動き出した者達 ―交差―
「アヴァロン勢とは国境付近で膠着状態、資材の運搬は続行するとして、この建物へ到達される見込みは薄いとのことです」
「わかった、ラモラック卿にお伝えしよう」
「それともう一点」
「何だ?」
「トー卿は、おみ足を悪くされているペリノア王の身を案じられております。万が一に備え、王都方面へ避難していただくのも手だ、と」
「……トー卿のお気持ちもごもっともだが、下手に移動を促すのは危険だろう。どこにアヴァロンの刺客がいるとも知れぬ状況で……」
「ご心配には及びません」
もちろん、アグロヴァル卿の率いるリスティス軍とアヴァロン勢が膠着状態に陥っているのは、聞き耳を立てながらかき集めた嘘偽りない情報である。だがここから先は、チェシャ猫の賭けだった。
「ここだけの話、アヴァロンの兵力は『勇者から魔法石を奪う』という目的にも割かれています。モンス・ダイダロスと真逆へ進めば、安全は約束されたも同然です」
「モンス・ダイダロス?」
「はい、トー卿が出立前の勇者からお聞きになったとのことです。勇者の目的地はモンス・ダイダロスの『龍穴』だと。モルガンは、勇者の魔法石を狙っているのでしょう? となれば、『龍穴』にて精鋭揃いの勇者一行と衝突があるはずです。つまり、陛下はその逆に避難なされれば……」
「……なるほど、伝達ご苦労」
番兵の目の色が変わったのを、チェシャ猫は見逃さなかった。
「はいっ! 失礼しました!」
その場で深く踏み込むのはやめ、引き返すチェシャ猫。もちろんトー卿の元へ戻るのではなく、実際は南棟近くの木の上に潜み、ラモラック卿とその直属部隊の動向を窺う態勢に入った。
先代派、すなわち魔力保持者否定派であるペリノア王が秘密裏に魔力に関する研究をしているとすれば、それは十中八九、モルガンに対抗するための何かである。
また、この状況でラモラック卿の部隊のみで南棟の守備が固められているということは、今この城にいるペリノアの子息たちの中で、少なくともラモラック卿はその研究に深く関与している……というのが、チェシャ猫の見立てだった。
そして、ここでモルガンの動きについて情報が与えられれば、何かしらの反応を見せるはずだ、と読んだのである。
「さぁて、ペリノアが動くか、ラモラックが動くか……」
耳をそばだたせて目を凝らす。流した情報は部隊員からラモラック卿へ伝わったようだ。自室から書庫へと早足で移動していく彼の姿を捉えた。
「父上にも伝え、急ぎ準備をしろ。ここで動かなければ――」
最後までは聞こえなかったが、思惑通りの展開にチェシャ猫は口角を上げる。これでようやく、謎の魔力反応の正体がお目にかかれるのだ。
だが彼は知らなかった。その正体が予想以上に強力な代物であることと、彼らの本当の目的が恐ろしく非情であることを。
***
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせながら、アリスは駆けていた。「龍穴」と呼ばれているからには洞穴か洞窟の形状になっているはずだ。首から提げている「涙」が反応を見せてくれればベストだが、不確定すぎる要素であり期待はしづらい。
この近辺にあるはずだ、というマーチ・ヘアの読みは信じたい。けれどもし、全く見当違いな場所を走り続けているのだとしたら……。立ち止まりそうになる足を再び動かすため、アリスは抱いた不安に気付かないフリをする。
ワケのわからない世界での冒険は、もうすぐ、あとひと踏ん張りで終わりなのだと言い聞かせて。
「はぁっ……はぁっ……」
走り続けて数分。さすがに息があがり、駆け足を歩みの速度まで落とした。
せめて、「中腹にある」という情報以外にヒントがあればと思う。木々に隠れているのか、岩場にあるのか、皆目見当がつかない。頼みの綱(にしては元から弱々しいが)である「涙」も、光る気配はまるでない。
これでは今まで手助けしてくれた仲間たちに申し訳なさすぎる。いっそモンス・ダイダロスのてっぺんまで登って見渡すべきかと考え始めた、その時。
―「愚かな勇者だな」
突如響いた声に、アリスは驚き辺りを見回した。が、背筋を駆け抜けた今の感覚は、一度経験している。
リスティス城の宝物庫にて、ロビン・フッドと邂逅したあの晩に。耳から音声が聞こえてきたのではなく、頭の中に流れ込んでくるような、不気味な感覚……――
