非力な勇者(痛感)
これまで様々な猛者と手合わせをしてきたマーチ・ヘアだが、ランスロットの剣技は体感したことのないレベルであった。洗練された速さと美しさ、意表を突く切り返し、緩急……。湖の精の加護あっての強さではないことは、すぐにわかった。
不意に、マーチ・ヘアにかわされたランスロットの剣先が地面を抉る。それはアクシデントなどではなく、巧妙に図られた太刀筋だった。その証拠に、飛び散った砂がマーチ・ヘアの瞳に入り、怯ませる。
「くっ……」
一流剣士であるランスロットがその隙を見逃すはずもなく、即座に利き手の逆側に回り込み――……
「マーチさん! 右!」
後方から聞こえた援護の声に反応し、マーチ・ヘアは咄嗟に身体を右に捻り、短剣で急所を庇うように構えた。直後に響く金属音。刃がぶつかり合った衝撃のままに数歩跳び下がったマーチ・ヘアは、援護の声がした方を見て呟いた。
「何故戻った……」
彼の瞳に映ったのは、王宮へ向かったはずのチェシャ猫とアリス。途端にランスロットが矛先を変えようとしたのを察知し、マーチ・ヘアはその行く手を阻みながらチェシャ猫に言う。
「君がここまで使えないとは」
「文句は後で気が向いたら聞くよ。ガヴェイン、動ける? 十秒ちょい欲しいんだけどさ」
「よくわかんねぇけど、やってやらぁ」
「一体何を……!」
ランスロットの剣を防ぎかわしながら、ガヴェインへの呼びかけに疑問符を浮かべるマーチ・ヘアだったが、ふと彼の耳が「あまりにも幽かな声」をキャッチした。
―「作戦会議するよ、軍司サマ」
次の瞬間、二人の剣がぶつかりお互いの動きが止まる。それを見計らったようにガヴェインが再びランスロットを後ろから押さえつけた。
「行け!!」
手負いのガヴェインに任せるのは正直気が引けたが、マーチ・ヘアは背を向けチェシャ猫とアリスの方へ走り出す。
彼は軍司。戦場において迷うことなど、許されない。
「聞こう」
「ランスロットは自分の視界にアリスちゃんが入った瞬間、真直ぐ涙を狙って動くだろ。だから俺たちは、一旦アリスちゃんから手を放す」
「……アリス殿の了承は」
「大丈夫です」
覚悟を決めたアリスの目を見て、マーチ・ヘアは「分かった」と答えた。
「じゃ、また後で。なるべく真直ぐ走ってて」
「うん」
チェシャ猫がアリスの手を放し、二人はアリスの前からいなくなる。導く者がいないと、森の中はこんなにも怖いのかとアリスは痛感した。辺りの木々さえ今にも動き出しそうな恐ろしいオブジェに見えてくる。
いっそ、夢なら今覚めてしまえと思った。どうしてここまで怖い思いをしなくちゃいけないんだろう……そうだ、勇者になっちゃったからだ。そもそも勇者にされたのだって、チェシャに名前を聞き間違えられたから。ツイてないなぁ、もっとちゃんと名乗れば良かったなぁ……。でも、どの道マレフィセントの涙を持ってたから、結果は同じだったかな。
そこまで考えて、ハッとする。背後に迫る足音。ガヴェインは大丈夫だろうかと思いながら振り向くと、やはり「敵意」をむき出しにした剣士が真直ぐに自分を追いかけていた。全速力で走るが、近付く足音から逃れられる気がしない。
「涙……」
彼の低い声がアリスに聞こえるほどの距離になり、アリスは恐怖しながらも再び振り向く。剣士との距離はどれだけ縮まったのかという、一種の「怖いもの見たさ」だった。
しかし、全速力でそんなことをするものではない。瞬間アリスの足は木の根にとられ、勢いのまま前につんのめって転んだ。
「いつっ……」
現状維持の効力は発揮されることなく、アリスは自分が足首を痛めてしまったのを感じた。そして当然のことながら、剣士は躊躇いもなく距離を縮めてくる。
と、その時。ざざっと木の葉が擦れ合う音がして、アリスに正面から向かってくるランスロットの右側から、マーチ・ヘアが突如現れる。その手に握られた短剣は、眼前のアリス以外意識していなかったランスロットの右腕を切りつける…………はずだった。
「不意打ちのつもりかよ」
金属音は、マーチ・ヘアの奇襲がランスロットの長剣に防がれたことを示していた。転んでしまったその状態で息を呑むアリス。が、次の瞬間「もう一つの声」がする。
「そうさ!」
ランスロットの頭上からだった。彼がマーチ・ヘアの奇襲に反応したその一瞬を、木の上からタイミングを見計らっていたチェシャ猫。マーチ・ヘアから借りた短剣の鞘を、ランスロットの頸部――クリーンヒットすれば気絶は必至であろう急所――に、思い切り打ち付けた。
ゆらり、ランスロットが項垂れた状態で体を前方に傾ける。二段構えの奇襲が上手くいったと、場にいる三人ともそう思った。
