3. 怪しい気配
1週間の仕事を終え、私はまた図書館を訪れていた。天気は快晴だ。ゆっくり借りる本を吟味した後は散歩にでも行こうか。
私は選んだ数冊の本を抱えいつもの1人用の席についた。
椅子は窓側に向いている。この窓から見える景色が好きだ。王宮の中庭と、遠くに見える山間がなんとも味わい深い。
そういえば、この間私に紅茶を淹れたのは誰だったのだろう。ふと思い出した瞬間、右側にある机の上に陶器が置かれた音が小さく響いた。
気配も無く私の後ろに現れるとは。
私は勢いよく振り向き軽く拳を握った。いざという時のための警戒体制だったが、私はすぐに拳を緩めた。
そこに立っていたのは小刻みに震える細い男性だ。司書の制服を着ている。
「ご、ごめんなさい!無言で失礼だとは思ったんですが、その、以前は声をかけても読書に集中していたようだったので……」
私はハッとして姿勢を正した。兄に叩き込まれた騎士然とした態度を取る。
「も、申し訳ない。怖がらせてしまいましたね。あの、貴方が以前も紅茶を?」
「はい……ご迷惑でしたよね、すみません」
小動物のように震えている男性は紅茶を乗せてきたのであろう盆を抱えて泣きそうになっている。ただでさえ私の方が体が大きいのに威嚇されては怖がるのも当然だ。出来るだけ柔らかく聞こえるように優しく声をかける。
「いえ、こちらこそ怖がらせてしまってすみません。紅茶、とても美味しかったです。最近から紅茶を出すようになったんですか?」
そんなサービスがあるとは知らなかった、と軽く首を傾げた。
「い、いえ……その、以前僕が高い場所の本を取って差し上げたのを覚えていますか?」
予想していなかった質問に一瞬呆気に取られる。そういえば、と目の前の男性の顔が記憶の底から浮上してきた。高所にあった本が読みたかったのだが、人間用のハシゴを使うには私の体は大きすぎる、そこに現れたのが彼ではなかったか。
「……えぇ、先々週、でしたか」
「はい、お恥ずかしながら、その時に丁寧に対応していただいたのが嬉しくて……」
わざわざ本を取ってもらったのだから丁寧に対応してもらったのは自分の方では?私は更に首を傾げた。
「お礼、と言うのは少しおかしいかもしれないのですが、図書館は乾燥してますので……その……」
モジモジと小声で何やら言っている男をじっくりと見る。黒髪で目の色は茶色がかっている。背は175センチほどか。メガネをかけていて真面目な司書という感じだ。筋肉はそれほどついていない。内勤の者ならではの体つき。オドオドした態度は演技のようには見えない。
私は一瞬の内に色々な可能性を思い浮かべた。たった一度話しただけで紅茶を用意するその心情は?誰かに雇われたのか。そうだとして、私に近付く事のメリットは。騎士団長である父に取り入りたいのか。
騎士団に入ろうと思う、と家族に伝えた瞬間から、父では無く兄に"騎士になるとはどういう事か"を全て教えられた。父と母はその厳しさにハラハラしていたようだった。
人間の中にオークの自分が飛び込むのだから、敵意を向けられる事は当然で好意を向けられたとしてもその裏側を見ろと口酸っぱく言われたものだ。
数秒考えたがこのままうやむやにしては後々支障が出るかもしれない。
「申し訳ない、担当直入にお聞きします。私に近づく真意は?」
聞かれた男はポカンとこちらを見上げている。何を聞かれたのか全くわからない、という顔だ。強張っていた顔が今は幼く見えた。
「え……と、真意、ですか……?」
「えぇ。好き好んで私に近づく人間は居ませんからね」
皮肉に笑ったつもりだったが出てきたのは苦い声だった。二年間共に過ごした騎士たちの間には友情のようなものも芽生えていたが、それ以外で私と仲良くしようとする物は現れていない。彼の行動に何か裏があるのではと疑ってしまうのは当然だろう。
「あの、僕はただ……」
男が焦ったように顔を伏せた。やはり何か後ろめたいことがあるのだ。
「咎めはしません。実害があった訳では無いですし。何か事情がおありなんでしょう」
誰かに指示されて私に近づいてきたとしても、こんなに気の弱そうな男に厳しく問い詰めるのは気が引けた。
「何か困ったことがあれば、騎士団に声をかけてください。もしそれが難しければ騎士団長に直接相談してみてください。私の名前を出して良いので」
ロウサに言われて来たと言えば伝わるから、と私はその場を後にしようと歩き出した。
「あ、あの!」
大きな声に驚き振り返る。
「違うんです……いや思惑があったのはその通りなんですが、僕は……あなたとお話がしたくて……」
男は盆で顔を隠していてその表情は伺えない。だがプルプルと震えている所を見ると怯えているのだろうことが分かる。
「え……あ……はぁ……?」
彼の矛盾している行動に脳が混乱する。
「あなたが不快に思うなら、もう僕からは近づきません……すみません」
「あ、待ってください!」
あまりにも悲しそうな声色に、去ろうとしたロナルトを引き留めた。仮にロナルトに何も思惑がないとしたら、一般の方に酷い扱いをした事になってしまう。
「不快と言う訳では……あ、紅茶、今度来たときに紅茶をまた、淹れてくれますか?」
「っ!はい!もちろん」
ロナルトと名乗った司書の男はホッとしたのか目尻を下げて笑っていた。これも演技なのか。私は疑うように彼を見つめたが、そんな事には気付いていないようでロナルトはヘラヘラと笑うばかり。
これはどうした物か、と私は途方に暮れてしまった。
ありがとうございました!




