屈辱の第一子 ―アグロヴァル卿―
背後に立つ彼は数秒の沈黙の後、嘲笑った。
「くっははは! どうやら俺の見込み違いだったみてぇだな。恐れるべきは勇者でなく勇者の持つ魔法石のみだった、ってワケか」
彼が何をどう解釈したのか、その思考は一切読めず、ただアリスの胸中には自分がバカにされたのだという唐突なショックだけが突き刺さった。更にロビンの言葉は、恐怖の追撃となってアリスを襲う。
「モルガンがエクスチェンジしなくても、ココで首切っちまえば取れるかもな……勇者本体には何の価値もねぇことだし」
「なっ……」
「おっと、動くなよ。動くと無駄に痛ぇぞ」
後ろからがしっと掴まれた左腕。彼の右腕がアリスの右肩側から伸び、その手にあるナイフは左の首筋にあてられる。
ランスロットに長剣を振るわれた時とは、違う恐怖がアリスの脈を乱していく。ロビンの呼吸や声色からは敵意や憎悪などの攻撃性は一切感じられない。ただ平然と、「このトンカツ、大き過ぎるからちょっと包丁いれて食べやすくしようかな」ぐらいの雰囲気で、アリスの首を切ろうとしている。人体を傷つけることなど慣れ過ぎて何とも思わなくなった、という部類の人間なんだろうか。(多分アリスよりは年上だが)その若さで、どんだけ悪行の限りを尽くしてきたんだ、信じられない。
「あ、骨でつっかえるか? めんどくせぇけど仕方ねぇか」
だからその台詞を「肉切りたいけど軟骨あったら面倒だな」と同じテンションで言えるなんて頭おかしいでしょ! ……と、全力で指摘したいがそんな状況ではない。本当に、ロビン・フッドという青年はどんな神経してるのか、傍から見れば「異常者」だとしか思えない彼と長くつるんでいたリトル・ジョンも、果たして信頼に足る人物なのか……アリスの中に(若干場違いなほど)様々な不安が渦巻く。仮に間一髪誰かが来てくれたとして、もうナイフは動かされてしまう。
この世界で絶命したら、きちんと元の世界に帰れるのだろうか。帰れなかったとしたら、享年15歳・謎の失踪もしくは失血死ってことに……
―「大丈夫」
―「貴女を不安には、させない」
前触れなく頭の中に響いてきたそれは、聞き覚えのない女の声だった。まるで子供をあやす母親のような、大人びた女の声。一体誰がどこから……湧き起こる疑問に気を取られたその瞬間、ロビン・フッドのナイフを持つ右手が無情にも動かされる。
バチィンッ!
カンカラカーン……
「な、何だ!?」
依然としてほとんど何も見えない暗闇の中であったが、アリスはしっかりと全てを理解した。ナイフが「涙」の力によって弾かれたこと、更にその勢いでロビン・フッドの手を離れたこと、そして……何故「涙」がそこまで強力な発動をしたのか。
「てめぇ、まさか魔法石を操れんのか!」
「……多分ね」
アリスの答えに危機感を抱いたのか、ロビン・フッドは咄嗟に距離を取る。すなわち、アリスは彼の拘束から解放されたのだ。しかし状況はまだどちらかというと不利。暗闇の中、床に落ちているであろうナイフをロビンが再び手に取ってしまえば、次はその物理攻撃を凌げるかどうか怪しい。
「なるほどな、勇者になるだけあるってワケか」
ロビン・フッドに警戒心を与えられたのは(アリス的には一応)上出来。しかしここからどうすべきなのか……腕力での勝利は不可能だと悟ったアリスは、思い切って口を開いた。
「もう一度聞くけど、貴方はモルガンに操られているんじゃないの?」
***
アリスが隠し部屋へとワープする少し前。南棟1階にて、ランスロットの元に伯爵の送信用コウモリがやって来た。そして告げられた「盗賊襲来が迫る」という情報に、すぐさま彼も西棟へ向かおうとする。が、思わぬ足止めにあった。
「……退けよ、三流」
「私はとうの昔に騎士だ。三流の見習いではない」
「そーやって肩書に囚われてんのが三流だっつってんだ」
「では何だ? 偵察任務の途中で敵の術中にはまり、自らを慕うたった一人の弟子を斬り、あの魔女の手足となって散々命を奪った挙句、自分はのこのこと王都へ帰り、なお敵の手に堕ちている弟子の息の根を止めに行くのが……そんな流浪人のような行為が、一流だとでも言うのか!!」
感情のままに激昂するアグロヴァル卿を前に、ランスロットは眉間に皺を寄せ、口を閉ざす。
