4. 中庭
ロナルトとは週一度図書館で会話をする仲になった。騎士団の団員と王宮内の内勤のものとの関わりは極端に少ないので、何を話すのか最初は手探りだったが私も彼も本が好きだ。共通の話題は思ったより多くあった。
さすが司書なこともあって古い書籍から新しい児童書まで網羅しているらしい。彼の事を疑うのも忘れて話が弾むこともしばしばだった。
「今日は、東の方で取れた茶葉の紅茶を用意しました」
ロナルトが机にカップを置く。
「ありがとうございます。でも、毎回いただいて良いんですか?安い物では無いでしょう?」
「良いんです。今まで特にお金を使う先もありませんでしたし。あなたの為に使えるなら僕も嬉しいです」
ニコニコと返されてしまっては私も強く拒否することは出来なかった。毒が入っているのではないか、騎士団の規約に引っかかっていないかとそればかり気になってしまう。確か一般の人からのお礼の品などは受け取ってはいけなかったはずだ。だが私がロナルトを助けた訳では無いから問題ないのか?
騎士としての自覚を持て、と厳しい目で見つめてくる兄の顔がチラついた。眉間を軽く揉んで兄の顔を追い払う。
「あの、ロウサさん?大丈夫ですか?」
「あ、えぇ。すみません考え事をしていました」
「読書の邪魔になりますよね、僕はこれで……」
失礼します、と去っていくロナルトの後ろ姿を見送った。
カップを手に取り紅茶の香りを注意深く嗅ぐ。私の鼻は人間の物より敏感だ。毒などが混ざっていればすぐに分かる。紅茶は本当にただの美味しそうな紅茶のようだ。
無味無臭の毒もあるが入手はとても難しい。そんなに高価なものを私に使うわけがない。私は躊躇わずに紅茶をごくりと飲んだ。
******
「ロウサ、あんた鈍すぎるわよ」
「え?何が」
騎士団に入団してから一年間同室だったジーナが呆れた目で私を見た。騎士としての仕事をきっちりとこなし、恋愛にも全力投球の魅力的な女性だ。普段はきちっとゆわえている赤みがかった茶髪を今はゆったりと肩に流している。
女性騎士共有の談話室には私たちの他に数人がちらほら居る程度。暖炉で燃えている薪がパチパチと眠くなるような音を鳴らしている。
「その男の人に悪意があるわけじゃないんでしょ?それであなたと話したいって言ってるんだから、それはもうアレでしょう」
「まだ完全に悪意が無いと決まった訳じゃない。と言うかアレってなに」
私は手に持ったマグを傾け、冷えつつあるミルクを口に含んだ。
「恋に決まってるじゃ〜ん」
「ぶっ……!」
キュルンと手でハートを作るジーナ。ミルクが口から飛び出て雫が彼女にかかった。
「きゃっ!ちょっとー!」
お風呂入ったのに!と怒るジーナに構っていられない。まさか私が人間の男性からそんな感情を向けられる可能性を想像したことも無かったのだ。
「あ、ありえない、私オークだよ?」
ジーナの髪についたミルクを拭き取ってやりながら小声でぶつぶつと溢す。
「そんなの関係ないでしょ。どこを好きになるかは人それぞれなんだし」
こう言う所も彼女の魅力なのだろう。私は憧れるような、羨むような気持ちでジーナを見つめた。
一回裏があるとかは度外視して、ありのままの彼を見てみたら、とジーナに真面目に諭されその日は解散となった。
騎士舎の自室に戻り、鏡の前に立つ。
見えるのは立派な体躯の女のオーク。薄い茶色の毛が全身を覆っている。豚のようなピンクの鼻はピカピカと光って上を向いていて、下顎から小さく覗く牙も相まって生意気そうに見えた。長く伸ばし後ろでおさげにしている髪の毛を手荒く解く。
人間の中で生活しているせいか、自分の見た目が周りに受け入れられるものでは無いとかなり強く実感していた。両親は可愛い可愛いと育ててくれたが、アントンとカイの反応は真逆のものだった。毎日カイにブタだの醜いだの言われていては自分の容姿を好きになれる訳がない。
下町や隣国で育っていたらそれも違ったのだろうか。休暇に下町に出かけた時のことを思い出す。獣人も亜人も皆んな笑顔で、見た目の事など気にしていないようだった。
自分は決して人間にはなれない。だが同時に完全なオークにもなれてはいない。中途半端な存在だと自分を責めるような気持ちが心臓をシクシクと蝕んでいた。
******
裏があるかどうかを度外視しろ、との忠告を受けた私は今、ロナルトと向かい合って座っていた。
