7話 ワイン色の侵入者
その日、一日、ベラはサイシア村にいた。
ハンナ婆さんは、自分の家を丸ごとエルナトへ引っ越したいので、その準備の手伝いに行っていたのだ。
ベラが戻ってくると、夕食を済ませた男たちは、温泉に入ったり、岩のテラスでくつろいだりしていた。
キッチンはひっそりとしているのに、明かりが煌々と点いている。
ベラがキッチンのドアを開けると、そこにはイベリスと若い女性がいて、
彼らはテーブルの上の何かを見ながら、恋人同士のように話しているところだった。
ベラは驚き、邪魔したようで、気まずく思う。
その女性は、黒髪を後ろに丸くまとめて小さな毛先を垂らし、ほっそりとした首と白いうなじを見せている。
真っ白なブラウスは彼女の美しさを引き立たせ、タイトなスカートは腰のくびれを強調してスタイルが良い。
彼女が着ていたらしい濃い色のスーツの上着が、椅子の背もたれにかけてあり、
テーブルには屋敷の設計図が広げられ、二つのワイングラスが仲良く並んでおり、
ワインの濃い赤は、彼女を思わせる。
二人は同時にベラを見た。
彼女の唇もワイン色だった。
イベリスは笑顔を見せ、テーブルについていた肘を伸ばし、彼女の背中に手を添えて促す。
「ベラ、紹介するよ。
ケネスの妹のアン・ルーだ」
アン・ルーと紹介されたその女性は、ベラに近付き右手を差し出し、
「始めまして」と、
笑みを浮かべながら、スマートに言った。
ベラは、女性から握手を求められたのは初めてだったので、戸惑いながら彼女の手に触れ、
「始めまして」と言って握る。
アン・ルーの手馴れた様子から、彼女は洗練された働く女性なのだと分かる。
そう、彼女は、ベラが憧れていた「自信を持って働く女性」だった。
イベリスが、
「アン・ルーに相談していたのだけれど」と言い掛けると、
彼女はそれをさえぎって、
「わたしたち、マスターベッドルームのバスルームへの入り口を、どこに付けるか話していたの」と言って、テーブルの設計図の一箇所を指差して聞く。
「わたしはこの位置がいいと思うのだけれど、あなたはどう思う?」
ベラは驚いて彼女を見た。
するとアン・ルーは、
「あら、ごめんなさい。急にこんなことを聞いてしまって。
キッチンに用でいらしたのよね」
とにこやかに笑ってみせる。
ベラは、挑戦されているような圧力を感じた。
「ええ、ハンナ婆さんに貰った果物の砂糖漬けを、パムトリーに入れようと思って・・・」
すると彼女は、ワイングラスを持ち上げる。
「まあ、デザートによさそうね。
このワインに合うかしら。
ウィリディスから持ってきたのだけれど、良ろしかったらあなたもいかが?」
ベラは、砂糖漬けの包みをテーブルの上に置いた。
「ワインに合うかどうかは分かりませんが、よかったらお試しください」
それから、後ずさりする。
「今日は疲れているので、失礼します」
イベリスは微笑んだ。
「おやすみ。また明日」
キッチンを出たベラの背中を、アン・ルーとイベリスの笑い声が追ってきた。
自分の小屋に戻ったベラは、ベッドに腰掛け灯りも点けず、窓から入る月の光に照らされながら、しばらくそこに座っていた。
アン・ルーのあの手のしっとりとした感じ、設計図を指差した美しい爪、ぷっくりとした赤い唇、そして黒髪に良く似合う淡いピンク色の肌。
ベラは久しぶりに見る、自然とはまた違う都会の洗練された美しさに、ため息が出た。
彼女は、どことなく少女っぽいのに妖艶なものを感じさせる。
あの握手も、自分の美しい手を見せたかったからで、わざとなのかもしれない。
ベラは両手で、熱くなった自分の頬に触る。
そして目を覆い、髪を撫でてみた。
以前は、自分も、あんな都会的な美しさを持っていたのだろうか。
アン・ルーの美しさを羨ましく思ってしまう。
ベラは、プリオベール男爵からもらったチョコレートの箱を開け、それを口に放り込みながら言った。
「このチョコレートだったら、あなたのワインにぴったりよ」
次の日の朝、ベラがキッチンに行くと、アン・ルーがいた。
パンの焼けるいい匂いがする。
「パン生地を持ってきたのよ。上手く焼けるといいけど」
それは彼女の家のホームブレッドで、バターの香りが香ばしく、皆は舌鼓を打った。
それから彼女は、ピクニックに出かけたいと言う。
ケネスが、
「おいおい、僕らは仕事をしているんだ。
予定があるんだから、いくらお前のためだからと言って遊ぶわけにはいかないよ」と言う。
それでも彼女がねだるので、結局イベリスが、セイリンと妹のメルルを誘って、
