(衝動的)反発
王宮内は、ちょっとした騒ぎになっていた。何せ、円卓の騎士随一と言われているにも関わらず長いこと行方不明だった剣士・ランスロットが、(モルガンの術にかかった状態とは言え)発見され、(意識不明の重体とは言え)帰還したのだ。
また、王宮内が慌ただしいもう一つの理由として、本日が収穫祭であるということもあった。
「失礼します。ヴァンさん、お湯沸いたので持ってきました」
「ありがとうございます。すみませんね、使ってしまって」
「いえ、私が言ったことですから」
足を軽く捻っただけで済んだアリスは、昨日自分から「手伝わせてください」と申し出た。ランスロットの奇襲は紛れもなくマレフィセントの涙が原因であり、それによりたくさんの人に怪我を負わせてしまった。
「疲れてませんか? 足、完治がまだだってことは自覚してますよね」
「まだ全然大丈夫です。というかその、何かしてないと落ち着かなくて」
「……そうですか。ではもう一つ、頼まれて欲しいんですが」
「はい」
「ここにある薬とガーゼと包帯を持って、ウサギさんの部屋に行っててもらえますか。こちらが片付いたら私も向かうんで」
分かりました、と荷物を抱えようとしたアリスに、奥のベッドにいた人物が呼びかける。
「た、助けてくれ嬢ちゃん!」
「えっ?」
昨日の戦闘で(アリスの見る限り)最もひどく負傷したガヴェインが、何故か手錠と首輪を付けられた状態でベッドに(どう見ても強制的に)寝かせられていた。あれだけ恐ろしいランスロットにはちっとも動じず向かっていった彼が、まるで世界の終わりが近づいているかのように怯えている。
驚くアリスの横で、ヴァンがにこやかに言った。
「おや、もう麻酔が切れたんですか。さすがですね、ガヴェイン」
「ひえっ」
「あの、お怪我の方は……」
「もう治るから! バッチリ完璧問題なし! だからもういいだろ、ヘルシング卿……!」
「却下です。まだちっとも塞がってないんで。ほら、そんなに動くとまたガーゼに血が滲んじゃうじゃないですか。これは大変、縫合し直さなくては!」
「やっ、やめてくれよーっ!!」
もはや彼は注射を嫌がる子供同然で、絶句するアリス。ヴァンは何事もなかったかのように「どうぞ、先に行っててください」と促す。一体どんな風に治療されたのだろうかと疑問に思わなかったわけではないが、突っ込んで聞くことも少し怖かったため、おとなしくマーチ・ヘアの部屋へ向かうことにした。
「失礼します」
ドアをノックして、ノブを捻る。マーチ・ヘアは(こちらも何事もなかったかのように)アヴァロンとキャメロットの交戦記の写しに目を通していた。
「足の具合はどうだ」
「大丈夫、です……。あの、マーチさんは」
「心配には及ばないと言ったろう。僕の傷は計算のうちだ」
「計算って、」
「ランスロット相手に無傷での勝利はないと始めから確信していた。自陣のダメージも考慮に入れながら最終的に満足のいく結果をもたらす……そのための戦略を練るのが軍司であり、その判断に則って戦うのが軍人だ」
マーチ・ヘアが、どんな意図をもってそう語っているのか、アリスにはよく分からなかった。ただ、彼の語るその内容はとても理解しがたく、アリスの中に歯痒さを芽生えさせていく。
「……痛くなかったんですか」
「痛みを伴うかは問題ではない。あの瞬間、最も優先すべきは君と」
「私と涙のためなら怪我していいんですか? 想定内なら何でも許せちゃうんですか?」
「勿論だ。想定内の怪我で揺らぐほど、軍司の精神は柔くない。よって心配される理由など何処にもない」
「そうじゃなくてっ……じゃあマーチさんは、私が罪悪感に押しつぶされそうになるのも想定してたってことですか!? そーいうのも全部織り込み済みで自分から怪我するんですかっ!!」
言い放ったその瞬間にマーチ・ヘアの表情を確認する余裕など、アリスにはなかった。
彼の語る意味を理解しようと頭を働かせれば働かせるほど、芽生えた歯痒さが苛立ちに変わっていき、気付いたらそれは怒鳴り声となり彼にぶつけられていた。どうしようもなく悲しくなっていく気がした。心臓に冷水を浴びせられたような、急速な冷え方。反比例するように目頭は熱くなり、拳も震える。
「失礼しましたっ……!」
部屋を飛び出しドアを乱暴に閉めたところに、ちょうどヴァンがやって来ていた。
「アリスさん? 何か……」
「何でもないです、お薬とかは机の上に置いてあるので」
駆け足でマーチ・ヘアの部屋から遠ざかる。しばらく走って廊下の角を曲がり、そこに座り込み深呼吸。熱くなった目頭から涙が零れないようにと念じながら、もう一つ深呼吸。
そうだ、落ち着け、落ち着け。相手は戦い慣れた軍司なんだ。考え方が違うのは仕方ない。一般的な中学生の自分にそのストイックさや強さの真髄が理解できるわけがない。仮に理解できたとして、これから先の人生において何の役にも立たない。軍人と関わるのはこの世界でだけだ。ここで上手くいかなくても、何の支障もないんだ……。
けれど、耐え難かった。全否定されるような、一線を引かれているような、突然ものすごい距離を置かれたような感覚。
