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地中から引き込まれた蒸気を排出しているため、コタンの周囲は常に、濃厚な霧に包まれていた。
十キロ離れた地点にいても、風に流されてくる氷の粒子が、雪上車をせわしく叩いている。
「ここまでくれば、もう迷うことは無い。あの、瞬く光を目指して進めばコタンにたどり着く」
「ありがとう、本当に助かったよ」
振り返ると、エカイユはそそくさと下車の用意をしていた。そんなに慌てなくたって、追い出したりなんかしないのにな。
「じゃあ、私はこれで」
「掛け違えてる。その格好じゃ、凍死するぞ」
ぽっと、湯が沸くように顔を赤く染めるエカイユに、苦笑が漏れる。まったく、見ていられない。
遠慮して逃げようとするコートの裾を掴まえて、引き寄せた。「いい、自分でやる!」と嫌がるのを完全に無視して、膝を着いてボタンを掛け直す。
「ジャッドの言葉を借りるようだが、キミ達に出会えたオレは幸運だったな」
「……ゎたしも」
声が籠もってしまって、よく聞こえない。どうしたのかと顔を上げようとして、覆い被さってくる重みに邪魔された。暖かい子供の体温に包まれる。
「私も、貴殿に会えて良かった」
いい年した男だが、頭を撫でられるのは嫌いじゃない。
むしろ、どこか安心するし、エカイユからは、子供特有のいい匂いもする。正直いうと、気持ちが良い。
だが、ずっと撫でられているわけにもいかない。
エカイユの手をそっと払い、立ち上がった。
「雷鳴鳥の騎士としての初任務、ご苦労様。短かったが、キミとの旅は楽しかった」
ジャッドとリュビの華燭の儀が終り、雷鳴鳥乗りとしてみとめられたエカイユの初任務は、オレを無事にコタンへと送り届けること。もちろん、野生の幼鳥をヒトに馴らす目的も含まれている。
エカイユには懐いているが、なんの訓練も受けてなければ騎士の鳥にはなれない。道はまだまだ厳しそうだが、乗り越えられるはずだ。エカイユはもう、闇の外にいる。
「あ、あの子を馴らすついでだ。礼を言われるほど、たした仕事でもない」
「護衛が初任務じゃ、張り合いはないか?」
「そ、そんなことはない! 役に立てることは、嬉しく思ってる。貴殿には、その、世話になったから。これくらい、任務でなくったって……まあ、そういうことだ!」
あまりしつこくからかうと、嫌われてしまいそうだ。ほどほどに切り上げ、手編みの帽子を被せてやる。
リュビから譲り受けた、雷鳴鳥の腹の毛を撚った毛糸で作ったものだ。自分で言うのも何だが、可愛くできた。
「報酬にしては安っぽいが、我慢してくれ」
「じゅうぶんだ! 嬉しい、とっても嬉しいぞ!」
喜ばれるのは、こっちだって嬉しいもんだ。外の世界は生きるか死ぬかのサバイバル。なかなか、気の許せる仲間を見つけられないのが現状で……考えてみれば、ビャクダン以外に贈り物をした記憶がなかった。なんだか、じわりと胸が締め付けられる。
「もう、会えないなんて寂しいな、ウルブスキィ」
素直すぎるのは、困ったもんだ。隠し事のない言葉は、肺腑にずばっと差し込んでくる。エカイユの目を盗み、決壊寸前の目頭を押さえる。ここで、オレが泣くわけにはいかない。
「この、広すぎる世界でばったりオレ達は出会った。偶然だって言う奴もいるだろうが、オレはそうは思わない。出会いには意味がある、シュヴァルと同じだ。奇跡的な縁は、そう容易く、切れちまうもんじゃない。だから、もう会えないなんて言うなよ、エカイユ」
顔を上げるエカイユに、右手を差し出す。
小さな手が、しっかりと握り返してくる。
どんなに時間が経とうと、オレは熱いこの感覚を、忘れたりはしないだろう。生きているヒトの鼓動が、どうしようもなく愛おしい。
それぞれに、生きる道は違う。
併走することはあっても、重なることはなく。たまに交差する、偶然とも奇跡とも言える瞬間は、あっという間に過ぎてゆく。だが、一度であるとは限らない。エカイユの体温が残る右手で、色素の薄い、銀色の髪を乱暴に撫でる。
「短いのもカッコイイが、やっぱり伸ばした方が可愛いな」
