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イベリス (Iberis)    作者: Naoko
3部 ベラ
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          2話 炎

 「フロース」 その名に、彼女は凍り付いたようになった。

そして、「なぜ、今になって、この時期に」と、そればかりを考える。

しかも自分は抱きしめられており、その相手は、自分が避けたいと思っていたイベリスなのだ。


 「イベリス」と思った瞬間、彼女はかっとなって彼の手を振りほどき、顔を上げる。

そして言った。

「誰のこと?」


 その声は低く、挑戦的だ。

イベリスは、信じられないと思いながら彼女を見る。


 彼女の日焼けした肌と髪、山歩きをしているしっかりとした体つき、ラーウスの女の服。

そう、ラーウスの女だ。

それでも彼女はフロースだし、それは紛れもない事実なのだ。

その目の色は覚えている、鼻も、唇も、その声も彼女のものだ。

忘れるはずはない。


 「フロースだろう?」

イベリスは言った。


 すると彼女は、彼を睨みつけ、繰り返す。

「だから、誰なのよ」

それは、不意打ちされた彼女の抵抗で、イベリスには、そんなことは分からない。



 アリアは立ったまま、二人を見ていた。

突然に現れたベラがフロースだという事実に、自分を合わせられないでいる。

「見つけた! 彼女を見つけたんだわ!」と嬉しいはずなのに、その気持ちが湧いてこない。

ベラが、あまりにも自分の覚えているフロースと違ったのに、戸惑いを隠せないでいる。


 フロースは細く、しなやかで美しく、憂えていた。

こんな山の中で生きていけるような、たくましい女性ではない。

彼女を前にして、それがフロースだとは信じられないでいる。

しかも彼女は、「フロースは誰なの」と聞いているではないか。


 何故イベリスは、フロースだと分かったのだろう。

フロースを見捨てたイベリスが、彼女を追い返えそうとしているイベリスが、

自分より先にフロースを見つけるなんてありえない。



 キラルは、その二人から目を離し、焚き火の炎を見て普通にしていた。

彼女は何も言わない。

アリアは、「キラルは知っていたんだ」と思った。


 そこにいた村人たちも、この光景を見ていた。

子供たちは驚いているようだけれど、大人たちは、さほど驚いた様子でもない。

それは、「自分たちには関係ない」と思っているのかもしれないし、

「ほっておいた方がいい」と言っている風にも見える。

彼らがベラの正体を知っていたのかどうかは、この様子からは分からない。

アリアは、それもラーウス人らしいと思った。

この人たちは、穏やかなのだ。



 イベリスが黙っているので、

彼女は油紙に包んであった薬草を拾い上げ、転がった籠に戻し、キラルの所まで持って行くと、

ドサッと音を立て、キラルの横に置いた。


 それは、自分は怒っているというあからさまな態度で、睨むようにキラルを見下ろす。

キラルは炎を見たままで、彼女を無視し、それがどうしたという風だ。


 キラルが何も言わないので、彼女は背を伸ばし、アリアの方を向く。

その顔は無表情だ。

久しぶりに会ったという懐かしさはないし、怒っているようでもない。

アリアが、「あなたはフロースなんでしょう?」と聞きたいのに、それすら許さないような表情だ。


 彼女は、温泉の方へ歩き出し、

「湯に浸かってくるわ」と言った。



 イベリスは、我に返ったように、彼女の後を追いかけると言った。

「なぜ、ここにいるって言わなかった?」

彼女は、そのまま歩き続ける。

「五年だ。こんなに長く、皆が捜していたのに、それを何とも思わなかったのか!?」


 すると彼女は立ち止まり、イベリスに振り返って言った。

「あなたたちが捜しているフロースはもういないのよ」

「どういうことだ?」

「彼女は、いない」

「つまり、説明したくないってことだな」


 彼女は、うんざりするように再び歩き出して言う。

「さ、もうこれで用は済んだんだから、帰ってちょうだい」

「家族はどうするんだ!?」

「じゃあ、その人たちにも伝えて、フロースは死んだって、その方が手っ取り早いから」

イベリスは、そんな彼女を殴りたいと思ってしまうほどに怒りを感じる。


 彼女が隠れていたのは、密猟組織から逃れるためなのは分かる。

家族にも迷惑がかかるかもしれないと心配していたのかもしれない。

それでも、これほど頑なで、自分を拒む理由は、一つしかない。


 「エルナトか?」イベリスは言った。

彼女は、それに答えすに歩き出す。


 「エルナトを復興しているそうだな」

彼女は、そのまま答えずに足早に進むので、イベリスは怒鳴る。

「あそこに触れるんじゃない!」


 彼女は、立ち止まると、下を向いたまま力を込めて唸る。

「もう、あなたのものじゃないのに」

そしてイベリスを見て言った。

「あなたは、わたしもエルナトも捨てたんでしょう?」

イベリスは、反射的に彼女の腕を掴んだ。


 ベラはその手を見て、ふっと笑い、彼を見る。

その目は、炎のようだ。

「放して」


 そう言った彼女は、こんな脅しには動じないという態度で、

以前のフロースからは考えられない強さがある。

しかも彼女は、せせら笑うように言った。

「女湯まで付いて来るつもり?」


 イベリスは、呆れたような顔をして手を放す。

「分かった。フロースは、もういないと言うことだな」


 彼女は、黙ったまま彼を見る。

それは、もう何も言うことはないという態度だ。

彼女には、それ以上、何も言えなかったのだ。


 イベリスは、彼女に背を向けると、そのまま森の中へと消えていく。

彼女は、去って行く彼の後ろ姿を見ていたけれど、すぐに向きを変え、歩き出した。




 「へぇ~、ベラは、イベリスのメスだったのね」とミユが言った。

アリアは、ギョッとしてミユを見る。


 キラルは、油紙に包まれた薬草を開きながら、

「ミユ、余計なことを言ってないで、これを乾燥小屋に持って行って広げておいで」と言った。

ミユは、ふふんとした顔をする。


 「後で、もう一度包み直すからね。

混ぜるんじゃないよ。

ふん、なかなかいいものを採ってきたようだね」と満足そうに言う。

ミユは、しょうがないとでも言うように籠を取り、それを乾燥小屋へ持っていった。



 残されたアリアは、ただ黙って立っていた。

フロースに会ったら、言いたいことはいっぱいあったのに、もはや意味が無いように思える。

彼女は、自分に会いたくなかったのだと思うと悲しくてならない。

彼女に、いったい何が起こったのだろう、どうしたらいいのだろうと考えるのだけれど、

答えは何も浮かんでこない。

あのフロースは、もうどこにもいないのかもしれない。


 キラルは、そんなアリアを見る。

そして彼女と目が合うと、ベラが去って行った方に顔を向けた。


 「えっ?」とアリアは驚く。

「わたしに、ベラを追えって言っているの?」


 陽は落ち、夜が来ようとしている。

「まだ、この日は終わってないんだわ」とアリアは思った。



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