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かなりや  作者: やうた まゆ 
Ⅰ.春の午後の日差し
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2.風と街


焚き火の向こう側から、足音が近づいてくる。


愛は顔を上げた。

現れたのは、バンダナを巻いた青年だった。


首を傾げながら愛に近づくと、無遠慮に顔を覗き込む。


「女の子が何やってるのさ、こんなところで」


どこか気の抜けたような、飄々とした雰囲気。


「怪我はない?……ああ、俺こう見えて女だから。安心して」


驚く愛にそう言うと、青年はカラカラと笑った。


愛は思わずまじまじと見返した。

言われてみれば体の線が少し細いが、一見しただけでは分からなかった。


「この辺りに近づいちゃダメだよ。危ないから——」


ふと、青年の視線が愛の手元に止まった。


「……あれ?その手紙、あいつの?」


「シンさん……ですよね?朱さんからです」


愛はそう言って、手紙を差し出した。

青年は受け取り、開いた。

しばらく黙って目を走らせていたが、やがて眉をひそめた。


「あいつ……押し付けやがった」


小さくつぶやく。


「え?」


「や、なんでもない」


すぐに表情を戻す。


「行くあてがないんだろ?ひとまずここを離れよう。街まで案内するよ」


そう言って、くるりと背を向ける。


「あ、俺はシン。……あんたは?」


「愛です」


名前を言いながら、愛はふと思った。


——そういえば、朱さんに名乗らなかったな。


「じゃあ、愛さん。ついておいで」


軽く手を振る。


愛は一度、後ろを振り返った。

朱のいた方角。

もう人影はなかった。


木々だけが静かに立っている。


「ほら早く。あまりここに長居しない方がいい」


シンが振り返る。

その声に促されて、愛は歩き出した。


愛はシンの背中を見ながら野原の細い道を歩く。


頭の上でヒバリが鳴いている。

やわらかい春の風が吹き抜けていった。


「シンさん」


「うん?」


「朱さんと……仲がいいの?」


シンは少しだけ笑った。


「まあ……うん。弟みたいなもんだよ。……ちょっと面倒なところもあるけどね」


軽く言いながら、視線を前に戻した。


少しの間を置いて、愛が再び口を開いた。


「レッドキャップって……なあに?」


少しの沈黙があった。


「……そういう妖精がいるんだ」


シンは立ち止まり、少しだけ愛の方を向いた。


「夜に近づくと、殺される」


淡々と、シンは言った。

愛は思わず息をのんだ。


シンは頭をかいた。

はずみでバンダナがずれて、首元まで落ちた。


「まあ、決まりを守って接すれば、やたらと襲ってくるわけじゃないんだけど……」


面倒くさそうにバンダナを直した。


「とにかく、日が落ちる前には帰るんだ。いいね」


そう言って、また歩き出した。

愛もあわてて後を追った。


✴︎


野原の端に一本の木が立っていた。

木の根元まで来ると、目の前に街が広がっていた。


「……すごい」


愛は思わず足を止めた。

崖の下に、街が広がっている。


地面にめり込むように、バラックや布張りの家がひしめいていた。

道はむき出しの土。人の声と、物音と、生活の気配が混ざり合っている。


川上の街とは、まるで違っていた。


あちらは整っていて、きらびやかだった。

なのに愛は、こちらの方が息をしやすい気がした。


「愛さんや。前見て歩かないと、ぶつかるよ」


シンの声で我に返る。


「あ、ごめん。でも……すごいね、ここ」


愛は明後日の方向を見たまま返事をした。


「気持ちは分かるけどね。一旦、俺の家に行こう」


半ば強引に手を引かれる。


坂道を歩きながら、愛はきょろきょろと辺りを見回した。


子どもたちが走り抜ける。

その中に、見たことのない姿が混じっている。


耳の長い者。

小さな影のようなもの。

妙に軽やかに跳ねる子——。


けれど、誰も気に留めていない。

人と妖精が当たり前のように混ざっていた。


「シンさん、元気?」


「これ持ってってくれ」


あちこちから声が飛ぶ。

シンは軽く手を上げて応えながら歩く。


「シンさんって、すごい人なのね」


愛が言うと、シンは少し照れくさそうに頭をかいた。


「別に。ちょっと顔が広いだけだよ」


そのまま歩き、街の一角で足を止めた。


「ここ」


トタン張りの小屋。

周りより少しだけ大きい。


「みんながお礼にって建ててくれた家なんだ。大したことしてないんだけどね」


扉を開ける。

愛は一歩踏み入れて、思わず立ち止まった。


中は、きちんと整えられていた。

木の棚が並び、壁には紙に印刷された絵が整然と貼られている。

小さな美術館のようだった。


——なのに。


床には物が散乱している。

コップ、筆、ノミ、ノコギリ、服の山。


「……えっと」


「どうぞあがって」


シンは迷いなくその間を歩く。

愛は恐る恐る後をついていった。


椅子に腰掛けると、ようやく息がつけた。


シンは引き出しを開け閉めしながら、布の塊を取り出していく。


「事情がありそうだけど、無理に聞くつもりはないよ」


軽い調子で言う。


「話したくなったら話せばいいさ。とりあえず、うちに泊まりな」


服の塊をぽん、と愛に渡した。


「俺のそばにいれば、大体は大丈夫だから」


少しだけ、声の調子が変わる。


「あと、一人では出歩かない方がいい。いい奴らが多いけど、ときどき変なのもいるから」


「……うん」


「これ、着替え。水はあっち。ベッド使っていいよ。俺はハンモックで寝るから」


そう言って、シンはそのままハンモックに体を預けた。


ゆらゆらと揺れる。


「……ありがとう、シンさん」


返事を聞く間もなく、シンの呼吸がゆっくりになる。

寝てしまったらしい。


愛はしばらく、服の塊を抱えたまま立っていた。


静かな室内。

さっきまでの賑やかさが、嘘のようだった。


——少しだけ。


家の前を見るくらいなら、大丈夫かな。


音を立てないように扉を開け、外へ出る。


日が傾いていた。


通りには、まだ人がいた。

布の上に品物を並べて売る人々。

木や石のアクセサリー。素朴な器。手作りの家具。


見ているだけで楽しかった。


湯気が立っている。

甘い匂いが、ふわりと漂う。


「おばさん、いい匂いね」


声をかけると、店の女が笑った。


「ああ、饅頭だよ。あんた、シンと一緒にいた子だろ」


包みを二つ、手渡される。


「お代はいらないよ。一つはシンにやっとくれ」


「ありがとう」


愛はそれを頬に寄せた。

じんわりと温かい。


「ほら、もう閉めるよ」


「まだ明るいのに?」


女は手を止めて、愛を見た。


「あんた、ここに来たばかりかい?」


少しだけ、声が低くなる。


「日が沈む前に家に入りな」


風がすっと冷たくなった気がした。


「夜はね……命をもっていかれる時間だから」


愛の頭に、シンの言葉がよぎった。


「それって……レッドキャップ?」


「ああ」


短く答える。


「ここはいいところさ。でもね——夜だけは、別だ」


そう言って、慌ただしく片付けを始めた。


愛はその場を離れた。


ふと、振り返る。

さっきまでの賑わいが、消えていた。

店は次々と閉じられ、人の姿も減っていく。


「……なんだろう」


小さな違和感が残った。


愛はそのまま、シンの家へ向かった。


焚き火の匂いが、まだ少し服に残っていた。

日が、沈みかけていた。





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