7. 変身
ルトフリートに貰ったブレスレットは休日が来るまで自室の机の上に置かれていた。中々手に取る勇気が出なかったのだ。
人間の姿でロナルトと話がしてみたい。ブレスレットを見るたびにその気持ちが徐々に大きくなっていく。彼は気付くだろうか。気付かれたいような、ただの人間として彼と接してみたいような、複雑な気持ちが胸をぐるぐると回る。
私は片手で弄っていたブレスレットを思い切って左手首にはめた。今日は人間の姿で下町に行ってみよう。その道中でたまたま、偶然ロナルトに会うかもしれない。誰に向けてなのか分からない言い訳を胸の内で繰り返しながら人間に変身する。
鏡の前に立ち全身を眺めた。どこからどう見てもただの人間の女性だ。服も同時に縮んでいるのでありがたい。まとめられたお下げは元の固いものから軽く波打つほど柔らかいものに変わっていた。顔つきの美醜は正直分からない。牙の無い口で笑顔を作ってみたが、何ともぎこちのないものだった。
王宮から出ている乗り合い馬車に乗ろうと思ったが、身分証を見せなければいけないことを思い出した。この姿でロウサの身分証を出してもきっと門兵は通してくれないだろう。
どうしたものか数瞬悩んだ結果、王宮内を人間の姿で歩いてみることにした。それだけでも私にとっては大冒険だ。騎士団舎内は関係者以外立ち入り禁止なので私はこっそりと部屋を抜け出し、王宮内をどこへいくともなしに歩き回った。
半日ほど人間の姿で過ごした結果、1番に感じたのは快適さだ。
普通の人間はこんな風に毎日を過ごしているのかと思うと信じられない。誰からも奇異の目で見られることはなく、不躾に声をかけられることもない。怯えられる事もない。いい意味で空気のようだ。
人間の姿のまま騎士たちの練習場へと歩く。いつも通っている道のはずなのに視界が低いだけで別の場所のように見えた。
訓練場には鍛錬に励む騎士たちが。廊下に面した壁に設置してある長椅子で、数人が汗を拭きつつ休憩していた。
「そういえば聞いたかあれ、ロウサの」
「ん?なんかあったのか?」
思わず聞こえた自分の名前に、私は壁にピタリと張り付いて息を殺した。普段あまり話したことの無い同僚の声のようだ。
「コーニッシュ家から出てったって話だ」
「まじかよ、でも何でだ?」
「さぁな〜やっぱり人間の中じゃ暮らしづらかったとか?」
「ここで生活してるんだからそれは関係ないだろ〜。まぁ限界が来た可能性はあるけどな」
「それか、コネで騎士団に入れたからもう家に居る必要が無くなったとかな」
そんな風に思われるのか。自分の意思で家から出た訳では無い分、彼らの言葉がチクチクと胸を刺す。
「でも自分から出ていくメリットあるか?まさか騎士団長が追い出したとか?」
「まぁ、確かにロウサ側にメリットはねぇよな……まさかなぁ」
「そうだとしたら酷すぎんだろ」
休憩時間が終わったのだろう。同僚達の声がだんだん遠くなる。私は気付けば走り出していた。人間の小さな肺がゼーゼーと音を鳴らす。
自分が居るせいで、父であったフォルカーが悪く言われている事実が鉛のように手足を重くする。
私はどうすれば良かったのだろう。フォルカーに拾われた時に孤児院に行っていれば良かったのだろうか。
そもそも……あの時両親と一緒に死んでいれば。
走り疲れてトボトボと歩いていた私はいつの間にか図書館の前まで来ていた。
「こんにちは」
受付のお姉さんに声をかけられる。
「こ、こんにちは」
彼女も私があのオークのロウサだとは気付いていないようだ。気付きようがないか。
他に行く所も無いので図書館でゆっくりしよう。
「初めてのご利用ですか?」
言われてハッとした。ロウサとしての利用許可証は使えないのだった。
「え、えぇと、身分証を忘れてしまったのですが」
「本の貸し出しは出来ませんが館内のみの利用でしたら出来ますよ」
仮の許可証を発行してもらい、私は本棚の間をぼんやりと歩いた。いつもなら入れそうもない狭い場所の書籍も、今なら気兼ねなく選べるというのに今はそんな気も起きない。
いつも利用している1人用の椅子に座る。窓から見える景色は雨雲で暗く影っていた。
窓の外を眺めながら今までの人生を振り返る。自分が恵まれている自覚はあった。魔獣の襲撃を生き残っただけではなく、騎士団長の家族として育てられるなんて最高の幸運だろう。それが分かっているだけに、自分が彼らの重荷になっている事が苦しかった。
天気が悪くなって来たのか、窓ガラスに自分の姿が映る。泣きそうな顔をした普通の人間の女性。
居なくなった事にしてしまおうか。オークの姿を捨てて別の人間として生きれば、もう誰にも迷惑をかけずに済むかもしれない。だが、人間になった自分を見てフォルカーとセオドラはなんと言うだろうか。そもそもルトフリートと結婚しなければ人間の姿のままでは居られない。だがそうするとコーニッシュ家に迷惑がかかる。
まるで迷路に迷い込んだように途方に暮れ、私は顔を両手で覆った。
「ロウサさん……?」
聞き慣れた声に思わず振り向く。私よりも驚いた顔で立っていたのはロナルトだった。
「あ……すみません、人違いでしたね」
「ま、待ってください」
そそくさと立ち去ろうとするロナルトを思わず引き止める。
「はい?」
「少しだけ……お話しても?」
「何かお困りですか?」
声をかけたは良いが、何を話したら良いのか分からない。
「先ほどの……ロウサさんと言うのはオークの……?」
「えぇ。この図書館を良く利用されている方なんですが……あなたと雰囲気が似ていたのでつい声をかけてしまいました。すみません」
ロナルトが眉を下げて微笑む。誰がどう見ても今の私はロウサの面影も無いはずだ。彼には何が見えているのだろうか。純粋に疑問に思ってしまい、滲んでいた目を軽く押さえ会話を続けた。
「その、ロウサさんとは仲が良いんですか?」
別人としてロナルトの本意を探ろうとする行為は恥じるべきものかもしれない。だが聞かずにはいられなかった。
ロナルトはうーんと首を傾げて考え込んでいる。もしかしたら彼の本意が聞けるだろうかと思ったが、彼が仮に何か企んでいるとしても見ず知らずの人間には話さないか。
「仲良くなりたいんです。これから。お友達になりたいんです。僕がほら、こんな風なので。人間の中で真っ直ぐ立っている、かっこいい彼女に憧れてるんです」
真剣に語る彼の言葉が静かな図書館に満ちる。ロナルトは私に見つめられている事に気付き、へへ、と眉尻を下げた。
あぁ、やっぱりこの人が好きだ、と思うと同時に、自分が彼の友達にしかなり得ないことに心臓が萎む。
彼がかなりの演技上手で無いかぎり、彼は本当に私と友達になりたいだけのようだ。良いことのはずなのに、思ったよりもショックが大きく拳に力が入る。
友達以上の関係を望んでいる自分が恥ずかしくて情けない。力の加減が出来ずに手のひらに血が滲んだ。
「きっと……良いお友達になれると思います」
「そうですかね……そうだと良いです」
他の司書に呼ばれたロナルトは笑顔で去っていった。
陽が落ちて真っ暗になるまで私はその場から動けずにいた。
ありがとうございました!