「B」という評価を貰ったあの日、ほんの少し打ち解けた気がした。ちょっとずつでも、お互いの考え方や評価の仕方を共有できたらと思っていた。けれど所詮は一時的なパーティーで、いわば小学生の班行動と同レベルの接近だったらしい。同じものを作ろうと協力はするが、特別仲良くなったりはせず、まして一緒にお弁当を食べようなどとは考えもしない淡白さ。
「不調?」
突然声をかけられて、膝を抱えた状態から顔を上げる。分厚い書類を両手いっぱいに抱えた給仕長ルーカンが、「こんな廊下の隅で蹲って何しているのか」という表情でアリスを見下ろしていた。
「足?」
「ううん! 足は全然大丈夫! ちょっと頭の中整理したくて……」
「考え事」
「……うん。ルーカン君はお仕事? 私、何か手伝おうか?」
「今日の祭り、仕上げの準備、未完了」
「仕上げ?」
「関係者以外への告知、禁止された。手伝い、気持ちだけ」
そういえば今日が収穫祭だったとアリスはぼんやり思い出す。ルーカンの口ぶりから察するに、その仕上げに関しては手伝ってはいけないようだ。
「勇者、完治? 祭り参加可能?」
「完治したかどうかは分からないけど、一応歩けるから……時間ができたら行こう、かな…」
そう答えたものの、正直現時点でのアリスの精神状態では祭りを楽しめそうになかったため、わざわざ中心街に足を運ぶ気にもなれなかった。
ヴァンの手伝いをしていれば余計なことをぐるぐる考えることなく時間をつぶせるだろう。そんなアリスの心境に気付いているのかいないのか、ルーカンは「きっと楽しめる」と残し、その場を去った。
「……戻ろ」
戻って、またヴァンの手伝いをしよう。ガヴェインの傷も気になるし、ランスロットは言うまでもなく、最終的に彼を止めてくれた伯爵すらあれから目を覚ましてないと聞いている。
あまりにもたくさんの人が無理をして、傷ついた。それを涙のせいと言うべきか、私のせいと言うべきか、アリスにはもう分からなくなっていた。こんなことになるなら、いっそ女王に首を刎ねられておけば良かったのかも知れない。そうすれば、この夢のような非現実的なおとぎ話の世界から、離脱できたのではないか……
「やぁ、アリスちゃん」
「チェシャ…」
「ぼーっと歩いて、何処向かってんの?」
相変わらずの胡散臭い笑みに、アリスはふっと視線を下げる。パンツの左腿部分が少し膨らんでいるのは、気のせいではないだろう。アリスを抱えながら走って逃げていた際に、ランスロットに斬りつけられた箇所だ。鮮明に思い出せるせいで、余計に申し訳なくなる。
「お医者サマの手伝いしてんだっけ。健気だねぇ。これを機にナースの格好でもしてみたら? 一部男性陣にはウケがいいと思うよ」
「…………ごめん」
口を開けば、謝罪の言葉が自然に出てくる。脈絡がないことは分かっていた。チェシャ猫を戸惑わせてしまうであろうことも。
「それ、何の謝罪かな」
「わ、私のせいで……その、足……まだ痛むでしょ……?」
「生憎ガヴェインや軍司サマと違ってそこまでがっつりと戦い慣れ痛み慣れしてないからねぇ、当然それなりには痛むさ」
やはり、痛むのだ。身体を鋭利な刃物で傷つけられて平気なはずがない。(こう言ってはチェシャ猫の負った傷を軽んじているようで失礼かも知れないが)チェシャ猫でさえ痛みを訴えるのだから、ガヴェインやマーチ・ヘアは尚更……
「それで? お察しの通り俺が傷を負ったのはアリスちゃん及びアリスちゃんが持ってる涙のせいでまず間違いないんだけど、それを踏まえて君は俺に何か施してくれるのかい? もしくはもう危険だから旅なんてやめようってことで解任決定? それとも今度はちゃんと勇者っぽく守るための自己鍛錬とか始めるのかなぁ」
「……どうすべきかは、まだ」
「考えないでとりあえず謝罪だけしたワケか。ふぅん……大方、他人の血を見慣れてないから罪悪感で押しつぶされそうになったってトコだろ。本来ならその軽挙妄動っぷりに呆れるところだけど、知っての通り俺は寛大だからね。感情ばかり先走る理性の弱い君に、償い方を指し示してあげようか」
「償い方……?」
半ば期待も込めて、チェシャ猫と目を合わせるアリス。すると彼は、お得意の胡散臭い笑みと人を小馬鹿にするような声色でその提案を口にした。
「荷物持ちしてよ、アリスちゃん。何たって今日はキャメロットの収穫祭、俺欲しいものたくさんあるんだけど、この足じゃ歩き回るだけで一苦労だからさぁ」
「それって……なんか、違くない?」
「何が違うのさ。俺は君を守る際に怪我をして、君はそれを申し訳なく思ってる。だから俺の足を労わって荷物を持つ。……おかしい箇所ある?」
「……多分、ない」
「だったら決定。すぐ支度しよう。じき昼だし、今から向かえば着く頃には屋台も賑わってるさ」
十分後に正門前で、と尻尾を躍らせ戻っていくチェシャ猫を見ていると、やはりこの荷物持ちというミッションは「償い」としては何かが違う気がしてくる。しかし、その違和感の正体を論理立てて説明できない今のアリスには「大人しく同行する」という選択肢以外残されていなかった。