「髪が長い女の方が好みか? まあ、覚えておこう。ただし、惚れてくれるなよ。私には、立派に婚約者がいるのだからな」
「気をつける。こちらとら、嫉妬深い相棒もいるんでね。女の子と二人で旅していたなんて知っただけで、大暴れするだろうな」
「では、これは保険というわけか?」
ハンガーに掛けてあるのは、リュビの花嫁衣装だ。本当なら、エカイユが受け取るべき衣装なのだが、「まだ必要ないから、貴殿が使え」と押しつけられた。まさか、オレが着るわけにもいかない。想像するだけで虫酸が走る。かといって、突き返すのも悪いので、寄り道した罪悪感を宥めるための、手土産にすることにした。
「そろそろ、私はリムセラに戻る」
「ああ、そうだな。もう一人でも、大丈夫だ」
オレも上着を着て、後部コンテナに移る。
コンテナには、世話になった礼とビークルの修理代にして欲しいと、有難くもらい受けたシュヴァルの上質な織物と、むさ苦しい密猟者が並べられていた。が、何より気になったのは濃厚な獣臭さだ。
「寂しい思いをさせた、すぐに外に出してやるぞ」
エカイユが入って来たとたん騒ぎ出す幼鳥に、たまらずにオレは両耳を塞ぐ。訓練もそこそこなので鞍はまだ無く、誘導するための手綱が巻かれているだけの幼鳥は、コンテナ内を飛び跳ねようとしては、そここに体を打ち付ける。
修理代が嵩む、頼むから大人しくしていてくれ。
一緒にコンテナに積まれていた凍土馬は、心なしか、迷惑そうな顔をしているように思えた。密猟者たちは諦めたのか、何も言わない。
幼鳥をエカイユが宥めている隙に、コンテナのハッチを開く。エカイユは幼鳥を、オレは凍土馬を誘導して、凍土に降り立った。視線が煩わしいので、すぐにハッチを閉じてやる。悪いが、見せ物じゃない。
『じゃあな、エカイユ』
幼鳥の手綱を引き、凍土馬に乗り込んだエカイユはにいっと口元を持ち上げ、笑う。
『ビャクダン殿と祝言を挙げるときは、私のところに来い』
不意打ちに近い提案に、オレは抗議の声も上げられない。むせかえった拍子に、冷気で喉を灼かれたためだ。
『な、なんだよ。急に!』
『シュヴァルの歴史に残るような、素晴らしい舞いを披露してやろう。この子と、一緒にな。期待していろ』
トサカを撫でられた幼鳥は、大きな目を細め、甘えた声で鳴く。
『ウルブスキィ、私は――』
言葉の続きを待つが、エカイユはコタンの方角をじっと見つめ……首を振った。言いかけた言葉の代わりに、微笑む。
『決めた。ずっと、悩んでいたが、決まったぞ』
まだ傷跡の残る頬が、気温差に赤く染まった。
『この子の、名前だ。分相応な、丁度良いものを思いついた』
『へぇ、なんて名前だ? 相当、間抜けな名前なんだろうな』
『そう、悪いものでもはないさ。だが……貴殿には、教えてやらん。どうしても知りたければ、今度、デューケ鄕を尋ねてきた時に教えてやろう』
オーロラの、コバルトグリーンの輝きの下。エカイユの不敵な笑みが、妖しく映える。
『じゃあ、さよならだ。ウルブスキィ』
『じゃあな。気をつけて、帰れよ』
揺れる、銀色の目に手を振る。
力強く凍土馬の腹を蹴り、エカイユはあっという間に、濃い闇の中へと消えて行ってしまった。情緒も何も無いが、悲しい別れではないのだから、さっぱりとした別れ方も悪くはない。ひょっこりと明日、偶然出くわすんじゃないかって気さえしてくる。
凍土馬の嘶きが聞こえなくなって、暫く。
体が冷えてきたので車内に戻ろうと踵を返したオレは、そのまま――動けなくなった。
多面的回路の、通信距離ぎりぎり。不鮮明に掠れた声が、冷えたオレの体の芯を直撃する。
『ウール! 待ちきれなくて、探しに来てしまいましたわ!』
雪上車のライトが照らし出す、緑色の髪の美女。
久しぶりだからか、元気よく走り寄ってくる姿に、言ってやろうと思っていた言葉の全てが消し飛んだ。
どうして、ここにいるって分かったんだ?
探しに来たって、もしかしてまた面倒を作ってきたのか?
ぐるぐる回る言葉を押しのけて、最初に出てきたのは、短くてたわいない言葉。
『……ただいっ』
『愛していますわ、ウール!』
ようやっとの思いで絞り出した言葉も、疲れ切った体と一緒に雪へ押し倒されてしまえば、オレはもう、笑うしかなかった。




