25.帰る場所
空一面に雲が広がっている。
少し灰色がかっていて重苦しかった。
ハルは一人で歩いていた。
川を眺めながら。
ユキがいなくなってから、アキトのことを心配していた。
感情をしまいこんだように、無口になり、物思いにふけることが多くなった。
それが、最近、少し明るくなった。
夜明け前、出かけていくことがある。
楽しみを見つけたようだった。
ハルは少し安心した。
一方で、ユキについて、その後どうしているのかさっぱり分からなかった。
世話人に何度も聞いたが、何も教えてもらえなかった。
真夜中に、こっそり街へ行ってもみた。
少しも手がかりは得られなかった。
ユキがいなくなった日から、頭にユキのスカーフを巻いている。
巻くと、揺らぎそうになる気持ちが引き締まる。
川の小石を蹴りながらぶらぶら歩いていた。
すると、向こうに人影が見えた。
見慣れた、のっそりした大きな人影だった。
だが、いつものように袋を背負っていない。
ハルは少し首をかしげながら、クマさんに向けて手を振った。
クマさんもハルを見つけると、早足でやってきた。
「こんにちは。どうしたの?」
ハルが挨拶すると、クマさんは辺りを見回した。
そして、腰を落としてハルの耳に顔を近づけた。
「ハルナさん、なるべく早く、アキト坊ちゃんを連れて、ここを離れるんです」
クマさんは声を低めて、ささやくように言った。
気圧されるくらい、真剣な表情だった。
ハルは目を大きくして、クマさんをじっと見た。
「どういうこと?」
「お二人は、このままここにいるとよくない。危ないんです」
ハルが何か言おうとすると、クマさんは手で遮って話し続けた。
「川下に行ってください。街がある。そこなら大丈夫ですから」
「川下?でも……」
「イツキ坊ちゃん達のことは、あたし達で何とかしますから。いいですね」
それだけ言うと、クマさんはあっという間に帰っていってしまった。
ハルが何か聞く間もなかった。
空気が静まり返っていた。
ただ、川の音だけが流れていた。
✴︎
ハルが丸太小屋に戻ってくると、イツキだけが椅子に腰掛けて足をブラブラさせていた。
「アキト達は?」
「ベリーを摘みに行くって」
イツキは顔だけハルを振り返った。
「ハル姉?」
イツキが不思議そうな顔をしている。
ハルは、ハッと気付いて、顔と肩から力を抜いた。
「さっき転んじゃってね。ああ、痛た……」
そう言って、イツキに笑いかけた。
自分とアキトでこの丸太小屋を離れる?
まだ小さいイツキとワカキとマイを置いて?
ハルは、珍しく迷った。
アキトに話すべきかどうか。
イツキに背を向け、ピアノの前に立つ。
そこに座っていた家族は、今はいない。
ハルは無意識に、頭に巻いたスカーフを握りしめた。
✴︎
アキト達が帰ってきた。
ベリーの沢山入ったカゴをマイが嬉しそうに抱えている。
ワカキが色々なハーブを手に握りしめている。
アキトが二人の空いた手と手を繋いでいた。
ユキがいなくなってから、アキトは寂しがる下の子ども達を時々散歩に連れ出した。
アキトは植物に詳しい。
ワカキやマイに頼まれて、ハーブや食べられる木の実について教えた。
ハルは、アキトが二人と歩くのを見て、親鳥と雛鳥のようだと思った。
日が暮れてきた。
アキトが暑くなりすぎないように、ダルマストーブの炎を調節している。
マイは最近、お茶の淹れ方を覚えて、今日も、皆にハーブティーを得意げにふるまった。
イツキはハルを真似て棚を作り始めた。
ワカキも葉っぱを編んでカゴを作っている。
外は少し冷えるが、丸太小屋の中はちょうど良くあたたかい。
ユキの代わりに、アキトがピアノを弾いた。
マイにせがまれて練習していたショパンの子守唄。
まだたどたどしくゆっくりだが、優しい音だった。
愛おしい暮らし。
ハルは、話せなかった。
その日の夜、アキトはまたクッキーを焼いた。
摘んだベリーのジャムをのせて。




