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妖怪たちの黄昏-森と人間のあいだで―  作者: 智沢蛸


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第3章 八百比丘尼

「お前、普通の人間じゃないな。」


河田(かわだ)の言葉は、その後も奨(しょう)の頭から離れなかった。



数日後、

放課後、河田が教室にやってきた。


「おい、奨。お前、水泳部に入らないか。」

「無理だよ。泳げないって知ってるだろ。」

「この前は泳げてた。」

「あれは、たまたまだよ。」

「まあいい。」


河田は、向きを変えると教室の入口へ向かった。

そして、教室の入口で足を止めて振り返る。


「……奨。」


奨が顔を上げる。


「お前、何者だ?」



あれから奨は何度も祖父に聞いてみたが、祖父は深くを語ろうとはしなかった。


「お前が、知る必要はない。」


祖父は低い声で言った。


「人魚の血なんてものは、こっそりと消えていくものなんだ。」


ある時、奨は曾祖母について聞いてみた。


「ひいおばあちゃんに会うことはできないかな。」

「やめとけ。

俺が何のために何年も会わせてないかわからないか?」



奨は町立図書館に通うと、八百(やお)比丘尼(びくに)について調べ始めた。

青梅だけではなかった。


京都。

山陰。

北陸。

東北。


八百比丘尼の名は全国に残されていた。


それらの記録と、幼い頃に祖父に連れられて行った港町の記憶と重ね合わせるうちに、

ようやく奨は、一つの港町にたどり着いた。


「ひいおばあちゃんが住んでいるのって、この町じゃない?

夏休みに俺、行ってみようと思うんだ。」


祖父はしばらく黙っていた。


「……だめだ。」

「じいちゃん。」

「それがお前の身を守ることだと、前にも言っただろ。」

「でも、俺はもう椿ノ平(つばきのひら)の祠まで見つけた。ここまで来て、このままにしておける方が無理だよ。」


祖父は深いため息をついた。

そして、観念したような表情を見せた。


「……さすがだな、奨。そこまで突き止めるとは。俺の負けだよ。」


祖父は戸棚の引き出しから、色あせた葉書の束を取り出した。


「八百比丘尼は、今もここに住んでいる。納得いくまで話してくるんだな。」

「ありがとう、じいちゃん。」



奥多摩から2時間ほど電車に揺られ、奨は港町にやって来た。

駅を降りると、すぐに潮の香りがした。

頼みは、古い葉書の住所だけ。

場所を聞くため、奨は駅前の商店に入った。


「すみません。この場所に行きたいんですが。」


男性店員は、訝しそうな顔で、奨のことを頭の上から足の先まで値踏みするように見た。


「……やめときな。あんたなんかが行くような場所じゃないぜ。」


その後も何人かに尋ねてみたが、

住民の態度は冷たかった。


「そこに住んでいるのは、魔女だよ。」

「若い男が、行く場所じゃない。」

「あの家には近づくな。」


奨は考えた。


(……人目を避けて暮らしているんだろうか。)


ようやく、住所の場所にたどり着いた。

記憶のとおり、海を見下ろす崖の上にあった。

荒れ果てた建物を想像していたが、その家はこざっぱりとしたごく普通の民家だった。


表札には〈渕上八百〉と書かれていた。

その文字は、新しいものではない。


庭先に目をやると、白い花が咲いている。

白椿――

八百比丘尼の祠のそばに咲いていた花だ。


そして、屋根の上の鬼瓦には見覚えのある家紋が刻まれていた。

渕上家のものだ。



呼び鈴を押す。

しばらくして扉が開いた。

出てきたのは、白いワンピースを着た女性。

年齢は30歳ぐらい。

色白で艶めかしい感じの美人だ。


「あの……八百さんはいらっしゃいますか。」


女は、しばらく奨の顔を見つめた。


「……入んな。」


そのまま無言で奨は居間に通された。

こざっぱりとしてものの少ない部屋。

ただ、照明は薄暗かった。


「今日来るって言ってたっけ?」


気怠そうな、低いトーンの声で女が聞いた。


「いえ。連絡先がわからなかったので。」

「ここ来んの、初めて?」

「いえ、昔何度か来たことがあったと思います。」

「そうかい。覚えてないね。」


女は、戸棚からグラスと瓶を持ってきた。


「飲むだろ。」

「いえ。未成年なんで。」

「あんた、年は。」

「16です。」

「ずいぶんと若いね。」


女は、自分のグラスに瓶の中身を注ぐと、グラスに口をつけた。


「あんた、名前は。」

「渕上(ふちがみ)奨です。」

「ふちがみ……しょう?」


女は奨の顔をじっと見つめた。

女の表情が、たちまち明るくなる。


「え、君。奨ちゃんなの?」


先ほどとは打って変わって、高い声になった。


「そうならそうと最初に言ってよ。奨ちゃん、何年ぶり?

もう10年ぐらい経つよね。

ごめんね。てっきり、私目当ての男かと思っちゃった。

ちょっと待ってて、今お菓子持ってくるから。」


女は台所へ行くと、お菓子を抱えて戻ってきた。


「さあ、食べて。食べ盛りなんだから。」


奨は気圧されて、お菓子も手に取らずに眺めていた。


「あの、あなたは?」

「忘れちゃったの? お前のひいおばあちゃんだよ。」

「ええっ!?」


奨は信じられなかった。

その女はどう見ても30そこそこ。

とてもではないが曾孫のいる歳には見えない。


「でも、その……。」

「若すぎるって? そりゃそうよ。私は人魚なんだから。」


八百比丘尼は、800歳とも1000歳とも言われる妖怪だ。

歳を取るはずがない。

よく考えれば、当たり前のことだった。

だが、現実を目の当たりにすると、奨にはどうしても信じられなかった。


「流聖(りゅうせい)ちゃんは元気?」


父の名前だ。


「はい。」

「海輝(かいき)の奴は相変わらずなんだろうね。」


こちらは祖父。


「じいちゃんは最後まで、ここに来ること反対してました。」

「なんだい。全然曾孫に会わせようともしないかと思えば……。」


そう言いながら、八百はお菓子の袋を奨の手に押しつけた。

【次回予告】

「第4章 気配」


「人魚ってことを隠すんじゃなくて、そのことをもっと誇るべきだと思うの。」


八百比丘尼の言葉は、奨の心を大きく揺さぶる。

そして明かされる、妖怪たちが今も人間社会の中で暮らしているという驚きの事実。


「妖怪の血を引く者は、同じ血を持つ相手を感じ取れるの。」


奨は、自分に秘められた新たな力に気づき始める。

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