疲弊しながらも歩み続けていたアリスの足が、ついにその運動を止めた。
「あ……」
眼前の景色を遮るように現れた物を、風になびく黒いカーテンと錯覚した。隙間から見えた白い脚によって、空中から地上へ緩やかに降りてくるのが「人」であると認識する。
次に目を奪われたのは、赤。それも、真紅とは異なり、どちらかといえば小豆を思い出させる暗めの赤――臙脂色。
名乗ってもらわなくても直感した。この女性が、細い身体となまめかしい雰囲気の中に恐ろしさを潜ませるこの人物が、赤髪の魔女・モルガンであるのだと。
「このような場所、アヴァロンの最奥地を、単身で右往左往するとは」
長い髪と同じ赤の瞳が、アリスを捉える。今度はその声をハッキリと耳からキャッチした。
「涙は渡してもらう」
「だ、だめ」
拒絶の言葉を発しながらも、一歩後ずさりするのが精一杯だった。
なんて冷たく、突き刺すような威圧感なのだろうか。同じ「国のトップ」でも、ハートの女王やアーサー王とは違う。「支配する人間」のオーラに圧倒される。
震えこそしないが、爪先に錘を乗せられたかのような感覚。
アリスの胸中を察してか、モルガンは小馬鹿にするように目を細め、口角を上げる。
「愚かな上に、情けない」
「ど、どうして……涙を狙うの?」
動けなくなるほど圧倒されてはいるが、咄嗟にアリスは胸元の涙を隠すように握りしめた。何も知らずに敵対するよりは、と振り絞った精一杯の質問だったが、魔女の嘲る態度が変わることはなく。
「答える義務はないな」
「でも、」
「答えたところで大人しく譲るのでもあるまい。疑問を抱いたまま、散ってゆけ」
スッと前に伸ばされるモルガンの左手。身の守り方など一切浮かばない。仮に護身のあてがあったとして、彼女がどんな魔法を使うのかも分からない。
万事休す――最早アリスには魔法石を握りしめながら目を瞑ることしかできなかった。
これまで一緒にいてくれた仲間は、誰もいない。自分には魔法の知識もない。散れ、という言葉を使ったところから想像するに、砕かれたり塵にされたり系の魔法をかけられるのだろうか……。
「何だこれは……!」
痛みどころか、危害を加えられた感覚は一切なく、聞こえてきたのはモルガンの戸惑った声だった。
恐る恐る目を開けたアリスは気付く。モルガンの纏う黒いドレス……その左袖が、ボロボロになっていることに。
一体どういうことなのか……。マレフィセントの涙が発動したのだとしても、効力は「現状維持」であって、「跳ね返し」ではない。アリス同様、モルガンも何が起きたのか理解しようとしているのか、自分の左袖とアリスを交互に見るだけで、再度攻撃魔法を繰り出そうとはしていなかった。
「お前……何をした」
モルガンの静かな問いかけに、アリスは沈黙する。答えないのではなく、アリスにも答えられなかった。魔法石の効力以外で護身に繋がる要素など、あっただろうか。アリスが自ら答えないつもりだと察したモルガンは、観察する。そして、小さく呟いた。
「その服、記録魔法が施されているのか……?」
アリスの記憶の中で、その言葉と合致するやり取りがあった。それは、アリスがこの世界に来て間もなく、ハートキングダムを出立する日のこと。
―「妾はその石がそちの命をいついかなる時も保証する物ではないと考えておる。故にマーリンに注文をつけておいた」
―「石ではなく『アリス嬢に対して』魔力が向けられた場合のみ、働く魔力を込めました。向けられた魔力がそのままの威力で反射するようになっております」
別れ際にマーチ・ヘアが言っていたことは、やはり正しかった。アリスは多くの味方に支えられている。だからこそ、ここまで来れたのだ。
―「なるほどな」
ハートの女王とマーリンへの感謝で胸が熱くなっていたところに、モルガンの声が直接響いてくる。彼女が洗脳魔法を得意としているということは、対象の思考を読み取れるということ。
つまり、アリス自身がたった今思い出したハートキングダムでのやり取りを、そっくりそのままモルガンに共有されてしまったようだった。
「マーリンめ……小賢しいことを」
緊張が緩んだのは束の間だった。モルガンがアリスの記憶を読み取ったのであれば、マーリンがアリスのワンピースに施してくれた護身魔法の「発動条件」も伝わってしまったことになる。
恐怖に占有されていた脳が徐々に思考力を取り戻してきたことで、アリスは次にモルガンが仕掛けてきそうな魔法を想像した。




