。そしたら、政府に追われることになっちゃったのよ。
反乱一味がクリスチャンだったから、誤魔化すために仕方なく比丘尼の格好したってわけ。
そしたらさ、行く先々で有難がられちゃったのよ。」
歴史の授業で習った出来事の現場に、ひいおばあちゃんがいた。
奨はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「ひいおばあちゃん。僕やっぱり、勇気が出せそうにないです。」
八百がグラスを口元で止めた。
「何が?」
「学校で……自分だけが人間じゃないなんていうのは。」
八百はしばらく奨の顔を見つめていた。
そして、ふっと笑った。
「だったら奨ちゃんだけじゃなくて、みんなでカミングアウトすればいいんじゃない?」
八百の思いがけない言葉に、奨は目を丸くした。
「僕以外にも、いるんですか?」
「何言ってるのよ。」
八百はあっけらかんと笑った。
「妖怪なんてどこにでもいるわ。奨ちゃん家の回りなんて、ほとんどがそうよ。」
「ええ!?」
「今はもうあんまり純血はいないかもね。土蜘蛛の土田さんぐらいじゃないかな。
河童の河田さんところの子は、奨ちゃんと同い年ぐらいじゃなかった?」
その名前を聞いた瞬間、奨の脳裏に一人の顔が浮かんだ。
(だから、あの人はわかってたのか。)
「でも、誰が妖怪の血かなんて、僕にはわかりません。」
八百は少し笑った。
「奨ちゃんにも、そのうちわかるようになるよ。」
「え?」
「なんていうのかな。他の人とはどこか違う気配があるのよ。」
そう言うと、八百は奨の手を取った。
「指先に意識を集中してみて。」
奨は言われるがまま、そっと指先に神経を集めた。
すると――
微かな気配が、指先に伝わってきた。
それは、初めて感じるものではなかった。
むしろ、ずっと前からどこかで感じていたような――
そんな奇妙な感覚だった。
「……これって。」
「そう。」
八百はうなずいた。
「妖怪の血を引く者は、同じ血を持つ相手を、なんとなく感じ取れるの。」
奨は黙って、自分の指先を見つめた。
【次回予告】
「第5章 川天狗」
「俺は川天狗だ。河童なんかと一緒にしてもらっちゃ困る。」
妖怪の末裔だったのは、奨だけではなかった。
先輩の河田との出会いをきっかけに、妖怪たちの世界は現実のものとして姿を現し始める。
そして河田は、水泳部の窮地を救うべく、奨にある提案を持ちかける。
「人魚の泳ぎ、見せてもらうからな。」




