背信の第二子 ―ラモラック卿―
体の奥から湧き起こる恐怖は消えない。それでも、アリスは深呼吸をした。だって、「勇者」が最初に諦めるなんて、あり得ないのだから。
「よもやそれは、クラウ・ソラスか……?」
「王家に伝わる魔法具? ……なるほど、陛下もその貧相な小娘に誑かされてしまっていた、そういうことですね」
「ラモラックよ、これは好都合ではないか。魔法石もろとも奪えよう」
盾の外側で交わされる会話から、ペリノア王の標的が増えたことが窺えた。先代から仕えていたからこそ、王家に伝わるクラウ・ソラスのことを知っていたのだろう。「涙」は首から外せないが、クラウ・ソラスならどうにかなる。交渉材料が増えたと判断したアリスの前で、予期せぬことが起こった。
「……父上、貴方の欲深さには脱帽します」
「褒めているのであろうな」
「それは勿論、」
変わらない穏やかな語り口のまま、ラモラック卿はにこやかに父の方を振り返り……
……防具の隙間を、剣で突いた。
「がはっ……」
「……かつてないほど呆れていますよ」
ブシュッ、
引き抜かれた剣が鮮血を散らす。ペリノア王は反動で馬上から落ち、自らの手で傷口を押さえながら半身を起こした。
冷静さを取り戻そうとしていたアリスの頭が、再び混乱に襲われ、思考力を失い始める。彼は……ラモラック卿は、一体何をしているのか。クラウ・ソラスのドーム内から、ただ、見ていることしかできない。
刺されたペリノア王も、アリス同様さすがに混乱している様子で、狼狽えながら次男を睨む。
「ラモラック……き、貴様……」
「貴方は僕のことを恨めないはずですよ、父上。だって、お互い様でしょう? 僕の大切な母上を殺したのは、他ならぬ貴方なのですから」
「何を、申すか……お前の母は、我を」
「殺そうとしたから処刑した……そうですね、違いない。けれど母上はそのずっと前から、毎日のように泣いていました。城に二人の妃がいるのは何故なのか、父上が本当に愛しているのはどちらなのか……と」
アリスには、何のことだかさっぱり分からなかった。実の父親を手にかけようとしているにも関わらず、ラモラックはあくまで穏やかに、絵本を読み聞かせるかのように語る。
「別に僕は、トーやパーシヴァルを嫌ってはいません。むしろ家族として大切に思っている。それは、母上も同じでした」
剣から血を滴らせながらの語りとは思えない、亡き母親を悼み、懐かしむ様子だった。
「ただ……父上、僕の母上は貴方と永遠に結ばれることを望んでいた。トーの母君ではなく、自分を選んで欲しかったようですね。貴方のような欲深い退役軍人を、心から愛していたのです。だから僕は決めた。この記念すべき日に、貴方の首を母上の墓前に捧げようと」
「や、やめろ……」
足の悪いペリノア王は、腰を抜かしたまま後退りする。が、ラモラックはスタスタと歩み寄り、剣を振りかざした。
「きっと最高の供物になりますから。母上に、宜しく」
「やめろ! ラモラッ……」
ペリノア王の声が途絶えた瞬間、アリスはぎゅっと目を瞑った。トスッと何かが転げ落ちる音。
「……さてと、終わった。ああ、まだ残ってましたね。仕方ない」
草を踏む足音が近付く。(母親のためとはいえ)実の父親の首を刎ね、今度こそ本来の目的を達成しようと、ラモラック卿はクラウ・ソラスのドーム前に立つ。
「ご安心を、勇者アリス。僕は貴女の持つクラウ・ソラスなんて求めません。欲しいのは陛下の首と、魔法石だけだ」
「…………渡さない」
「僕の身内のことで、混乱させてしまったのは謝ります。けれど、もう少し冷静に」
「あなたみたいな人には、絶対渡さないっ!」
アーサー王の半身を支えながら、ドーム越しにラモラック卿を睨むアリス。
覚悟は決まった。人道に反することを平気で実行する人に、国を治めることなんて、絶対させてはいけない。途端にラモラック卿の表情から穏やかさが消え、石像のような冷淡さが再び向けられた。
「……愚かな女だ。魔法具には、総じて発動時間に制限がある。加えて、お前からは見えないだろうが、こちらには弓兵が十数名いる。あの狐を仕留めた者達だ、いい腕をしているだろう?」
絶望的な条件が並べられる。
