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イベリス (Iberis)    作者: Naoko
3部 ベラ
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          3話 湯船の舞い

 アリアが女湯へ行くと、ベラはすでに湯船に入っていた。

温泉の湯が、岩の間を通り、音を立てて湯船に流れ落ち、湯気が静かに上がっている。

アリアが湯船に入ると、湯があふれ出し、湯船に落ちていた木の葉が、くるくると舞う。

湯船の淵にあったランプに虫が飛んできて、濡れた石の上に止まった。



 ベラは、アリアに背を向けていた。

彼女の肩と背中に、解かれた髪が張り付き、その長い髪の先は湯の中を泳いでいる。


 ベラの腕には、大きな傷の跡があった。

傷は他にもあり、それは、ベラとしての生き方が楽でなかったことを物語っている。

アリアは、ベラが口を開くまで待つことにした。



 夕暮れは深まり、ランプの光がゆらゆらと水面に揺れ、

湯に落ちた虫が、浮かんだまま手足を動かしている。

夕食の準備をする音が聞こえてきて、それは時々途切れ、また聞こえてくる。



 「全く、キラル婆さんにも困ったものだわ」

ベラは、口を開いた。


 「わたしを捜しているようだったから戻ってきたのに、こういうこととはね。

あなたたちを、追い返してくれれば良かったのに、

あなた、キラルに気に入られたみたいね」


 アリアは、何のことだろうと思う。

「キラル婆さんが、わたしを気に入った?」

「そうよ。

まあ、あなたも変わったものね。

以前のあなただったら、いつも自分の調子で話をするでしょう?」


 アリアは驚いた。

今まで、それは当たり前だったし、考えたこともなかった。

ここでの生活が、彼女に変化を与えていたのだ。



 「フロース、いえ、ベラと呼ぶわね。

あなたもかなり変わったわよ」

アリアがそう言うと、ベラは笑う。

「そうね、それは言えてるわね・・・」

そして、しばらく思いにふけるように黙り、それからアリアを見ると優しく微笑んだ。


 「アリア、わたしはあなたに会えて嬉しいのよ」


 アリアはそれを聞くと、涙を浮かべてベラに近付こうとする。

「あ、わたしたち裸だから、抱きつかないでね。誤解されたくないし」

アリアは、涙目で笑った。


 「その方がいいわよ。あなたは笑ってる方が。

きっとこの五年間、あなたは、わたしのことで自分を責めたのでしょうね」


 アリアは、また涙を長し、ベラの体についた傷跡を見た。

「ずいぶん怪我をしたみたいね。辛いことがあったの?」

「ああ、これ?」

とベラは言って、自分の腕の傷を見た。


 「まあ、密猟者たちとはやり合ったけど、ほとんどは薬草を取ってて怪我をしたものよ。

一度は谷に落ちちゃったし」

「えっ? それで大丈夫だったの?」

「大丈夫だから、ここに、こうしているんじゃない」

「それはそうね・・・」


 アリアは、自分の目の前にいるベラが、

あのおしとやかなフロースだとは、まだ信じられないでいる。

そして、彼女から、強い生命力を感じる。


 「それだけがんばったから、キラルの弟子にもしてもらえたのよ。

覚えが早いって褒められたし。

キラルが褒めるって珍しいのよ」

そう言うベラは、嬉しそうだ。


 「あれから何があったの? どうして、わたしたちに知らせてくれなかったの?」

「もう覚えて無いわ」

アリアが、そんなことがあるはずはないと思って彼女を見ていると、

ベラは真面目な顔をして言う。


 「本当なのよ。

あ、でも記憶喪失とかじゃないわ。

過去は、どうでも良くなったってことかしら」


 アリアが知っているのは、フロースが何かの理由でラーウスまで来て、

それから密猟問題に巻き込まれたと言うことだけだった。

実際にそうであっても、今の彼女は、もうそんなことはどうでも良くなっている。

以前のように思いつめた様子もない。


 アリアは、彼女の言った「フロースはもういない」、その意味が分かるような気がした。

この五年の間に、彼女は、フロースでいることを捨てたのだ。


 すると今度は、なぜベラは、エルナトを復興しようとしているのだろうかと言う疑問が湧いてくる。

それは、イベリスのためではないのか。

イベリスも、彼女のことを忘れていたはずなのに、なぜ彼女を抱きしめたのか。

彼は、本当に、彼女のことを、何とも思っていないのだろうか。



 「あなたは、イベリスとは、もうどうにもならないの?」

ベラは、くすっと笑って、アリアの疑問に答えようとする。

「前にも言ったでしょう。わたしたちは、もう終わったって」

「それなら、なぜ・・・」


 「ああ・・・」とベラは言った。

「わたしも驚いたわよ。

突然、現れて、あれじゃあ誤解されるわよね」

「誤解?」

「誤解よ。

イベリスが、ロセウスを離れるわけが無いでしょう。

あの月の王宮をね。

イベリスが、なんであんなことをしたのか、わたしにも意味不明だわ。

大体、彼が家族のことを口にするなんて・・・

わたしだって考えたわよ。

失礼しちゃうわ。

彼こそ、自分の親族を捨てたくせに」


 「じゃあ、どうしてエルナトを復興するの? 彼のことを、今でも想っているからでしょう?」

「そうね・・・」

それは、彼女が何度も考えたことだった。


 「彼とは終わったから、エルナトを復興できるのかもしれないわね」

「どう言うこと?」

「だって、イベリスは、あそこを復興したいって思ってないんですもの。

だから、わたしがやるのよ。

わたしは、あそこが好きなの。

わたしの第二の故郷にしたいの。

あそこに初めて行った時、そこで死んでもいいと思ったくらいよ」


 アリアはそれを聞いて驚いた。

あの時、自分も一緒にいたのに、彼女がそこまでエルナトを思っているのを知らなかったのだ。

この情熱は、どこからくるのだろう。

何が、彼女をそこまで思い込ませてしまったのだろう。



 ベラは微笑むと、戸惑っているアリアの手を取る。

アリアの手は小さくて、白くて柔らかだ。

それを包む自分の手は大きく、指先が薬草の緑色に染まって、がさがさしている。

この手が、アリアのような滑らかな手に戻ることはないのだと思うと、

その違いが、自分の行く道をはっきりさせてくれる。


 「エルナトの復興は、私が何年も考えていたことなの。

密猟問題も終わって、キラルやスピル、そしてアルや議会の許可も得たわ。

そんな時に、イベリスが戻ってきたのよ。

彼に、邪魔されたいくないの。

だからアリア、わたしを助けて」

「あなたを助ける? どういうこと?」

ベラは、アリアの手をぎゅっと握った。


 「お願い。

イベリスを、ロセウスへ連れて帰ってちょうだい」



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