邂逅(事前確認なし)
「……久しいな、ヴァン」
その言葉とは裏腹に、彼は転寝から目覚めたかのようにスッと起き上がる。
「お前が私を起こすとは…国王陛下に虐められたのか」
「そんなの毎日だ。あの人の傍は気苦労しかないし」
「ははは、そうかも知れないな」
溜息まじりのヴァンに笑い返した彼は、そこでようやく場にいる他の者たちに視線を向ける。
「これは失敬、見慣れた顔と、珍しい顔と……初めて見る顔がいるな」
「陛下のご意向でね。初対面なのはアリスさんと猫さんかな」
「はっ、初めまして! 今回は、宜しくお願いします!」
「お医者サマ、紹介雑過ぎ」
その雰囲気に圧倒され、アリスはぺこっとお辞儀する。対してチェシャ猫はヴァンに文句を言ってから「どーも」と軽い挨拶をした。
彼は棺から出て立ち上がり、アリスの前に手を差し出した。
「初めまして。私の名はルゥ・ドラキュラ。宜しく、アリス嬢」
「あ、はい!」
差し出された手を握ろうとしたアリスだったが、伯爵はその指を軽く持ち、深く頭を下げてアリスの手の甲にキスをした。
「なっ……」
「こんな可愛らしいお嬢さんに迎えてもらい、実に晴れやかな目覚めだ」
柔らかく微笑みながらの言葉に、アリスはぽんっと赤くなる。が、直後にチェシャ猫がアリスの手を握る伯爵の手を、自分の手と握手させた。
「初めまして伯爵サマ。俺はチェシャ猫。この勇者アリスちゃんの案内役です」
「勇者? もしや石碑の……確かに似ている」
伯爵にじっと見つめられ、アリスは咄嗟に俯く。
と、その時だった。再び悪寒が駆け抜け、バッと後ろを見るアリス。
「アリス殿?」
「マーチさん、今、なんか……」
心臓がいつもと違うおかしな脈打ちをしているのが、自分でもわかった。どくどくと、危機感を煽るような脈打ち。
そんな第六感とも言える感覚はこれまで持ち合わせていなかったはずだ。中学の修学旅行のときだって、このホテルは出るとか言われて自称「霊感がある子」が頭痛で動けなくなる事件などあったが、アリスは全く影響を受けずに旅行を存分に楽しんだ。
それなのに、今、こんなに不安と悪寒に襲われるのは、一体………
「……あっ」
胸に手を当てようとしたアリスの指に触れたのは、首から提げているマレフィセントの涙。もしかして、これが自分に影響しているのだろうか。だとしたら何故、まるでアリスの危機を告げるようなタイミングで……。
混乱するアリスの横で、伯爵が残念そうに呟く。
「どうやら雨雲が近付いているらしい。もっとも…それは排除できる類であるようだが」
「何か来るぞ、森番、ガヴェイン」
「みたいだね」
「ヤバい気配だ……」
どこからともなく湧き起こる霧。明確な寒気へと変貌する悪寒。まだ新しい襲撃の恐ろしさが、アリスの脳裏を過る。
「ルゥ、来るのは魔法使い?」
「いや……むしろ、己の腕に全てを委ねる騎士だ」
***
迷うほど、濃くなる霧。憂うほど、止まない雨。憤るほど、唸る雷。
守ると誓ったその城が、炎に包まれる。激しさを増すそれは森にまで飛び火して、木々の焦げる匂いが意識を朦朧とさせる。
「誰がために……俺は、」
守ると誓ったものは覚えている。失いたくない場所、空間、ひととき、仲間……その全てがなくなる夢を見て、守らなければならないものが変わって……何処に行けばいい? 何を考えればいい?
