龍虎の境界 ―第22話:崩落の序曲、孤立する王手―
2003年、秋。
たった二人の少年が引き起こした反逆の炎は、暴風雨が過ぎ去った横浜の闇を、恐ろしい速度で焼き尽くしていった。
【ゲリラ戦の連鎖】
関内の違法カジノ襲撃から、わずか三時間後。
相模会系・黒田組が資金洗浄に使っていたダミー会社のオフィスが、火炎瓶によって全焼した。
さらにその一時間後には、本牧の倉庫街にあった違法薬物の保管庫に、盗難車のダンプカーが突っ込み、中にいた組員数名がハンマーで徹底的に粉砕された。
「……これで三件目だ。黒田のシノギの七割は完全にストップした」
炎上する倉庫を遠くから見つめながら、大澤龍也がトカレフの弾倉を交換する。
「へっ、ヤクザの防衛網なんてザルだな。俺たちがどこから来るか、まるで分かっちゃいねえ」
白岩虎伯が、血と油で汚れた鉄のハンマーを肩に担ぎ直し、獰猛な笑みを浮かべた。
彼らの強みは「失うものが何もない」こと、そして「龍也が黒田のシステムの弱点を完全に把握している」ことだった。
拠点を守る必要がないため、常に先手を取り、急所だけを的確に破壊して離脱する。
圧倒的な暴力(虎)と、冷徹な情報処理(龍)の融合。それは、図体が大きくなりすぎた極道組織にとって、最も厄介な【見えない死神】だった。
【王の転落】
夜明け前。
高級料亭『松風』の座敷は、凄惨な空気に包まれていた。
「……どういうことだ。なぜ、本部の連中は応援をよこさねえ!!」
黒田が、血走った目で電話機を床に叩きつけた。
ガシャンッ、とプラスチックの破片が飛び散る。
被害の報告が次々と舞い込む中、黒田は相模会の本部に増援を要請していた。
しかし、本部の対応は信じられないほど冷ややかだった。
部屋の隅で、顔面を蒼白にした若頭が、震える声で報告する。
「お、親蔵……。先ほど、本部の若頭補佐から連絡がありました。……黒田組は、相模会から『絶縁』とする、と……」
「なんだと……!?」
黒田の顔から、完全に血の気が引いた。
「どうやら、本部のトップ全員に、親蔵が組の裏金を横領し、海外の口座にプールしていた『証拠データ』が送られたらしく……。本部は激怒しています。もはや、我々は相模会の人間ではありません……」
大澤龍也が送ったフロッピーディスクのデータ。
それは黒田への脅迫状ではなく、相模会中枢部に向けた【内部告発】だったのだ。
龍也は計算していた。
巨大組織を相手に、二人だけで全滅させるのは物理的に不可能だ。
だからこそ、組織のルールを利用し、黒田を組織から「切り捨て」させたのである。
【孤立無援】
「……あの、クソガキがぁぁぁぁッ!!」
黒田が髪を掻き毟り、発狂したように叫ぶ。
絶縁されたヤクザは、裏社会で一切の保護を失う。
他の組織から命を狙われても、警察に踏み込まれても、誰も助けてはくれない。
「……お前ら! 武器を集めろ! 本部の連中が来る前に、あのガキ共を見つけ出して八つ裂きにしてやる!!」
だが、黒田が振り返った時。
座敷にいた十数人の若い衆のうち、半数以上が、無言のまま部屋を出て行こうとしていた。
「おい! どこへ行く気だ!!」
「……すいません、黒田さん。絶縁された組にいたら、俺たちまで殺されちまう。……命が惜しいんです」
ヤクザの絆など、金と権力が結びついているだけの砂上の楼閣だ。
それが崩れ去った時、残るのは保身だけだった。
「待て! 逃げるな! 俺を誰だと思ってる!!」
黒田の虚しい怒声が、料亭に空しく響き渡る。
残ったのは、行き場を失った狂信的な武闘派の組員、わずか十数名だけだった。
【チェックメイトの朝】
朝焼けが、雨上がりの横浜の街を赤く染め始めていた。
龍也と虎伯は、黒田の定宿である『松風』から数百メートル離れた雑居ビルの屋上に立っていた。
龍也の手には、奪った警察用の双眼鏡が握られている。
「……黒田の組員たちが、次々と料亭から逃げ出している。残っているのは、十人ちょっとだろう」
龍也が双眼鏡を下ろし、冷たい風にコートの裾を揺らした。
「黒田は本部に切り捨てられた。今頃、絶望と恐怖で発狂しているはずだ」
「……これで、あのタヌキ親父は丸裸ってわけか」
虎伯が、痛む右足を引きずりながら、屋上のフェンスに寄りかかる。
彼の巨体は、一晩中の戦闘で限界に近いダメージを負っていたが、その眼光だけは、朝焼けよりも熱く燃え盛っていた。
「龍也。……お前の描いた絵図、完璧だったな」
「当然だ。俺のシステムに狂いはない」
龍也は、トカレフの弾倉を確認し、最後の四発が残っているのを確認した。
予備の弾倉はない。これが、正真正銘の「最後の弾」だった。
「……だが、油断はするな。追い詰められたネズミは、何をするか分からない」
龍也が虎伯を見据える。
「黒田の首を取る。……これで、すべて終わらせるぞ」
「ああ。源さんの墓前に、いい報告ができそうだ」
虎伯が、鉄のハンマーを両手でしっかりと握り直す。
【最終局面】
二人は屋上を降り、人気のない早朝の路地を、料亭『松風』へ向かって歩き出した。
朝日を背に受けて歩く二人の影が、長くアスファルトに伸びる。
15歳の時、同じように肩を並べて歩いた市営住宅の階段。
あの時は、どこまでも広がる空と、根拠のない無敵感があった。
今は違う。
彼らの手には血と鉄がこびりつき、歩く道は死体と硝煙で舗装されている。
だが、六年間のすれ違いと殺し合いを経て、二人の間には、言葉を必要としない【完全な信頼】が戻っていた。
「……おい、龍也」
歩きながら、虎伯がポツリと呟いた。
「これが終わったら、どうするんだ?」
龍也は前を向いたまま、足をとめずに答えた。
「分からない。……俺たちの居場所は、表の世界にも、裏の世界にも、もう無いだろうな」
「へっ。なら、二人でホームレスでもやるか。……意外と、悪くねえぞ」
「……馬鹿なことを言うな。不衛生だ」
龍也の口元に、微かな、本当に微かな笑みが浮かぶ。
【死線の門】
二人の目の前に、高級料亭『松風』の重厚な門が見えてきた。
門の周囲には、すでに狂気にとり憑かれた黒田の残党たちが、チャカ(拳銃)や日本刀を抜いて待ち構えていた。
「来たぞ!! あのガキ共だ!!」
「殺せェェェッ!!」
残党たちが、血走った目で一斉に襲いかかってくる。
龍也は、トカレフを構え、深く静かな呼吸をした。
虎伯は、雄叫びを上げてハンマーを振りかぶった。
「行くぞ、虎伯」
「おおおおおおおッッ!!」
2003年、秋の朝。
龍と虎は、すべてを終わらせるため、最後の死地へとその身を投じた。
銃声と怒号が、静かな朝の横浜を切り裂く。
――俺ら、何間違えたんだろうなぁ。
その問いは、もう彼らの中にはない。
ただ、目の前の壁を壊し、二人で生き残る。
それだけが、今の彼らの【全て】だった。




