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勇者アリスの異世界奮闘記  作者: 壱宮 なごみ
第1章:Road of the Drop
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白銀の刺客 ―迷える騎士―

 赤を帯びた切先(きっさき)が、一瞬だけアリスの視界に入る。


「チェシャ!」


 枝を飛び移っていたチェシャ猫が地に降り立ってよろめく。同時にその背後で、剣士の動きも止まった。


「嬢ちゃん逃げろ! 城まで走れ!!」

「ガヴェインさん……!」


 無事を確認できたことでアリスがホッとしたのも束の間、暴れようとする剣士の腕を背後からねじ()せるように(おさ)え込みながら、ガヴェインは叫ぶ。


「相手が悪すぎんだ! コイツは円卓の騎士ランスロット! 今はこの通りモルガンの操り人形になっちまってる!!」

「同じ円卓の騎士なら、その催眠(さいみん)を晴れやかに解くぐらいの熱い友情エピソードとかないのかい?」

「チェシャ、その足……」

「平気さ。一応争い慣れはしてるしね。ただ、アリスちゃん抱えて逃げるには……」

「猫さんよぉ……頼むから冗談言ってねぇで早く嬢ちゃんを遠くに……!」


 ガヴェインに抑えられているにも関わらず、ランスロットは真直ぐにアリス(というよりその首に提がっている涙)を見、重たそうな剣を放そうともしない。ひたすら前に、アリスの首を狙って、突き進もうとしているのが分かった。


「邪魔すんなって、言ってんだろ……!」

「正気に戻れランスロット! 俺だ、ガヴェインだ! わかんねーのかよ!!」

「阻む者は、(ほふ)る」


 その時、チェシャ猫の耳がピクッと反応し、ランスロットの(まと)う空気の変化を感じ取った。


「……マズい! ガヴェイン! 今すぐソイツから離れろ! 魔力の気配だ!」

「なっ……魔力!?」


 ガヴェインにとって、それはあり得ない危機通告だった。

 円卓の騎士最強と(うた)われるランスロットは、誰よりも自らの剣技に誇りを持ちながら鍛錬を(おこた)らず、むしろ魔力を持つ者に対しても剣技のみで挑む無謀(むぼう)さすら持ち合わせる騎士だったからである。

 しかし、直接取り押さえているから分かる、空気の震え。これは……モルガンの魔力の助力(じょりょく)を受けている、そう察するには充分な変化だった。

 そしてその動揺が、ランスロットに捕縛(ほばく)(まぬが)れる好機(こうき)を与えてしまう。


「邪魔すんな」

「ぐあっ!」


 腕だけでなく手首も動かせないよう抑えていたはずだったが、動揺で(ゆる)んだその一瞬を突かれ、ガヴェインの脇腹(わきばら)はランスロットの剣に(つらぬ)かれた。後ろ手での器用な剣の扱いに、キャメロット随一の剣士たる所以(ゆえん)が見てとれる。

 かくしてガヴェインの拘束(こうそく)から完全に逃れたランスロットは、すぐさま体勢を整えスッと構えた。


「邪魔は必ず、屠る」


 魔力はランスロットにというより、その剣に纏われていた。いずれにせよ食らっては危険だと判断したチェシャ猫だったが、その瞬間彼は、(かば)うべき勇者を見失った。



「やめてくださいっ!!」


 チェシャ猫だけではない。脇腹を刺され膝をついているガヴェインも、その光景に青ざめた。


「こんな石あげるからっ……もう、やめてっ……」


 大粒の涙を(こぼ)しながら、懇願(こんがん)するように、勇者は騎士の正面に立っていた。先ほどまでチェシャ猫の傍で震えながら立ち(すく)んでいたアリスが、足を斬られたチェシャ猫を庇うように前に出ている。それでもランスロットは表情一つ動かさず、迷いなく地を蹴った。


 勝算はあった。マレフィセントの涙の気まぐれな「現状維持」が、この瞬間アリス自身にも働いてくれれば、魔力だけでなく剣も弾ける……はずだ。王宮内でメイドに扮した魔女マルーシカの襲撃にあったときも、ナイフを弾いてくれたではないか。

