魔法石と役割(ミッション)
幼い少年を思わせるその声は、アリスの記憶に引っかかった。遥か昔か、はたまた遠い未来か……覚えがあるのは、親しみを感じるのは、何故だろう。
湧き起こった疑問の答えを得られず思案するアリスに、その声は続けて語る。
「ここに存在する僕は、記録の一部でしかない。よって、記録された範囲外は語れない」
「記録の、一部……? あなたは誰なの?」
「記録されていない」
最も単純な質問であるはずなのに回答を拒否され、アリスは少し面食らう。が、攻撃などされず、少しでも「質疑応答」が成立するなら、尋ね続ける価値はあると考えた。
「ここは何処なの? チェシャは?」
「僕が止め続けている時空の狭間。案内役はこの時空の外で待機させている」
返答を聞くうち、アリスは思い出す。そう、この声は、不思議な世界へとアリス――もとい、中学3年生の有澤鈴――を誘った声。眠気でぼんやりとしていた意識の中に、「待ってるよ」という、たった一言を託すようにこぼして。
ならば、旅の終わりはココで間違いない。
「どうしてここに?」
「役割を果たすため」
「役割って?」
「一つは魔法石・マレフィセントの涙を、来るべき時に消滅させること。もう一つは……」
声が一呼吸おいたタイミングで、アリスの前に黒くて大きな箱が現れた。否、ただの箱ではない。アリスの直感が正しければ、恐らくこれは棺。そして、中で眠っているのは……。
アリスはもちろん、声を発する銀の光球も触れていないのに、ギギギギ、と重たい音を出しながら、棺は自動的にその蓋を開く。
「……この人は、」
「僕の役割を作った人物。もう一つの役割とは、遺体となった彼女の時を止め、この特別な時空にて隠し、守ること」
まるで、一日の仕事を終えてゆっくりと眠っているような、穏やかな表情。そうっと覗いたアリスの視線に気づいて、今にも起きそうな印象すら与える。
「マレフィセント、なの?」
「その通り」
「何で時を止めて保存してるの? 私がこうして来なければ、いつまでもこの状態だったってこと?」
「魔法石が来るまで保存という役割は終わらない。彼女がそう望んだからだ」
「どうして? 普通の埋葬じゃダメだったの?」
「遺体に残る魔力が強く、当時の情勢では遺体ごと悪用される可能性が高かった。そこで彼女は、最も信頼する異界の者に、魔力の全てを託した。互いの時が再び交差した際、確実に消滅させるための処置だ。言うまでもなく、大きな賭けでもあった。けれど魔法石は……勇者は、ここに来た」
突如、胸元の「涙」が眩い光を放つ。同時に、アリスの首と涙を繋ぐ縒られた蔓のような紐が、驚くほど簡単に、しゅるんとほどけた。
「取れた……!」
澄み渡る海のような輝きが真っ白な世界を照らし、ゆっくりとマレフィセントの遺体へと近づく。目を見開くアリスの前で、黒色のドレスと白いユリが青を反射する。長らくアリスの首から外せなかった魔法石は、吸い込まれるように遺体の胸元に溶けて、消えていった。
「時間だ、マレフィセント」
銀の光球の言葉に反応したのか、棺の周りに突風が吹く。思わず数歩下がったアリスの脳内に、あの時と同じ声が響いた。
―「信じていたわ……とても勇敢な、私の大事な大事なお嬢さん」
不思議な感覚だった。知らない声なのに、会った覚えもないのに、目が熱くなる。
とても大切な人を失ったような気がする。とても優しくしてもらっていた気がする。恩返しがしたかった気がする。きちんと出来ずに泣くほど悔やんだ気がする。最後の最後まで、背中を押してもらった気がする。
身体の奥から溢れ出てくる様々な想いは、一体誰のものなのか。少なくとも、15年生きてきたアリスの中に、これらの感覚にピッタリ当てはまる記憶は存在しない。
困惑するアリスをそのままに、銀の光球が「役割」を全うしようと強く輝く。
「追いつけ」
自分の目を疑うことしかできなかった。黒い棺の蓋が閉じ、みるみるうちに朽ちていく。まるで、これまで強制的に止めていた時間を急激に進めているかのよう。未だ吹き止まぬ突風のせいで近付けないが、錆や苔に覆われていく速度は、アリスを硬直させるのに充分だった。
そして、風がやむと同時に棺は完全に風化して消え、白い世界にはアリスと銀色の光球だけが残った。
「これで役割は終えた。僕の存在する理由はもうない」
「ま、待って! あなたの名前はっ……」
「記録されていない」
「何者なの!? 私はどうすればいいの!? どうやって帰れば……」
徐々に収縮していく銀の光球に、アリスはできるだけ疑問をぶつける。
「僕は、縛られた時の管理者、その思念と記録の一部でしかない。よって、勇者に道を示すことはできない。その『役割』は、案内役が担っている」
「案内役って、チェシャが……私の帰る方法を知ってるの?」
「彼の、存在意義は……そこに、あ、る……」
途切れ途切れになる返答を必死に聞き取ろうとするが、アリスの意識も同時に遠のいていく。
……そう言えば、初めて会った時も、チェシャはそんなこと言ってたっけ。でも私は意味がわからなくて、そもそも別の世界に飛ばされたことも実感湧いてなくて、聞き流しちゃってたんだ。
今なら分かる、って言いたいトコだけど、やっぱりわかんないよ。何で私が魔法石を持ってたの? 何でチェシャの存在する理由が勇者なの? 何でこんなに、寂しい気持ちが止まらないの?