図書館に向かう為に中庭を歩いていたらたまたまロナルトを見かけてつい声をかけてしまったのだ。中庭に設置してある木製の簡素な机と椅子。そこに座るように進めた時の彼の嬉しそうな顔をなぜか直視出来なかった。
恐れているのか。その笑顔が偽物だった時に自分が傷つく事を。
「えぇと、ロウサさんはこれから図書館に?」
「はい。ロナルト殿は?今からお仕事ですか?」
「いえ、今日はお休みなんです。家に居ようと思ったんですが、なんだか落ち着かなくて」
自分から声をかけておいてなんだが、本当にたまたまなのだろうか。私が来るタイミングを見計らっていたのでは。嫌な考えが浮かび始めた頭を軽く振った。
ニコニコとご機嫌に笑っているロナルトをじっと見つめる。何がそんなに楽しいのだろう。
「あの、ロナルト殿。何か良いことがあったんですか?」
聞かれたロナルトはハッとして俯いた。
「すみません、誰かに声をかけられるという事があまり無い物で……それに、今日もロウサさんに会えたので」
僕は影が薄いから、と照れたように縮こまるロナルトにどう反応したら良いのか分からない。
「……私に会えると嬉しいのですか……?」
「それはもちろん!普段の状態が10点満点で1から2点だとして、ロウサさんと会えた日は10点以上です」
心の底から嬉しそうにロナルトがふにゃりと笑う。
言いようの無い感情が腹の底からじわじわと喉元まで込み上げてきた。これが演技だとしても、胸に温かいものが広がるのを止められない。無自覚に口角が上がり、グフグフと小さい笑い声が漏れる。
私はハッと慌てて口を押さえた。人前で笑うなと兄に言われていたのだ。弟からも良く"笑い方がブタみたいだ"と揶揄われていた。
「ゴホン、失礼しました」
「何がですか?」
ロナルトが小さく首を傾げた。
「いえ、その……家族に良く、笑い方を注意されていたので」
ロナルトは更に不思議そうに眉を上げる。
「僕は笑っていただけると嬉しいですけど……?」
他意の無い目線が私に刺さる。彼にとっては私が笑ったとて何も気にならないのか。彼の隣に心置きなく笑っている自分の幻影が見えた気がして私は顔を逸らした。それは文字通り幻なのだ。
先ほどの高揚感もすっかり冷えて、私は席を立つために腰を軽く浮かせる。ロナルトが私の動きを怖がるような顔で見上げた。
私と仲良くしたいと言う者が私に怯えるだろうか。彼の言動の矛盾に、全身の血流がスーッと冷えていく。もう私に近づくなと突き放してしまおうか。
その瞬間背中に当たっていた陽光が遮られヒヤリとした風が体を撫でた。
「こんなところで何してるんだ」
「カイ……」
声の正体はカイだ。休日に出会いたくない相手に見つかってしまった。カイは私の後ろに立つロナルトをジロリと見た。
「そちらは……?」
「あ、ロナルト・ハッセルと申します」
「あぁ、あの辺境伯の」
正体を知ってしまえば興味は無い、とばかりにカイは私に向き直る。
「父上がたまには顔を出せと言っていたぞ。親孝行しようとは思わないのか」
「年始には顔を出してるから良いでしょ。仕事でもたまに会うし」
まるで私が悪いみたいに言っているが、必要以上に顔を合わせたら合わせたでカイは文句を言うのだ。父が私に目をかけているのが許せないらしい。
「と言うか、カイも名乗りなさいよ。失礼でしょ」
一方的に名乗らせるのは騎士としてではなく人間として礼儀に欠いている。
「お前の兄弟だって知らないやつの方が居ないだろ」
「それでも名乗るのが礼儀でしょ」
「……カイ・コーニッシュだ」
「あ、はい……存じ上げております」
ぶっきらぼうに名乗ったカイは居心地が悪くなったのか、チッと舌打ちをしてその場を去っていった。ただ私に文句を言いにきたのだろうか。暇なやつだ。
「申し訳無い。お見苦しい所をお見せしてしまいましたね」
「いえいえ!大丈夫ですよ。ご兄弟仲が良いんですね」
ロナルトの感想を聞いて私は声をグッと詰まらせた。第三者から見ればそう見えるのか。私としては一度も普通の兄弟のように笑い合った記憶がない。
「そう、見えましたか……。複雑な気持ちですね」
「ロウサさんはご兄弟が苦手なんですか?」
「まぁ、あまり悪様に言いたくはないですが。向こうの気持ちも分かりますからね」
「そうなんですか?じゃあ何で僕は睨まれたんでしょうかね」
カイがロナルト殿を睨んだ?
私はロナルトとシンクロして首を傾げた。その動きが面白くて、彼と距離を置こうと思っていたことは有耶無耶になった。
ありがとうございました!




