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イベリス (Iberis)    作者: Naoko
3部 ベラ
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          7話 ワイン色の侵入者

 その日、一日、ベラはサイシア村にいた。

ハンナ婆さんは、自分の家を丸ごとエルナトへ引っ越したいので、その準備の手伝いに行っていたのだ。


 ベラが戻ってくると、夕食を済ませた男たちは、温泉に入ったり、岩のテラスでくつろいだりしていた。

キッチンはひっそりとしているのに、明かりが煌々と点いている。


 ベラがキッチンのドアを開けると、そこにはイベリスと若い女性がいて、

彼らはテーブルの上の何かを見ながら、恋人同士のように話しているところだった。

ベラは驚き、邪魔したようで、気まずく思う。


 その女性は、黒髪を後ろに丸くまとめて小さな毛先を垂らし、ほっそりとした首と白いうなじを見せている。

真っ白なブラウスは彼女の美しさを引き立たせ、タイトなスカートは腰のくびれを強調してスタイルが良い。

彼女が着ていたらしい濃い色のスーツの上着が、椅子の背もたれにかけてあり、

テーブルには屋敷の設計図が広げられ、二つのワイングラスが仲良く並んでおり、

ワインの濃い赤は、彼女を思わせる。


 二人は同時にベラを見た。

彼女の唇もワイン色だった。



 イベリスは笑顔を見せ、テーブルについていた肘を伸ばし、彼女の背中に手を添えて促す。

「ベラ、紹介するよ。

ケネスの妹のアン・ルーだ」


 アン・ルーと紹介されたその女性は、ベラに近付き右手を差し出し、

「始めまして」と、

笑みを浮かべながら、スマートに言った。


 ベラは、女性から握手を求められたのは初めてだったので、戸惑いながら彼女の手に触れ、

「始めまして」と言って握る。

アン・ルーの手馴れた様子から、彼女は洗練された働く女性なのだと分かる。

そう、彼女は、ベラが憧れていた「自信を持って働く女性」だった。



 イベリスが、

「アン・ルーに相談していたのだけれど」と言い掛けると、

彼女はそれをさえぎって、

「わたしたち、マスターベッドルームのバスルームへの入り口を、どこに付けるか話していたの」と言って、テーブルの設計図の一箇所を指差して聞く。

「わたしはこの位置がいいと思うのだけれど、あなたはどう思う?」

ベラは驚いて彼女を見た。


 するとアン・ルーは、

「あら、ごめんなさい。急にこんなことを聞いてしまって。

キッチンに用でいらしたのよね」

とにこやかに笑ってみせる。

ベラは、挑戦されているような圧力を感じた。


 「ええ、ハンナ婆さんに貰った果物の砂糖漬けを、パムトリーに入れようと思って・・・」

すると彼女は、ワイングラスを持ち上げる。

「まあ、デザートによさそうね。

このワインに合うかしら。

ウィリディスから持ってきたのだけれど、良ろしかったらあなたもいかが?」


 ベラは、砂糖漬けの包みをテーブルの上に置いた。

「ワインに合うかどうかは分かりませんが、よかったらお試しください」

それから、後ずさりする。

「今日は疲れているので、失礼します」


 イベリスは微笑んだ。

「おやすみ。また明日」

キッチンを出たベラの背中を、アン・ルーとイベリスの笑い声が追ってきた。



 自分の小屋に戻ったベラは、ベッドに腰掛け灯りも点けず、窓から入る月の光に照らされながら、しばらくそこに座っていた。


 アン・ルーのあの手のしっとりとした感じ、設計図を指差した美しい爪、ぷっくりとした赤い唇、そして黒髪に良く似合う淡いピンク色の肌。

ベラは久しぶりに見る、自然とはまた違う都会の洗練された美しさに、ため息が出た。

彼女は、どことなく少女っぽいのに妖艶なものを感じさせる。

あの握手も、自分の美しい手を見せたかったからで、わざとなのかもしれない。


 ベラは両手で、熱くなった自分の頬に触る。

そして目を覆い、髪を撫でてみた。

以前は、自分も、あんな都会的な美しさを持っていたのだろうか。

アン・ルーの美しさを羨ましく思ってしまう。


 ベラは、プリオベール男爵からもらったチョコレートの箱を開け、それを口に放り込みながら言った。

「このチョコレートだったら、あなたのワインにぴったりよ」



 次の日の朝、ベラがキッチンに行くと、アン・ルーがいた。

パンの焼けるいい匂いがする。

「パン生地を持ってきたのよ。上手く焼けるといいけど」

それは彼女の家のホームブレッドで、バターの香りが香ばしく、皆は舌鼓を打った。


 それから彼女は、ピクニックに出かけたいと言う。

ケネスが、

「おいおい、僕らは仕事をしているんだ。

予定があるんだから、いくらお前のためだからと言って遊ぶわけにはいかないよ」と言う。