クラウ・ソラスの発動にタイムリミットがあることなど、分かっていた。厳密にあと何秒もつかは分からないが、これまで発動した結果から考えて、恐らくもう何分もない。
そして仮に、ドーム崩壊後にラモラック卿の攻撃をかわせたとしても、アーサー王を守りながらいくつもの矢を避けるなんて、不可能だ。自分の身体能力は、自分が一番知っている。かと言って魔法石の「現状維持」にも安易な期待は出来ない。
「さぁ、寄越せ。それとも、魔法具の効果が切れる瞬間まで、別れの挨拶をするつもりか?」
細い呼吸をするアーサー王を見る。顔色が悪くなっているのは、明らかだった。なのに彼は、再びそっとアリスの頬を撫でて。
「アリス……俺のことは、いい……ここから、逃げろ……」
「何を、」
「お前には、帰るべき、世界が、あるだろう……」
「ふ、ふざけないでっ!」
この人は、どこまで他人優先にすれば気が済むのか。ぶんぶんっと首を振り、アリスは頬を撫でるアーサー王の手を上から握った。
「私はっ……知ってるの! 貴方は生きるべき人なの! 屈しちゃダメなの! 貴方にも、帰るべき場所がある!それにっ、貴方はその場所を、自分で守るんでしょうっ!!」
「アリス……」
しびれを切らしたのか、ラモラック卿がついにサバイバルナイフをドームに突き立ててきた。
「もう時間の無駄だ、早く寄越せ! 寄越せ! 寄越せ寄越せぇっ!!」
ガンッ、ガンッ……
力一杯叩き込まれるナイフの音の中で、アリスは考える。
ラモラック卿と剣で戦うのはムリ。走って逃げようにも相手より遅い。頼みの綱はクラウ・ソラスだが、一旦霧散してから再形成されるまでのタイムラグがどのくらいなのか予測できない。
そうだ、自分はこの世界において、まともな力を何一つ持っていない。それでもここまでやって来れたのは……
ピシッ、
「あっ!」
クラウ・ソラスの盾にヒビが入る。
崩壊する前に、答えを見つけなければ。自分のできることを考えなければ、この場所で、恐ろしい目的が果たされてしまう。アーサー王という聡明な人物は失われるべきじゃない……それは分かっている。けれど、失わせない方法が浮かばない。どうすればいい? 何ができる? 自分の手の内に、どんな選択肢が残っている?
ビキビキッ……
「助けて……教えてよっ……」
やっぱり、私の頭だけじゃ足りないんだ。こんな私が「勇者」だなんて、荷が重すぎだったんだよね。
―「迷ったらいつでも俺のこと呼んで」
呼びたいけど、呼んでもきっと、すぐには来れない。ずっと一緒にいてくれた、嫌味だらけのひねくれ者は。
とうとう何も浮かばないまま、目を瞑る。クラウ・ソラスの霧散する音が聞こえ、せめてもの抵抗として、アーサー王を庇うように背中を丸めた。
パァァン……!
「さようなら! アーサー王陛下ぁ!!」
ヒュンッと勢いよく風を切ったのは、ラモラック卿が振りかざしたナイフだろう。
アリスのその予想は、外れていた。
ドシュッ、
「ぐあああっ!!」
悲鳴をあげたのはラモラック卿の方で、アリスはバッと顔を上げる。目に飛び込んできた光景を、信じることができなかった。彼の手の甲に刺さった、一本の矢。
利き手を負傷したことで警戒し、彼は咄嗟に数歩下がり、アリスとアーサー王から距離を取った。
「おっ、命中した?」
場の空気に合わない軽い台詞が聞こえ、自分の目だけでなく耳も疑うアリス。まさかそんなハズは……でも、今のは間違いなく……。
辺りを見回すアリスは、見つけた。木の上に隠れていた彼が、スタッと地面に降り立った姿を。
「どうやら俺の腕も、鈍ってなかったみたいだねぇ」
「なっ……貴様ぁっ……!」
憎しみこもるラモラック卿の声も、怖くなくなる。なぜなら、彼がいつものように、余裕たっぷりな笑顔を見せるから。
「リスティス領主の次男ごときが、伝説の勇者とキャメロットの国王サマに向かって、随分と失礼な所業じゃないかい?」
つい昨日のことなのに、とても懐かしくて。相手を逆上させる気満々の物言いにハラハラするどころか、頼もしく思ってしまう。
「ねぇ、アリスちゃん?」
傍らに立つ彼は、珍しく弓矢を手にして、相変わらず尻尾をくるるんっと跳ねさせた。
「…………チェシャ」