「…………ちゃん、アリスちゃん……アリスちゃんっ!!」
聞き慣れた「彼」の声がする。珍しいことに、ふざけ調子でも軽くもない。
あまりにうるさく呼び続けられ、アリスは仕方なく重たい瞼を開けた。
「アリスちゃん!」
「……チェシャ?」
見れば、辺りは元いた森の中。どうやらアリスは気を失っていたようで、チェシャ猫に半身を抱き起されていた。
「私……」
「あのさぁ、寝不足だったならそう言ってくれるかなぁ? こんな場所で前触れもなく倒れられて、手繋いでた俺もつられて転びそうになったんだけど」
「ごめん……でも、」
アリス自身にとっても予期せぬ出来事で、不可抗力だった。そう言おうとしたが、できなかった。正確には、突然抱きしめられて、言葉が詰まってしまった。
「えっ……あ、の……」
「こんな近くにいても安心させてくれないなんて、ホント、アリスちゃんの巻き込まれ体質には感服せざるを得ないよね」
緊張で強張るアリスの身体を、チェシャ猫の温度が包む。いつも通り嫌味を言われているはずなのに、顔の熱が下がらない。
ドキドキなんてしちゃダメだ……と、心の中で何度も何度も唱えながら、アリスは言葉をしぼり出す。
「ご……ごめん、なさい……心配、かけて」
「心配っていうか面倒っていうかさ、まぁ無傷ならいいんだけど」
「うん、大丈夫。……そうだ、むしろ私、涙を……!」
「涙?」
チェシャ猫が腕をほどき、アリスは自分の胸元を確認する。そこに在ったはずの魔法石・マレフィセントの涙は、忽然と消えていた。
「いつの間に……アリスちゃん、何かしたのかい?」
「多分だけど、私さっき、別の時空にいたんだと思う」
目を丸くするチェシャ猫に、アリスは先ほど自分の身に起きたことを話した。
「時の管理者」を名乗る銀の光球のこと、マレフィセントの遺体に「涙」が吸い込まれていったこと、そして……アリスの帰り道は、チェシャ猫が知っているはずだということ。
「本当にチェシャが、知ってるの? その、私の帰る方法とか」
「『時の管理者』だっけ? 俺が言うのもアレだけど、相当ふざけてないかい? いくら俺でも、最初から知ってたらストレートに促すよ。これでも一応『勇者の案内役』なんだから」
「そう、だよね……」
「大体さぁ、自分のことすら曖昧な俺の頭ん中に、どうやったらそんな情報が…………あー、肩こった。さすがに働き過ぎたかな」
しゅんと肩を落とすアリスの前で、チェシャ猫はグーッと背伸びをして首や肩を回す。取るに足らないぼやきのようにとんでもない事実が発せられ、アリスはバッと顔を上げた。
「えっ、チェシャ、自分のこと曖昧って、何? 一体どういうこと!?」
「言ってなかったっけ? 俺、ここ5年ぐらいの記憶しかないんだよね。ハートキングダム先代女王に拾われて森番任される前のことなんて、ほとんどサッパリだよ」
「は、初耳だよっ……そんな状態で『案内役』だなんて……どうして引き受けたの? 自分のこと調べたりする方が大事なんじゃ」
「別に俺、そこまで過去に興味ないしね。ここまでキレイに忘れてるってことは、忘れてた方がいいことなんだろうし。それと、『案内役』は引き受けたんじゃない。決まってたのさ、俺の意思とは関係なく」
チェシャ猫はスッと手を伸ばし、アリスの髪をそっと撫でる。向けられる真剣な瞳に、心臓がどくんと跳ねた。
「断片的な記憶だけど、その中でも絶対的な事実なんだよ。勇者が、案内役の存在する理由だってことは」
静かに風が吹き、アリスとチェシャ猫の髪を揺らした。熱の上がったアリスの頬にはちょうど良く、むしろ足りなくも感じる。
少し乱れたアリスの前髪は、チェシャ猫によって整えられる。恥ずかしさに目線を下げながら、アリスは尋ねた。
「じゃあ……私は、帰っちゃダメ、なの?」
「俺に決定権あると思う? てゆーかアリスちゃん、帰りたいんだろ?」
逆に質問された瞬間、自分の思考が止まるのが分かった。
帰るために、「涙」を捨てる旅に出た。帰りたいから、ここまで頑張ってこれた。返すべき答えは決まっている。それでも口が動かないのは、何故だろう。
自分の気持ちがハッキリと把握できないことに、焦りすら覚える。
「私は……」
自分の口が何を言おうとしているのか、脳内で定まっていなかったが、アリスの口は開く。と、遮るようにチェシャ猫が笑った。
「あっはは、そこは即答しなくちゃダメじゃないか。人生を決める何かが待ってるんじゃなかったのかい?」
「……うん、ごめん」
言葉にして初めて、返答を躊躇った理由を噛みしめる。俯くアリスの視界には、地面に揺れる草花しか映らない。
「私、たくさんチェシャに助けてもらったのに、チェシャが抱えてること、全然知らなくて……。だからもし、チェシャが少しでも昔のこと思い出したいって願ってるなら、協力するべきだって、思うんだけど……。そうじゃなきゃ、何も返せないまま……」
「アリスちゃん、ストップ」
「え?」
結構な勇気を振り絞って本音を伝えていたのに、止められた瞬間に緊張が緩む。アリスがそっと顔を上げると、チェシャ猫は風上に目を向け、耳をピンと張らせていた。