ランスロットとアグロヴァルは、元々そりが合わなかった。無理もない。湖の精霊によって自由奔放に育てられ、剣士としてのセンスも十二分に備えていたランスロット。一方のアグロヴァルは、後継ぎとして厳粛な環境下で育てられ、期待と重圧ばかり背負わされ生きていた。その上、先代派であるペリノア王の第四子・パーシヴァルが現国王アーサーを慕い、リスティスを出ていき、ランスロットに師事し、瞬く間に「円卓の騎士」の称号とその証である刻印入りネックレスを手に入れたのだ。アグロヴァルの立場にしてみれば、耐え難い屈辱が幾重にも重なっていたことだろう。長男である自分を慕うはずの弟に越されたうえ、その弟は師事した剣士に討たれ敵国に堕ちた。
「アグロヴァル、てめぇが俺に向けてんのは、怒りか? それとも嫉妬か?」
「ふん、どちらの比重が多いかなど、とうに考えなくなった。貴様に対して抱くのは、底知れぬ不快感のみだ」
「……ご苦労なこった」
溜息まじりに返すランスロットに、アグロヴァルは剣を向け言い放つ。
「貴様は昔からそうだ、言うこと為すこと全て感覚基準、適当で怠惰、加えて不遜」
「悪いが、今てめぇの喧嘩を買ってるヒマはねぇ。つーか下らねぇお小言は、あのヤブ医者からので充分足りてる。退け、賊の侵入がもう始まんだよ」
「それは良い。勇者を騙るあの娘とその取り巻きが、為す術なく賊に蹂躙される喜劇が見られるというわけか。そして貴様は後ろ指をさされるのだな。取り巻きとして来たにも関わらず、加勢を遅らせた不届き者として」
嘲りながらもアグロヴァルには、道中で斬った山賊のような隙はなかった。ランスロットと言えど、すれ違いざまに片づけられるレベルではないようだ。それなりの鍛錬と、不快感から織りなされる気迫は、ランスロットの肌にピリピリと迫り……奮い立たせた。
「くははっ」
「……何がおかしい?」
「てめぇは俺がムカつくんだろ? なのに買いかぶり過ぎだ。ただ、まぁ……あの小娘については逆だな。見くびり過ぎだぜ」
「何?」
「あのぶっ飛んでるアーサーが認めて、クラウ・ソラスまで預けた女だ。賊なんかに蹂躙されるタマかよ」
リスティスに来る途中、川辺でのことが思い出される。自分の向けた剣にほとんど動じなかった……正確には、動じたのを隠そうと視線を逸らさなかったアリス。その姿と、あの時の言葉に、ランスロットは確信していた。
「相当タチの悪ぃ小娘だぜ。自分で把握してる能力以上のことさえも、最終的にはやってのけちまうだろうからな」
これまで生きて、戦ってきた中で、ランスロットが唯一理解しきれなかった強さ。引力というのか、根気というのか、才能というのか……未だ彼には「それ」の正体はおろか、名称すら分からない。鍛錬を積めば得られるものなのか、それとも。
「いずれにせよ、賊侵入っつーデカいイベントの真っ最中に、てめぇとのクソつまんねぇ小競り合いなんざ御免だ。退かねぇんなら力ずくで通る」
「望むところだ、無礼者」
ランスロットが剣の柄に手をかけたことで、場の緊張感が一段と増す。ゴム紐を両者が目一杯引っ張り合っているかのように、少しの緩みもない、ピンと張りつめた空気、視線、呼吸。
しかし「その瞬間」は、劇的な要素などなく訪れた。
アグロヴァルが微動だにすればたちまち鞘から剣を抜いて斬りかかってきそうなランスロットの視線が、それまでよりもやや緩やかな瞬きによって途切れた時だった。地を蹴ったアグロヴァルに対し、ランスロットが振るったのは、腰に差す剣ではなく、ただの拳。俗にいう、カウンターパンチである。突進してきた威力をそのまま顔面に食らったアグロヴァルは、鼻と口から血を飛ばしながら仰向けに倒れた。
「きっ……さ、ま……」
「剣を抜くまでもねぇとか、そーじゃねぇからな。あの小娘がうるせぇんだ、判断サボんなってよ」
黙らせるという意味で歯向かう相手を斬ることなど、ランスロットにとってはリンゴの皮をむくより簡単なことである。峰打ちにして圧倒的敗北感を与えることも容易だった。
けれど彼はあの川辺にて、更に緻密な判断をするように求められた。人の心を持つ・持たないは関係ない、と。そのくらいのことを考えられないのならば、パーシヴァルに対峙する権利もない、と。そう、アリスに突きつけられた気がしていたのだ。
「俺とてめぇがいがみ合って斬り合えば、パーシヴァルはこれまで自分が賜った称号全部捨てるだろうぜ。てめぇの弟は、そーゆー奴だ」
「ま、待て……」
「しばらく寝てろ、賊はこっちで片付けてやる」
起き上がろうにも、殴られた衝撃で上半身を起こすのが精一杯のアグロヴァルを背に、ランスロットは駆けていく。その足は真直ぐ西棟にある礼拝堂へと向かった。




