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イベリス (Iberis)    作者: Naoko
3部 ベラ
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     6章 平和への道のり 1話 青い光

 夜明け、イベリスは湖の上にいた。

足元には青い光があり、それは要塞の出入り口で、彼は、要塞から出てきたところだった。

辺りはまだ薄暗く、乾季なので、朝霧もさほど濃くは無い。

湖の水面からは、冷たい空気に冷やされた空気が湯気のように上がっている。

もう少し明るくなれば、その煙はさらに密度を増していくはずだ。


 イベリスは、朝に要塞へ行った後、湖の上に立って考え事をすることが多い。

彼が早朝を選ぶのは、霧の中で思いを集中しやすいのと、自分の姿が霧に隠れるからだった。

ところが、その朝は違っていた。


 自分一人だと思っていたのに、誰かが湖畔にいる。

良く見ると、それはベラだった。


 イベリスは、「あの時と同じだ」と思った。


 違うのは、あれからかなりの時が経っていて、

二人とも試行錯誤しながら、様々なことをすり抜けてきたことだ。

そして、これからも、予期せぬことが待っているはずで、道は楽ではない。


 その時、イベリスは、「彼女と共に、それを歩んで生きたい」と思った。



 霧が水面の上を低く覆っており、

山から下りてきた霧がベラを隠し、通り過ぎては、ちらりと彼女を見せてくれる。

霧の中に消えてしまいそうなので、イベリスは彼女の方へ歩いていった。

そして彼女の手を取る。

その手は冷たい。

彼は、彼女の両手を自分の両手で包み、その手にキスをした。


 ベラは、彼の目を見て言った。

「あの時、あなたは、『要塞へ入るのを決めていない』と言ったわ」

イベリスは、すこし首を傾げた。

「そんなことを言った?」


 ベラは、見え隠れするエルナトの影を見上げ、そして周りを見る。

「わたしは、全部覚えているわ。

あなたが言ったことも全部・・・」

ベラがイベリスに向き直ると、彼は口元をゆるめた。

その笑顔は穏やかだ。


 「あなたは、答えを見つけたのね」

「答え?」

「ええ、あなたは、自分の一族とその子孫を犠牲にするのを悩んでいたでしょう?」

「ああ、それか・・・」

彼はそう言うと、遠くを見るように、しばらく何かを考えていた。


 辺りは次第に明るくなり、水の波打つ音と、風が木の葉を揺らす音が、遠くから来るように聞こえる。


 イベリスは、急に肩膝をついた。

そして彼女の手に、自分の首にかけられていた緑の石を当てて言った。


 「ベラ、結婚してくれ」


 彼女は驚く。

もちろんイベリスも、それは予期していた。

「愛している」という前に、こんなことを言い出すのだから当たり前なのだけれど、

この霧の中、湖の静かな水の揺れる音が、彼をせきたてているようで、

それを言わずにいられなかったのだ。



 「イベリス」

とベラは、震える声で言った。

「わたし、何て言っていいのか・・・」


 イベリスは微笑むと、

「そうだね、驚かせてしまったね」

そして立ち上がる。


 「急がなくてもいい、ゆっくり考えてくれ」

彼はそう言うと、彼女の手を離した。




 朝、ベラは忙しく働き、キッチンでの仕事を終えるとスピルの手伝いをする。

それから昼食時になった。


 エルナトの昼食は、キッチンに準備されているものを各自が好きなように食べ、

堰止湖で働く者たちには、彼らが出かける時に一緒に持って行く。

そうして夕方には、再び、一同が揃うのだ。



 イベリスは、午後にベラを見なかった。

一人で考えているのだろうと思い、そっとしておくことにする。

ところが、翌朝になっても彼女はいない。

それでスピルに聞いてみた。


 スピルは、「昨日の午後から見かけませんね」と言う。

「どこにもいないんだ」とイベリスが言うと、

突然、スピルは叫んだ。

「あーっ! また逃げたんだ!」


 「逃げた!?」

イベリスは呆然とする。

そして、

「どういうことだ? 自分からか? プロポーズしたからか? 一体どこへ行ったんだ!?」と動揺する。

スピルは続けて話しいるのだけれど、イベリスは聞いていない。


 「いや、前にもあったんですよ。

周期的に、気象観測のデータを記録するんですが、

ベラは数字が苦手で、逃げてしまってね。

あの時は、まだ忙しくなかったから良かったんですが、困ったな。

イベリス、時間があれば手伝って下さいよ。

全く、こっちは忙しいのに」


 イベリスは、

「彼女が居そうな所の心当たりないか?」と聞いた。


 スピルは、ため息をつきながら答える。

「知っていたら、こっちが教えて欲しいですよ。

もしかしたら、セイリンが知っているかもしれませんね。

この前、プリオベール男爵が、」

イベリスは、その名前を聞き間違えたかと思って、彼を遮って言った。


 「プリオベール男爵!?」


「ええ、そうですよ。

ベラが、帝国のプリオベール男爵から贈り物をたくさんもらったんで、サイシア村の者に配ったんですよ。

ほら、彼女が着てたあのドレスもそうです。

今は、セイリンが切り刻んで作り変えてしまいましたがね。

それで、男爵から貰ったチョコレートを、」


 「チョコレート?」


 「はい。

そのチョコレートが美味しかったんで、セイリンが同じように作れないかとベラに聞いたんです。

まあ、帝国の最高級チョコレートだから、自分たちで作るのは無理だけど、

ラーウスでもカカオは採れるので、挑戦してみて・・・」

と、スピルが言っている最中に、イベリスはベラの小屋に向かった。

そして、小屋のドアを思いっきり蹴る。


 ラーウスではドアに鍵をかけないので、蹴って開ける必要はない。

今、エルナトには、よそ者が大勢いるのだけれど、

誰もベラの小屋なんか気にしないので、鍵自体がないのだ。


 イベリスは、無残にも垂れ下がり、壊れたドアを投げ捨てるように開けて中に入る。

そこでイベリスが見たのは、自分が彼女のために残しておいた机の上、

そこに広げられている数々の品物だった。


 それは明らかに、帝国のものと思われる手鏡や櫛やヘアブラシ、

髪留め、リボン、ハンカチ等々、

壁には色鮮やかな帽子がかけられ、椅子の背もたれにも美しいショールがかかっている。

そしてベッドの上には、食べ散らかされたチョコレートの空き箱もあった。


 食べ散らかされたと思ったのはイベリスの誇張で、

実際は、蓋の開いた空き箱が置いてあるだけなのだ。

ちなみにそれは、アン・ルーとイベリスが、ワインを飲んで楽しんでいた夜、

ベラが怒って食べていたチョコレートだった。


 とにかく、殺風景だったベラの小屋は、

プリオベール男爵の贈り物で華やかに飾られ、女性の園へと変身していた。



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