「…………惜しいな」
「ぐっ!」
倒れると見せかけて、ランスロットは左足を軸に身体の向きを変える。そして持っていた長剣をマーチ・ヘアとチェシャ猫に振るった。
「あれだけ引きつけて外したか、命中率レベルEだ」
「完全に注意を引きつけらんなかったそっちがレベルEだね!」
「お前らは後……」
互いを貶しながら距離を取る二人に言い放ち、ランスロットは再び進行方向に目を向けた。その敵意の先には、足を捻って座り込んだままのアリス。
「涙は……災い」
「まずいっ!」
「アリス殿っ!」
チェシャ猫とマーチ・ヘアが駆け出すが、間に合わないのは明白だった。最大限の脚力をもって数歩でアリスとの間合いを詰めたランスロット。その剣が、アリスの首を刎ねるような軌跡を描いて……――
何もできなかった。マーチ・ヘアやガヴェインが心配で、自分にも何か手伝えたらと思った。将軍でもお姫様でもない、「勇者」としての行動を取ろうと思った。意味のわからないこの世界に来てから、初めてそんな風に思ったのだ。けれど結局は……ダメだったんだ、とアリスは悟る。
振り上げられた剣も、ランスロットの恐ろしい敵意も、気にならなかった。その瞬間に見えたのは、必死に自分を守ってくれた二人の絶望的な表情。
そんな顔が見たくて立ち向かったんじゃないのに。そんな声が聞きたくて戻って来たんじゃないのに。ああ、情けないなぁ。夢なら、今ここで覚めてしまえばいいのに。
そう願いながらも目を閉じられなかったアリスの視界に、何か「黒いもの」が飛び込んできた。チェシャ猫とマーチ・ヘアの遥か後方から飛んできた「それ」は、物凄いスピードで一直線にこちらへ迫って来る。次に瞬きをし終えた時、アリスの視界からランスロットは消えていた。
「うまい!」
興奮気味な男の声が聞こえ、アリスはバッとそちらを見る。そして……これまでと別の恐怖に絶句した。
「剣士! 強い者! やはり絶品!!」
高らかに、満足そうに叫ぶ「それ」は、黒いマントを靡かせながら、ランスロットの首に咬みつく。
「ぐああっ……て、め……!」
その牙から逃れようと、剣を持った右腕を動かそうとするランスロットだが、逆に彼の身体からは力が抜けているようだった。僅かに聞こえてくるのは、じゅるると何かが啜られる音。
「うまい! うまいうまいうまい!!」
叫ぶ彼の口元には真紅の液体が付着し、ついにランスロットの手から剣が落ちる。どうやら握る力もなくなってしまったようだ。
あまりにおぞましいが、その光景から目を逸らせない。アリスの呼吸が乱れ始めたその時、ふっと誰かの掌が、アリスの視界を覆った。
「すみません、恐ろしかったですね」
優しい声……聞き間違えるはずもない、ヴァンの声だった。
「刺激が強すぎますので、これ以上は見ない方が」
ヴァンは左手でアリスの視界を覆ったまま、右手で銃を構え、一発撃った。それは恐らく黒いマントの者に当たったのだろう。何かを啜る音も、興奮した声も、聞こえなくなった。それでも、ヴァンの左手はアリスの視界を覆ったまま。
「あの……」
「もう大丈夫ですよ。頑張りましたね、アリスさん」
「わ、私は、何もっ……み、皆さん怪我を……!」
「大丈夫ですから落ち着いて。はい、深呼吸」
アリスの正面にしゃがみ込んで、ヴァンは深呼吸を促す。アリスが呼吸を整えたのを確認し、他の者に呼びかけた。
「猫さんとウサギさんは、ご自分で歩けそうですね。出来ればそこに伸びてる白いのと黒いのを背負ってもらいたいんですが」
「問題ない。一人運ぼう」
「軍司サマ本気? 俺、一応足やられてんだけど」
「んじゃ、俺が運ぶぜ」
「ああガヴェイン、助かります。怪我の具合はどうですか?」
「まぁ寝てりゃ治る感じだな」
「それは何より。薬代が浮きますね」
会話の流れから、ランスロットと黒いマントの者――つい先ほど挨拶したばかりのルゥ・ドラキュラ伯爵――はどちらも気絶したのだと分かった。
ガヴェインも合流し、アリスはようやく安心できる状況なのだと理解する。その様子を見て、ヴァンは白衣のポケットから包帯を取り出した。
「アリスさん、右足首を」
「あ、はい……」
「幸いあまりひどくないんで、固定さえしっかりしておけば明日には歩けますよ」
「ありがとうございます……」
少しきつめに包帯を巻かれ、ヴァンに掴まりながら歩く。ガヴェインが伯爵を、マーチ・ヘアがランスロットを背負った。
「一先ず王宮に戻り次第、全員医務室行きです。重傷軽傷問わず。ガヴェインも、一応」
「げっ」
どうやらガヴェインは治療されるのが苦手らしい。それを見越してか、ヴァンは「王宮専属医命令です」とやや愉しそうに微笑んだ。