 ただ、そうは言っても怖いものは怖い。アリスは昔の人を少し尊敬した。帯刀(たいとう)が許されていた時代には、きっとこんなこと日常茶飯事だったんだろう。

 けれどもし、涙が魔力だけにしか反応しなかったら……その場合も大丈夫だ、きっと。誰かの怪我を見るより、自分の怪我を見る方が、精神的ダメージは少ないから。


「アリスちゃん()せ!!」


 後ろにチェシャ猫の声を聴きながら、天に委ねるつもりで固く目を閉じたアリス。

 痛そうな音がしたのに、痛みは来なかった。代わりに何故か、自分を包み込む温かい感触。


「石に頼るという君の判断には、賛同しかねる」

「え……?」


 すぐ上から降ってきた声に、驚いて顔を上げる。


「軍司として、成功率の低い案を通すわけにはいかない」

「マーチさん……!」


 無事でよかったと安堵(あんど)しかけたアリスだったが、ふと、何故マーチ・ヘアが自分を抱きしめるような体勢になっているのかと考えを巡らせる。そして…


「しぶといな」


 直後に聞こえたあの剣士の声。


「最初から、通すつもりなどなかった」


 アリスを放し、後ろに庇うマーチ・ヘア。その背を見て、アリスは思わず息を呑んだ。右肩から左腰にかけて走る大きな傷。一目で剣によるものだと分かるその傷を見て、(したた)る血を見て初めて、アリスは「痛そうな音がしたのに痛くなかった理由」を把握した。


「その傷……私の、せいで……」

「アリス殿、君の憂慮(ゆうりょ)は不要なものだ。僕は、戦いを計画する軍司……この傷も、計算のうちだ」

「でもっ……」

「君の判断は無謀だったが、一つだけ感謝しよう。今の剣撃における魔力は、石によって完全に無効化されていた」


 そうは言っても(はた)から見るに、彼が負った傷は大きく深く、その状態でいつも通り動けるなどとは到底思えない。しかしアリスには、どう言葉をかけていいのか、ましてどうすればこの事態に収拾がつくか、まったくもって分からなかった。

 ただ、余計な怪我をさせてしまったことへの罪悪感と、マーチ・ヘア越しに感じる剣士の敵意に対する恐怖から、涙が流れる。チェシャ猫も、ガヴェインも、マーチ・ヘアも、涙を持っている自分のせいで……それなのに、彼らはちっとも責めることなく、むしろ……


「森番のところまで下がっていてくれ、アリス殿」


 なおも気高く、自分を守ろうとする。


「今度は仕留(しと)める」

「それは僕のセリフだ」


 短剣を構えるマーチ・ヘアに、ガヴェインが言う。


「無茶だ、止せ! ランスにはニミュエの加護があんだ! ただでさえ手負いだってのに……剣じゃソイツに勝てっこねぇ!」

「ニミュエ……?」


 首を(かし)げるアリスの手を後ろから引きつつ、チェシャ猫が答える。


「湖の精霊だよ。ランスロットはその精霊に育てられたって噂。そのおかげかアイツ……重い長剣を振るってるはずなのに、切り返しとか、小枝を(もてあそ)んでるみたいな手首の動きだろ」


 言われてみれば確かに、短剣を扱うマーチ・ヘアよりも軽やかに、ランスロットは長剣を振るう。高い金属音が連続して響き、その度に二人の間合いが変化していく。だがやはり、押されているのはマーチ・ヘアの方だということは素人目(しろうとめ)でも充分理解できた。


「ほら、ぼんやり見てないで走ってアリスちゃん」

「チェシャ、でも」

「いい加減自覚してくれないかなぁ? 君はチェスのキング、君が取られたらこっちは負けなんだよ。だから軍司サマだって止めてるんだ、分かったら走って!」

「そんな……」



  ***



 (ひつぎ)の前で、伯爵は閉じていた瞼をゆっくりと開けた。


「苦戦しているようだ」

「仕方ない。あのランスロットを相手にしてるんだから。王宮に戻ってきたってことはある程度モルガンの精神的支配から(のが)れつつあるって踏んだんだけど……今一つみたいだ」