それでも彼女がねだるので、結局イベリスが、セイリンと妹のメルルを誘って、

少し奥の小さな湖に連れて行くことになった。

ベラも誘われたが、「前の日も仕事を休んでいたので」と言って断る。



 ベラが、昼食の片付けを終えたところで、アン・ルーがキッチンに戻って来た。

彼女のカジュアルな格好は、大人びたスーツとは打って変わり、軽快で可愛らしい。

体の線に沿った花柄のシャツに、細い首には小さなスカーフを巻き、ふくらはぎ丈のパンツを穿いている。

明らかに、ベラの山歩きの格好とは違う。




 「ベラ、あなたって、イベリスが好きなの?」

アン・ルーは唐突に聞いた。

ベラは驚き、そんなことを聞く彼女に呆れるのだけれど、それはベラ自信、彼女に聞きたいことだった。


 ベラが黙っているので、アン・ルーはふふんと鼻で笑う。

「そうじゃないかしらと思っていたのよ。

あなたって、イベリスに似合っているとは思えないわ」


 ベラは、「失礼なことを言う」と思う前に、彼女があまりにも自分と違うので落ち込んでいた。

彼女の方が、イベリスに似合っているとしか思えない。



 「あなたの態度を見ていると、とてもイベリスに愛情を持っているとは思えないの。

素っ気無いし、大切にも扱わない。

イベリスは、そんな扱い方をされる人じゃないと思うわ。

しかも、あなたって、まるで田舎者じゃない。

顔立ちは綺麗だけれど、イベリスの横に立って、自分が彼にふさわしいと思えるの?

年もかなり上だし」


 それを聞いたベラは、自分の彼への態度が優しくないのは事実だと思った。

責められても仕方が無い。

しかも、「年がかなり上」と言われ、

自分は彼女より一つか二つ年上と思うのに、そんなに年取って見えるのかとショックを受ける。



 「ねえ、ベラ。

あなたがイベリスに気が無いのであれば、わたしに譲って」

「あなたに?」

それは、初めて彼女に返した言葉だった。


 アン・ルーは真剣な顔をして、

「ええ、そうよ」と答える。


 「ベラ、わたしはあなたよりずっと若いわ。

それにわたしは、あなたがイベリスに会う前から彼を知っているのよ。

父は、イベリスと同じ王の助言者で、

兄は、一緒に賢者の勉強をしていた仲で、賢者を辞めてしまった今でも親友だし、

家族付き合いを続けているわ。

わたしは小さい頃から、イベリスに憧れていたの。

イベリスが今まで付き合った女性たちは、みんな有能で美しかったわ。

彼女たちに対抗するには、わたし自身が有能な女性にならなければって思って、

建築を学ぶために連邦国へ留学までしたのよ。

そして、卒業した後も仕事に就いて、実績を作って戻ってきたの。

すべて彼のためよ。

そしたらイベリスは、ラーウスに帰ったって言うじゃない」


 ベラは、アン・ルーの雰囲気は、連邦国のものだったのだと思った。

彼女からは、現代的な都会の匂いがする。


 「あなたは、イベリスの価値が分かってないわ。

王の助言者のようなやりがいのある仕事を捨てて、

こんな山の中で埋もれてしまうような人じゃないのよ。

あなたが本当に、彼のことを想っているのなら、

彼がウィリディスに戻るよう勧めるべきじゃないのかしら。

そう思わない?」


 ベラは驚きながら、

「わたしは、彼はウィリディスに戻ると思っているわ」と言った。

それを聞いたアン・ルーは、緊張を解く。


 「そうだったの。

少し早とちりしてしまったみたいね。

だったら御免なさい。

イベリスがこんな所へ戻って来たのは、あなたのせいだとばかり思っていたのよ。

兄からあなたのことを聞いたからなのだけど、まあ、でも良かったわ。

イベリスは、ここの工事が終わればウィリディスに戻るってことなのね。

ここに、ヘリの発着所も作るって言ってるし」


 「えっ?」とベラは聞く。

「あら、まだ知らなかったの?」と言ったアン・ルーは、得意そうだ。

「そうすれば、こことウィリディスの行き来は簡単になるでしょう。

まあ、あの屋敷も、別荘としてはいいんじゃないかしら。

わたしの意見を聞きたいって言っていたし」


 ベラは、イベリスが彼女に、屋敷の建設に意見を聞いたのも驚いたのだけれど、

「ウィリディスとの行き来? 別荘?」

と頭が混乱する思いだ。



 「ねえベラ、彼の立場と可能性を考えて頂戴。

わたしだったら彼の力になれる。

イベリスは、ウィリディスで、アクィラ王の次の立場に立てる人なのよ」


 ベラは、アン・ルーを見た。

彼女は野心家なのだ。

男なら賢者の勉強をし、父親のように王の助言者になろうとしただろう。

いや、王の助言者は野心家であってはならないはずだ。

それでも彼女は、自分の野心を叶えてくれるイベリスに惹かれているのだと思った。



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