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かなりや  作者: やうた まゆ 
Ⅲ.夏の夜明けの歌
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38.歌


ノックの音が部屋に響いた。


「……開いてるよ」


シンはハンモックに揺られながら、眠そうに言った。


ドアがゆっくり音を立てて開き、再び閉まる。


「早かったね。釘、すぐに見つかった?」


問いに返事はない。


「愛?」


不審に思ったシンは体を捻り、ハンモックから顔をだした。


すると、ドアの前に立つ朱が目に入った。


シンは驚いて体勢を崩し、ハンモックから落ちた。


腰に手を当ててさすり、床から朱を見上げる。

恨めしそうに睨んだ。


「痛た……。お前のせいだからな」


「……そうかもしれない」


朱は真面目な顔で、素直に頷いた。


シンは軽く笑って立ち上がり、腰を押さえながら、朱の顔を覗き込んだ。 


「戻った……のか?」


「ああ……」


朱はフードを下ろして、頷いた。


シンは目を細めた。

一度、天井を仰いだ。

それから朱を見て、静かに頷いた。


「……おかえり。アキト」


次の瞬間、シンは朱を抱きしめた。

背中を二度、軽く叩く。


「……よく戻ってきたな」


シンは抱擁を解くと、朱の両肩に手を置いた。


シンの顔は笑っていたが、その頬は濡れていた。


朱はシンが涙を流すのを初めて見た。


朱は俯いた。


「シン……」


やがて顔を上げると、そっと微笑んだ。


「……ありがとう」


シンは頷き、バンダナを外してゴシゴシ顔を拭った。

自分の頬を軽く手のひらでたたく。


そして棚から紅茶の缶を取り出すと、朱に渡した。


「淹れてくれよ。お湯沸かすからさ」


朱は缶を受け取ると、黙って頷いた。


お湯が沸くまでの間、朱はルーナサとのやりとりをシンに話した。


ルーナサの名は伏せたままで。


シンは黙って話を聞き、朱が話し終わると静かに呟いた。


「あいつさ。お前にしたことは許せなかったけど、なぜか憎みきれなかった。あいつなりに、お前のことを気にかけていたのは分かったからさ」


シンは一つ息を吐いた。


「まあ、今度会ったら文句の一つも言ってやりたいけどさ」


ヤカンが揺れた。


朱はヤカンを火からおろすと、温めたポットにお湯をそっと注いだ。


シンは椅子に後ろ向きに座ると、背もたれに顎をのせて、朱がお茶を淹れるのを見ていた。


湯の音と、立ちのぼる香り。

空気に溶けていく白い湯気。


「どうぞ」


朱は熱いティーカップをシンの前にそっと置いた。


シンはカップに口をつけると、微笑んだ。


「……やっぱり、お前のお茶はうまいよ。ありがとな」


朱は少し頷くと、自分もティーカップを手に取った。


カップを傾けた後、口を開いた。


「シン……。『モ・クシュラ』という言葉の意味を知っているか?」


「え?……ああ。妖精仲間から聞いたことあるな。確か……『私の鼓動』。親しい相手に使う言葉だよ」


朱はそっと、ティーカップを机に置いた。


紅茶の水面に一瞬、波紋が広がった。


「……そうか」


朱はそれ以上何も言わなかった。

シンも何も聞かなかった。


昼の日差しが窓から差し込み、朱の手元を明るく照らした。

街を行き交う人々の足音と声が窓越しに聞こえてくる。


「なあ……」


ティーカップの紅茶が半分ほどになった頃、シンがポツリと言った。


「俺……お前が戻ったら旅に出ようと思っていたんだ。やりたいことがあってさ」


朱は黙って聞いていた。


シンはティーカップを傾けて紅茶を飲み終えた。


「できれば愛もいるときに二人に話したいんだ。俺、愛を探してくる。待っててくれよな」


朱が頷くと、シンは立ち上がって出ていった。


朱は紅茶を飲み終えると、静かに目を閉じ、椅子の背にもたれかかった。


慣れない人混みと音に、少し疲れていた。


午後の日差しの中で、椅子に腰掛けたまま、朱は少しまどろんだ。

こんなふうに無防備に眠るのは、いつ以来だろう。


夢うつつの中で、朱は昔の丸太小屋にいた。


椅子に座って本を読んでいた。

ダルマストーブの火が優しく揺らいでいた。

次第に瞼が重くなってくると、ユキが毛布をかけてくれた……。


……誰かが動いたときのような、空気の揺らぎを感じて、朱はゆっくり目を開けた。


目の前には、膝掛けを手にした愛が屈んでいた。


朱はぼんやりしたまま、愛の頬に触れた。


驚いた愛に、朱は小さく囁いた。


「あなたのおかげで歌を思い出すことができた」


朱は微かに微笑んだ。


「ありがとう」




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