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かなりや  作者: やうた まゆ 
Ⅲ.夏の夜明けの歌
37/39

37.約束


――ルーナサの名を聞いた瞬間、見えるもの全てが鮮やかに色づいて、眩しく輝いた。


木々は、こんなに緑だったのだろうか。

空は、こんなに青かっただろうか。


鳥の声が聞こえた。

風に揺れる葉の音がした。


テーブルには、まだ紅茶の香りが残っていた。


色が、音が、香りが、一度に朱の中へ飛び込んでくる。


朱は目眩を覚えた。

目を閉じ、額に手を当てて、それがおさまるのを待った。


目を開けると、ルーナサがどこか寂しそうな表情を浮かべながら朱を見ていた。


朱は自分の両手を見た。

指をゆっくりと動かした。

自分の手だった。


目の前のティーカップを、そして、ルーナサを見た。


ルーナサと目が合うと、朱は穏やかに微笑んだ。


「やっと……あなたを名前で呼べる」


ルーナサは目を逸らした。


「二人の時以外は呼ぶな。お前さんにしか教えてないんだ」


「……わかった。ありがとう」


ルーナサは立ち上がった。


「お前さんは自由だ。どこへ行こうと、何をしようとな」


「ああ」


朱は頷いた。


ルーナサは朱に背を向けて、そのまま歩き出そうとした。


その背中に朱が声をかけた。


「ルーナサ」


ルーナサは立ち止まり、振り返った。


「七日後の朝、またここでお茶をしないか?」


ルーナサは朱を見た。


胸の奥に、何かが込み上げてくるような気がした。

それが何なのか、ルーナサにはまだ分からなかった。


ルーナサはしばらくの間、朱を見ていたが、やがて頷いた。


「……わかった。七日後の朝に来る」


「待っている」


朱は目を細めて微笑み、静かに頷いた。


その朱の顔を見て、ルーナサは朱がアキトだった頃を思い出した。


朱は物静かな子どもだった。

心の中の静謐さは、そこに佇む木々のようだった。

そっと見せる優しさは蝋燭の灯のように、周りをほのかに照らした。


朱のそばは居心地がよかった。

あの娘もきっとそうなのだろう。


「俺の故郷にこんな言葉がある」


ルーナサは右手を差し出した。

朱も右手を差し出し、二人は握手を交わした。


「モ・クシュラ」


それだけ言うと、ルーナサは去っていった。


木立の枝葉が風に揺れて音を立てていた。


✴︎


朱は一人になると、テーブルの片付けを始めた。

ティーカップとポットを盆に載せた。


七日後の朝――。


交わしたばかりの約束を思い出して、朱はわずかに口元を緩めた。


懐かしいのに、夜が明けた朝のように清々しかった。


盆を持って丸太小屋へ入り、台所に置いた。


二つ並んだ空のカップを見て、朱はふと窓の外を見た。

日はまだ高かった。


片付けはそのままに、朱はマントを羽織り、フードを深く被った。


外へ出ると、風が頬を撫でた。

木漏れ日が足元に揺れ、野原の草が風にざわめいた。


朱はその中を歩き、街へ向かった。

大きな木の横を通り、街へ入った。


意識が朦朧とすることは、なかった。


これほど多くの人を見るのは、子どもの頃以来だった。


久しぶりの人混みには、少し目が回りそうになった。


何度か人に道を尋ねながら、朱は目的の場所へ辿り着いた。


ドアの前に立ち、建物を見上げた。


朱は自分の右手を見た。


そして、ドアをノックした。



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