35.朝
小鳥がさえずっている。
太陽の光が窓から差し込み、朱の白い髪を照らした。
ソファでは、小さな寝息が規則正しく続いている。
その静けさを、ノックの音が破った。
朱はドアにそっと顔を近づけた。
「シン?」
「愛は……?」
間髪入れず、問いが返ってきた。
「無事だ。今は寝ている」
ドアの向こうで、シンが力を抜いて寄りかかった。
重さでドアが小さく軋む。
「良かった……。ありがとな……」
朱は黙って目を細めた。
「……そのまま少し寝かせてやってくれないか?」
「ああ」
「昼過ぎにまた迎えに来るよ」
ドアの向こう側から、シンの気配が消えた。
朱は振り返ってソファを見た。
人の形の毛布がゆっくり上下に動いている。
窓の外を見た。
空が青い。黄緑の葉が日の光を受けて輝いている。
朱は古びたかごを一つ持って、外へ出かけた。
✴︎
ドアの開く音が部屋に響き、愛は目を覚ました。
かごを片手に下げて、朱が部屋に入ってきた。
愛は慌てて、ソファから起き上がろうとして、怪我した方の腕をついた。
「痛……」
力が抜けて、そのまま床へ転がった。
咄嗟に朱が愛の頭を支えた。
床に転がった愛と、床に膝をついた朱の目が合った。
「朱さん、ありがとう。あの……おはよう」
「……おはよう。気をつけてくれ」
朱は挨拶を返した後、少しだけ笑った。
「次からベッドで寝た方がいい。俺は夜寝ない」
愛も可笑しくなって笑った。
「そうさせてもらうね」
愛が顔を上げると、床に転がったかごと木の実が目に入った。
「朱さん、これ何の実?」
「木苺と……これは分からない。ただ、食べられる」
二人は床の木の実を拾ってカゴに戻した。
朱が木の実を丁寧に洗って皿にのせてくれた。
「俺は普段食べないから、朝食になるようなものがないんだ。これだけしかなくてすまない」
「ううん、嬉しい」
朱がいつものように、静かな所作でお茶を淹れた。
ミントのさわやかな香りが広がる。
赤くて丸い実は甘酸っぱかった。
「朱さん。今度、お茶の淹れ方……教えてくれる?私も、朱さんに淹れられるようになりたい」
朱は目を細め、「ああ」とだけ返事をした。
二人はしばらく静かにカップを傾けた。
近くの木から、鳥の澄んだ声が聴こえている。
愛は食べるのをとめて、赤い実をつまむと、しばらく眺めた。
そのまま朱を見る。
「……妖精は、朱さんと友達になりたいのね」
朱はカップを傾ける手をとめた。
「大好きな人が、自分じゃなくて、他の人と楽しそうにしてると、なんだか寂しいもの」
「友達……?」
朱は友達がどんなものか、知らなかった。
愛は少し驚いたが、朱が今まで家族しか知らないことを思い出した。
「ええと……難しいね。友達って、なんて言ったらいいんだろう」
愛は言葉を探しながら答えた。
「一緒に暮らしてなくても、また会いたいって思う人とか、一緒にいると安心する人とか……。相手が嬉しいと自分も嬉しくなる人とか……」
朱はしばらく視線を落として、考えていた。
ドアの方からシンのノックの音が聞こえた。
愛は慌てて出発の準備をした。
残った木の実を、朱が袋に包んで持たせてくれた。
「朱さん、昨日も今日も本当にありがとう。あとごめんなさい……借りた楽譜……」
朱は思い出して部屋の奥へ戻り、楽譜の入った愛のバッグを持ってきた。
「シンが拾ってきた。楽譜はしばらく持っていて構わない。俺は覚えているから」
愛はバッグを受け取り、顔を綻ばせた。
「ありがとう」
愛を見送った朱は、その場にしばらく立ち尽くしていた。
ーーお前さんは、何度も礼を言うのだな。
昔、妖精にそう言われたことがあった。
机に並んだ二つのティーカップやポットを片付けようと手を伸ばす。
ーー朱さんと友達になりたいのね。
愛の言葉が頭に響いた。
「友達……」
ポットを手にしたまま、朱はその言葉を胸の中で繰り返した。