―「マレフィセントの涙」
「うぐっ……て、めぇ……」
―「その石が、答えを知っている」
「石……?」
―「お前の未来を守るには、その石が必要だ。さあ行くがいい、私はお前を止めはしない。お前がお前の大切なもののために動けば、それが私のためにもなるのだから」
「ふざ、けるな……俺、は」
―「何を言おうと、どう抗おうと、いずれお前は石を手に入れなければならない運命だ。石の所有者は世界を滅ぼす。もうお前の主にも取り入っているようだ」
「あ、るじ……」
―「失いたくないだろう? お前が生涯守ると誓った、恩人を」
痛みを伴い頭に響く声。耳を塞いでも止まらない、女の声。悪魔の囁きか、神託か。
―「阻む者は、屠れ」
***
伯爵の言った通り、雨が降り出した。激しい雷鳴に、アリスは思わず身震いする。
マーチ・ヘア、ガヴェイン、チェシャ猫は、「ヤバい気配」がするらしい方を見て、警戒したまま動かない。アリスもそちらを見てみるが、やはり何かの気配を察知できるはずもなく、ただ漫然と巣食う寒気に脈を落ちつけられずにいた。
「あの、チェシャ……」
沈黙に耐えきれなくなったアリスが、隣に立つチェシャ猫に話しかけようとした、その時。
「来る!」
マーチ・ヘアの声がした直後、刃物がぶつかり合うような高い金属音。驚いて視線を前に戻そうとしたアリスの瞳に、「それ」は一点の針のように鋭く、刺さるように映った。
「え……」
時間が止まった感覚の中で、アリスは動くことなどできなかった。ただ、「それ」が剣を振るい、切先が自分の喉元に真直ぐ向かってくるのが分かり――……
「アリスちゃんっ!!!」
チェシャ猫の叫びと共に、アリスの体は引き寄せられて宙に浮く。呆気にとられるアリスの視界に、追撃しようと地を蹴る「それ」の姿。次の瞬間、再び響く金属音。
「軍司サマ……!」
「引き受ける。なるべく離れろ」
「了解っ」
応答するチェシャ猫の足は次の木の枝を蹴り始めていた。なおも追撃しようとするその刃を、マーチ・ヘアの短剣が受け止め、押し弾く。と、その人物は白いマントをはためかせながら、屈みこむように着地した。
「生憎だが、これ以上の接近は認めない」
そう言い放ったマーチ・ヘアの前で、彼はスッと立ち上がる。その姿、というよりも、迷いなく濁った鋭い眼光に、マーチ・ヘアは一瞬畏怖を抱いた。
「幸か不幸か、とんでもない再会ですね」
マーチ・ヘアの後方で、ヴァンが言う。
「今まで何処ほっつき歩いてたんですか。円卓の騎士随一の剣士……ランスロット」
***
チェシャ猫はアリスを抱えたまま木の枝を飛び移っていく。聞こえる金属音が徐々に小さくなっていく中、アリスは未だ呆然と動けずにいた。
「アリスちゃん、アリスちゃんっ!」
「……チェシャ、」
「大丈夫かい? まぁさっきの一太刀、掠ってもなさそうだけど」
「私、さっき……」
思い返して初めて、アリスの呼吸は荒くなった。止まっていた時間が、まるで今動き出したかのように、心臓がどくどく言い始める。
あれは、殺意ではなく敵意だった。人間が発しうる最大級の敵意を真正面から向けられたことによる寒気が、アリスの思考と感覚を停止させた。見えたのは、白く濁った瞳。純粋な敵意のみを宿し、何かを盲信するように剣を振るう、真直ぐな視線。
「アリスちゃん……?」
「……こ、怖かったっ……」
向けられた敵意に、ようやく抱いた凄まじい恐怖。首をはねられるところだったのだと気付いた途端、ぼろぼろと涙が溢れ出す。チェシャ猫の服をきゅうっと握る、その拳すら震えて、止まらない。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
アリスを抱えたまま木の枝を飛び移っていたチェシャ猫は、太い枝で止まりアリスを降ろす。涙を止められないままのアリスの手に、自分の手を重ねた。
「これだけ離れれば追いつかれない。軍司サマとガヴェインが全力で足止めしてるだろうし。だからアリスちゃん、深呼吸してごらん」
吸って、吐いて、を数度繰り返していくうちに、涙の勢いは弱まり、心拍数も平常時に近づく。
やがてアリスの心には、あの場に残された者を案じる余裕も生まれた。(今までしてきた会話から察するに)戦闘慣れしているマーチ・ヘアとガヴェインはともかく、長い眠りから目覚めたばかりの伯爵と、(こちらも察するに)戦闘など専門外中の専門外であろうヴァンは、大丈夫だろうか。あの剣士は、あの瞳は、間違いなくマレフィセントの涙を狙っていた。ではもし、それを阻む者たちが現れたら……
「どうしようチェシャ……ヴァンさん達が……!」
「あのさぁアリスちゃん、お優しい勇者サマになってくれんのは結構だけど、まだ目的地に遠く及ばないこの段階で、君が首をはねられて石を奪われるっていう最悪の事態が起こりかねないこともちょっとは考慮に入れてほしいね」
チェシャ猫の指摘に、言葉を詰まらせる。悔しいが今すぐには的確な反論が浮かばない。それに……まだ震えは止まっていない。アリス自身が、先ほどの突き刺すような敵意に恐怖しているのだ。
視線を落として口を噤むアリスに畳みかけるようにチェシャ猫は続ける。
「軍司サマが『引き受ける』って言ったんだ。これでもしあの剣士がここまで来たら…………」
そこまで言って、何かを察知したのかふっと振り返るチェシャ猫。「どうしたの」と聞こうとしたアリスの体は、瞬く間に彼の腕に抱えられ、再び宙に浮いた。
「なっ、何なの!? ちょっとチェシャ……」
「まったく信じがたいけど、ちょっと絶望的展開が迫ってるみたいだ」
「え……?」
首を伸ばして後方を確認したアリスの目に映ったのは……チェシャ猫と同じように枝から枝へ飛び移りながら追いかけてくる剣士。真直ぐに向けられる敵意は、途端にアリスの体を強張らせる。
「どうして……あ、あの人が来たってことは……マーチさんとガヴェインさんは……!」
「二人がかりなのにロクに足止めできないなんて、使えないにも程があるね」
「そっ、」
そうじゃない、と反論しようとしたアリスだったが、それは別の衝撃によって阻まれる。
「逃がすかよ」
「くっ……!」
少しずつ縮まっていた距離が、彼の剣にチェシャ猫の足を捕えさせた。