 どうしたら解放してあげられるんだろうね、と伯爵が入っていた棺のふたを閉めるヴァン。伯爵はしばし考え、ふとヴァンの方を見て言った。


「頼みがある」

「来ると思った」

「お前のことだ、持っているだろう」

「勿論。けどこれは、」

「薬ではなく毒、だろう? 何度も聞いた」

「……分かっててよく飲むね」


 (あき)れながらヴァンが白衣の内ポケットから取り出し伯爵に渡したのは、親指ほどの大きさの小瓶だった。伯爵は躊躇(ためら)いなくそのふたを開け、ヴァンに言う。


「何かあったら止めてくれ。そのための物も持っているだろう」

「勿論持ってるよ。だけど……ルゥ、」


 小瓶に口を付けた状態で、伯爵はヴァンを横目で見る。彼の表情は前髪で隠れて見えない。


「無理は、しないで欲しい」

「大丈夫さ。その前にお前が止めてくれる」


 そう言って小瓶の中身を飲み干した途端、伯爵の背に黒い翼が現れた。穏やかなブルーグレーの瞳は漆黒に変化し、左右の犬歯(けんし)が鋭く伸びる。爪の長さ、耳の形状も常人のものとは程遠くなり、その姿で彼は一声()いた。


「―――――!!」


 その声は隣にいるヴァンの耳に「音」として(とら)えられることはなかったが、強力な音波のようで、周りの木々を同心円状にしならせた。



  ***



 足を引きずりながら、チェシャ猫はアリスの手を引いて進み続ける。だがアリスの方は、残されたマーチ・ヘアとガヴェインが気がかりでその足を素直に進められずにいた。それに……


「つうっ……」

「チェシャ! やっぱり無理して歩いたら……」

「じゃあ、ここで立ち止まってランスロットに斬られんの待てってこと?」

「そうじゃない、けど……」


 未だ後方を気にするアリスに対し、チェシャ猫は見抜いたように言い放つ。


「アリスちゃんは何も出来ないよ」

「な、何で……」

「出来るワケないだろ。むしろどうやったらあの場で戦闘力ゼロの君が役に立つのか、教えて欲しいぐらいだね。さっきみたいに前に出たって、その場しのぎで使い切りの盾にしかならないじゃないか。チェスと同じだよ。キングは基本戦いに行かない。他の(こま)が相手のキングを追い詰めるまで生き残ることが仕事だ」

「私は……キングじゃない」


 思わぬ反論に、チェシャ猫は目を丸くした。


「『アリス』は勇者なんでしょ? 私にそう言ったのは、チェシャだったじゃない」


 不思議だった。チェシャ猫に言い返したのをキッカケに、混乱していた頭の中が落ち着いていく。自分がどうしたいのか、見えてくる。

 怖いものは怖い。けれど自分は、一時撤退して再起を(はか)るべき将軍様ではない。守られるべきお姫様でもない。「勇者アリス」としての行動を、正しくとりたいと思う。


「私の仕事は生き残ることじゃない。まだ勇者としては未熟だと思うけど…それを導いてくれるのがチェシャなんでしょ? だから今からちゃんと教えて。勇者とはどんな者で、どうあるべきなのか」

「……策でもあるのかい?」

「分からないけど、あの人は真直ぐ涙を狙ってた。だから、私があの人の行く先にいれば、動きがこう、直線的になるのかなって……」

「なるほどね。単純だけど、一度やってみてもいいかな。ただしアリスちゃん、覚悟はできてる?」

「正直怖いけど……皆がいれば大丈夫」


 半ば自分に言い聞かせるように宣言したアリスに、チェシャ猫はくすっと笑い、「何だか今の、勇者っぽかったよ」と手を握った。


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