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生臭い、獣の吐息。
むっとただよう体臭が、目覚めの気付けとは、神さまもなかなか趣味が悪い。
だが、恨み言はよしておく。なんであれ、生きているのだから文句は言えないだろう。エカイユも、無事だった。
軋む体で、雪から這い出して起き上がる。 目の前には、ビークルのライトを背負い、目を血走らせた雷鳴鳥が立っていた。
苛々と鋭い爪で雪を掻きだし、氷床をがりがりと削っている。幼体とはいえ、オレよりも二回りは大きい体格からにじみ出る殺気に、震えがはしる。
鋭いくちばしに突かれれば、腹には簡単に大穴があく。強靱な足で蹴られれば、内臓破裂は確実。氷を削るかぎ爪は、肉だけでなく骨ごとこの体を切り裂くだろう。
許容量を超える恐怖に、口元が勝手に緩む 銃は目の前に転がっているが、殺気立つ相手を前にしては、下手に動けない。
戦うことも、逃げることも許されず、睨みあうしかないのか。
『お願いだ、幼き雷鳴鳥よ! 私の話を聞いてほしい!』
エカイユの声に、雷鳴鳥が顔を上げる。オレは飛びつくように銃を拾い上げ、構えた。なんの思惑もない、本能の行動だ。
『ウルブスキィ、銃を捨てよ! この子は、FEL式銃を恐れている!』
『FEL式銃を恐れているってのは、どういうことだ?』
『あの蛮族どもに、親鳥を殺されたのだ。恐れないわけが、ない』
ゆっくりと立ち上がったエカイユは、ふらふらと、頼りない足取りで幼鳥へと歩み寄る。短い胸びれをばたつかせるのは、近づくなという警告の仕草か。
しかたなく、オレは銃口を下ろした。
ゆっくりと幼鳥へと歩み寄ってゆくエカイユは、落下したときに痛めたのか、すこし足を引きずっていた。
怪我の度合いは見ただけでは分からないが、軽くはなさそうだ。血管が透けるような白い頬は、暗がりでも分かるほどに青ざめ、目元は強ばっている。
だが、口元にあるのは微笑だった。
荒ぶる幼鳥を前にして、エカイユは静かに微笑んでいる。
『私も、お前と同じだ。父を蛮族に殺され、恐くて恐くてしかたがなかった』
怒れる雷鳴鳥に、手をさしのべるエカイユの表情には、不思議と恐怖はない。静かな息づかいと視線でもって対峙する姿は、少女とは思えない大きさを感じさせる。
これが、騎士としての姿なのか。凛としたたたずまいは、冷え切った空気よりも更に研ぎ澄まされた、美しさを感じさせる。
幼鳥が、エカイユの視線に身じろぐ。
銃を構えようとするオレに、「大丈夫だ」とエカイユは頷き、ケバだった羽毛を抱きしめた。
『コワイ、コワイ。ヒトリ、コワイ。コロサレル、コワイ』
単語をつなげるだけの、たどたどしい言葉。幼鳥の皮膚に、多面的回路特有の紋様が浮かび上がっている。
『エカイユ、こいつ言葉を理解しているぞ』
『ああ、分かっている』
ヒトの体を捨て、自然の中に己の生を見いだしたヒト。野生に帰化した元ニンゲンの末裔は、エカイユをじっと見下ろしている。
警戒は相変わらずだが、様子を窺うようにトサカがゆるゆると震えていた。
『幼き雷鳴鳥よ、私と共に生きてはくれまいか? 未熟すぎるこの私を、助けて欲しいのだ』
『オマエ、モ、コワイ?』
大きな首を傾げ、雷鳴鳥がエカイユの顔をのぞき込んだ。
ちょっとした拍子に、鋭いくちばしで眼球を抉りとられてしまいそうな近距離だ。冷や汗を飲むオレを余所に、エカイユは毛深い雷鳴鳥の腹に顔を埋めた。
『遠いところへと旅立ってしまう、愛しい人達を追わないように、私は強くあらねばならない。だが、私はまた未熟だ。助けがなければ、ヒトリで立つことすらままならない。だから、オマエがいておくれ。代わりに、私がオマエの側にずっといよう。いなくなってしまった親の代わりに、守ると誓おう』
『コワク、ナイ?』
『ああ、怖くないよ。私とともに生きよう。オマエの背に、私を乗せてくれ』
幼鳥は大きく身震いをし、返事の代わりに甲高い声を上げる。
『ありがとう、約束する。ずっと一緒に、生きよう』
もう、暴れ出す心配は無いだろう。銃を杖代わりに立ち上がり、ゆっくりと息を吐く。命のやり取りは、どうにも性に合わない。
ビークルが大破したのは痛いが、命の変わりと思えば、やすい……と、無理矢理納得しておこう。
悲観的になるのは、良くない。
ついさっきまでの凶暴な姿からは信じられないほど、幼鳥はエカイユに甘えきっていた。怪我をさせたなんて、まるっきり頭の中に入っていない様子だ。
『エカイユ、無事ですか』
凍土馬の嘶きと共に、ジャッドが姿を現す。
『そっちこそ、無事なのかい? 団長殿』
エカイユが乗ってきた凍土馬だろう、興奮して口から泡を吹いている。
『ウルブスキィ殿に比べれば、たいしたことはありませんよ。そちらは随分とまた、苦労なされたようだ』
ジャッドは鞍に凍土馬の手綱をくくりつけ、雷鳴鳥から降り立つ。
言葉どおり涼しい顔には傷一つ無く、負傷と言えば衣服が少しばかり焦げているだけだ。対して、オレもエカイユもぼろぼろだ。
正直に言えば、立っているのすらやっとで、打ち付けた体のあちこちが痛いし、疲労と安堵に、口は緩みっぱなしだ。
鏡が無いのに感謝しなくちゃならない、きっと酷い顔をしているだろう。
『ジャッド団長、私は……この子と共にあろうと思います。許される時間の全てをかけて、自分で選んだ道を歩みたい』
じゃれてくる幼鳥の頭を撫で、エカイユは形の良い唇を引き結び、ジャッドを仰ぐ。
真っ直ぐに前を見つめる視線は、若干の迷いに揺れるものの、意思の強さに満ちていた。
『私は、シュヴァルの騎士、雷鳴鳥の乗り手として生きます』




