↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖怪たちの黄昏-森と人間のあいだで―  作者: 智沢蛸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/27

第14章 八百比丘尼の来訪

ある日の夜、奨(しょう)の携帯が鳴った。

画面には、見慣れない番号が表示されている。


「もしもし。」

「奨ちゃん? 八百(やお)だよ。」

「ひいおばあちゃん?」

「今度の日曜、影ヶ沢(かげがさわ)に行くからね。」

「え?」

「久しぶりに、そっちの連中にも顔を出しておこうと思ってさ。」


――そっちの連中。

まるで、近所の知り合いに挨拶へ行くような口ぶりだった。


「じゃあね~。お土産楽しみにしててね。」


電話は切れた。



日曜日。

奨は、影ヶ沢の入口にあるバス停で八百を待っていた。

この集落に来るバスは、一日に二本しかない。

午前の便を逃せば、次は夕方まで来ない。


やがて、山道の向こうから小さなバスが姿を現した。

ブレーキの音を立てて停まり、扉が開く。


降りてきたのは、観光客らしい老夫婦と、登山姿の男が一人だけだった。

八百の姿はない。

バスはすぐに扉を閉め、山道の向こうへ去っていった。


「……来ないじゃん。」


奨は携帯を取り出した。

電話をかけようとした、そのときだった。

背後のダム湖から、水音がした。


振り返る。

湖面に、白い腕が伸びた。

次の瞬間、八百が水の中から顔を出した。


「は~い、奨ちゃん。」


あまりにも自然に手を振っているので、奨はしばらく言葉が出なかった。


「……泳いできたんですか?」

「当たり前よ。」


八百は、当然のように言った。


「人魚なんだから。」


そう言って、八百は湖畔の岩に手をかけ、軽々と水から上がってきた。

奨は、思わず視線を逸らした。

八百は、大胆なビキニ姿だったのだ。


「どうしたの。そんなに驚いて。」

「いや……その格好……。」

「泳ぐんだから、水着に決まってるでしょ。」

「それは、まあ、そうですけど……。」


奨が返事に困っていると、湖面がまた揺れた。

今度は、数人の男たちが次々と水から上がってきた。

それぞれ大きな荷物を抱えている。


その中に、見覚えのある顔があった。

湖底の村の長だった。


「長さん……?」


長は、奨に気づくと深々と頭を下げた。


「奨様。先日はどうも。」

「いや、こちらこそ……って、何してるんですか。」


長もまた、両手に大きな風呂敷包みを抱えていた。

八百は濡れた髪をかき上げながら、何でもないことのように言った。


「久しぶりに影ヶ沢へ行くって言ったら、みんな手伝うって聞かなくてね。」


長は恐縮したように頭を下げた。


「八百比丘尼(びくに)様をお一人で行かせるわけには参りませんので。」


八百は肩をすくめた。


「だから、そんなにかしこまらなくていいって言ってるのに。」


その口調は、港町の食堂でビールを飲んでいたときと何も変わらなかった。

けれど、奨にはわかった。

湖底の村の妖怪たちは、八百に従っている。

従わされているのではない。

心から敬っているのだ。


八百は、包みのひとつを開けるとバスローブを取り出して羽織った。

そして、別の包みから大きな箱を取り出し、奨に渡す。


「はい、お土産。」


ずしりとした重み。

蓋の隙間から中には海産物があれこれと詰まっているのが見えた。



やがて、八百が集落に入ると、人々が集まって来た。

畑仕事の手を止めた老人。

買い物袋を下げた主婦。

一見すれば、どこにでもいる山里の住民たちだった。

けれど、その誰もが、八百の前では妙に背筋を伸ばしていた。


奨は初めて気づいた。

八百は彼にとっては、気さくなひいおばあちゃんだ。

だが、この人たちにとっては違う。


その中には河田(かわだ)もいた。

河田もまた、いつもとは違う顔をしていた。


「……本物だ。」


人々の中から、土田(つちだ)さんが歩み出て、深々と頭を下げた。

普段は気のいいおじさんである土田さんも、この時ばかりは態度が違う。


「八百比丘尼様。よくぞお越しくださいました。」


涼子(りょうこ)が、駆け寄って来た。


「ねえ、奨。この人、君のひいおばあちゃんなの?」

「そうだよ。」

「嘘でしょ。若すぎない?」

「俺にも、まだ信じられない。」


二人の様子を見て、八百が近づいてきた。


「奨ちゃんの彼女?」

「違います。幼馴染です。」


奨が慌てて打ち消す。

八百は涼子をじっと見た。


「ふうん。君、冷たい匂いがするね。」

「え、私、そんなに冷え性っぽいですか?」


涼子は、自分の腕をさすった。


「六花(りっか)んとこの子かい?」

「え?」


八百はそれ以上、何も言わなかった。

涼子のことまで、八百にはわかるのか。


そのときだった。


バチバチバチ……


何かがはじけるような音がした。

奨が慌てて八百の方を向くと、すぐ横の垣根から白い煙が上がっていた。


「やだ。うっかり触っちゃった。」

「ひいおばあちゃん、大丈夫ですか。」


奨が駆け寄る。

八百は、煙の上がる垣根を見て、少しだけ目を細めた。


「うん、全然平気。

……陰陽師(おんみょうじ)ね。ったく、しつこいんだから。」

「札があったんですか?」

「普通の札なら避けるんだけどね。」


八百は、垣根に張られた小さなシールを指さした。


「ほら、キティちゃんのシールになってる。まぎらわしいったらありゃしない。」

「キティちゃん……。」

「まぁ、こんなことするの、どうせあいつの家ぐらいでしょ。」


奨は、以前ここで会った井上(いのうえ)の姿を思い出した。


「……井上さんですか?」

「そうそう。あいつの家はね、昔からしつこいんだよ。ずっとずっと昔から。」


八百は、焦げたシールを指先でつまみ上げた。


「でも、こんなのおもちゃで私を封じようったって、無理よ。」


その声は軽かった。

けれど、井上の名を聞いた瞬間から、目だけは少しも笑っていなかった。

【次回予告】

「第15章 八百の記憶」


「あの家の人間は、昔から覗き見が好きで困るね。」


八百比丘尼が語る、千年の因縁。

陰陽師と妖怪――。


その対立は、まだ終わっていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。