少し奥の小さな湖に連れて行くことになった。
ベラも誘われたが、「前の日も仕事を休んでいたので」と言って断る。
ベラが、昼食の片付けを終えたところで、アン・ルーがキッチンに戻って来た。
彼女のカジュアルな格好は、大人びたスーツとは打って変わり、軽快で可愛らしい。
体の線に沿った花柄のシャツに、細い首には小さなスカーフを巻き、ふくらはぎ丈のパンツを穿いている。
明らかに、ベラの山歩きの格好とは違う。
「ベラ、あなたって、イベリスが好きなの?」
アン・ルーは唐突に聞いた。
ベラは驚き、そんなことを聞く彼女に呆れるのだけれど、それはベラ自信、彼女に聞きたいことだった。
ベラが黙っているので、アン・ルーはふふんと鼻で笑う。
「そうじゃないかしらと思っていたのよ。
あなたって、イベリスに似合っているとは思えないわ」
ベラは、「失礼なことを言う」と思う前に、彼女があまりにも自分と違うので落ち込んでいた。
彼女の方が、イベリスに似合っているとしか思えない。
「あなたの態度を見ていると、とてもイベリスに愛情を持っているとは思えないの。
素っ気無いし、大切にも扱わない。
イベリスは、そんな扱い方をされる人じゃないと思うわ。
しかも、あなたって、まるで田舎者じゃない。
顔立ちは綺麗だけれど、イベリスの横に立って、自分が彼にふさわしいと思えるの?
年もかなり上だし」
それを聞いたベラは、自分の彼への態度が優しくないのは事実だと思った。
責められても仕方が無い。
しかも、「年がかなり上」と言われ、
自分は彼女より一つか二つ年上と思うのに、そんなに年取って見えるのかとショックを受ける。
「ねえ、ベラ。
あなたがイベリスに気が無いのであれば、わたしに譲って」
「あなたに?」
それは、初めて彼女に返した言葉だった。
アン・ルーは真剣な顔をして、
「ええ、そうよ」と答える。
「ベラ、わたしはあなたよりずっと若いわ。
それにわたしは、あなたがイベリスに会う前から彼を知っているのよ。
父は、イベリスと同じ王の助言者で、
兄は、一緒に賢者の勉強をしていた仲で、賢者を辞めてしまった今でも親友だし、
家族付き合いを続けているわ。
わたしは小さい頃から、イベリスに憧れていたの。
イベリスが今まで付き合った女性たちは、みんな有能で美しかったわ。
彼女たちに対抗するには、わたし自身が有能な女性にならなければって思って、
建築を学ぶために連邦国へ留学までしたのよ。
そして、卒業した後も仕事に就いて、実績を作って戻ってきたの。
すべて彼のためよ。
そしたらイベリスは、ラーウスに帰ったって言うじゃない」
ベラは、アン・ルーの雰囲気は、連邦国のものだったのだと思った。
彼女からは、現代的な都会の匂いがする。
「あなたは、イベリスの価値が分かってないわ。
王の助言者のようなやりがいのある仕事を捨てて、
こんな山の中で埋もれてしまうような人じゃないのよ。
あなたが本当に、彼のことを想っているのなら、
彼がウィリディスに戻るよう勧めるべきじゃないのかしら。
そう思わない?」
ベラは驚きながら、
「わたしは、彼はウィリディスに戻ると思っているわ」と言った。
それを聞いたアン・ルーは、緊張を解く。
「そうだったの。
少し早とちりしてしまったみたいね。
だったら御免なさい。
イベリスがこんな所へ戻って来たのは、あなたのせいだとばかり思っていたのよ。
兄からあなたのことを聞いたからなのだけど、まあ、でも良かったわ。
イベリスは、ここの工事が終わればウィリディスに戻るってことなのね。
ここに、ヘリの発着所も作るって言ってるし」
「えっ?」とベラは聞く。
「あら、まだ知らなかったの?」と言ったアン・ルーは、得意そうだ。
「そうすれば、こことウィリディスの行き来は簡単になるでしょう。
まあ、あの屋敷も、別荘としてはいいんじゃないかしら。
わたしの意見を聞きたいって言っていたし」
ベラは、イベリスが彼女に、屋敷の建設に意見を聞いたのも驚いたのだけれど、
「ウィリディスとの行き来? 別荘?」
と頭が混乱する思いだ。
「ねえベラ、彼の立場と可能性を考えて頂戴。
わたしだったら彼の力になれる。
イベリスは、ウィリディスで、アクィラ王の次の立場に立てる人なのよ」
ベラは、アン・ルーを見た。
彼女は野心家なのだ。
男なら賢者の勉強をし、父親のように王の助言者になろうとしただろう。
いや、王の助言者は野心家であってはならないはずだ。
それでも彼女は、自分の野心を叶えてくれるイベリスに惹かれているのだと思った。




